【サーフィン小説】ビジタリズム|第9話
9ラウンド目 Take it easy
サイズが、上がってきた。
入ってくるセットはコンスタントに頭ぐらいある。
同時に次第に強まってきたオフショアに煽られ、ブレイクの瞬間、飛沫がリップから尾を引くように宙を舞う。その様は、波をまるで大海でうねる龍のように見せていた。
朝イチとは言えない時間帯となり、サーファーの数もぼちぼち増え始めた。
和虎は相変わらず南端のピークに近いバンクに張り付いていたが、力丸は2度と余計なトラブルを起こさないよう、ポジションを北寄りに移した。
それでも、そこには充分にいい波がブレイクしていて、力丸も比較的コンスタントに波を掴むことができた。ただ、やはり先程のトラブルが尾を引いているのか、必要以上に周りを気にしてしまい、ほとんどの波でテイクオフが遅くなり、抜けることができなくなっていた。
これでは、リッピングの練習どころではない。
(ああ、せっかく波はいいのに、俺が全然ダメだ……)
力丸は、セット間隔が空いたバンクから、南端のピークを恨めしそうに眺めた。視線の先で、和虎が波を掴んだ。
(あいつ楽しそうだな……俺もあそこで波待ちできる日が来るんだろうか)
今のところ、力丸はこの先再び万里浜を訪れようという気持ちにはなれていなかったが、満面の笑みで波に乗る和虎を見る限り、奴は必ずや「また万里に行こう」と言うはずだった。
力丸が深いため息をついた、その時。
「グダイ、マイ」
不意に、インサイドから声をかけられた。
反射的に振り返った力丸の目に飛び込んできたのは、立派なヒゲが頬から顎全体をびっしりと覆った、ウェービーな髪の男だった。青みがかった瞳と彫りの深い顔立ちは、立派な髭と相まって、いかにもヒッピーという雰囲気を醸し出している。
(が、外国人?英語——だったのか?)
力丸が返事に窮していると、ヒゲ男はお構いなしに続けた。
「げんきですか?」
「あ、あの、はい、まあ……元気です」
インサイドからパドルで近づいてきたヒゲ男は、それが当たり前かのように、ごく自然と力丸の隣でパドルを止めるとボードの上に座り、尚も話しかけてきた。
「Did you get a couple?」
「え?ええと——」
英語なのは、なんとなくわかる。しかし、何を聞かれているのかは全く理解できず、力丸はまたしても答えに窮した。ヒゲ男は、それが想定内であったかのように、今度はそこそこ流暢な日本語で訪ねてきた。
「いいナミのれましたか?」
「え、あ、はあ、まあ……」
「わたしはグレッグです。あなたは?」
「あ、ええと、前野、です」
「まえのさんね、First nameは?」
「え?ああ、力丸です」
「リキマル!beautiful name。リキマルはなぜここいますか?ここだとあんまり波乗れないね」
グレッグと名乗った男は、力丸の戸惑いなど全くお構いなしに親しげに話しかけてくる。しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。それは、グレッグが根っからのアウトゴーイングで、それがこの男にとって自然な振る舞いであることを感じさせた。
「あっちのほうがいいナミきますね」
グレッグは、南端のピークを指差した。
「ああ、それは、そうなんですけど……さっき前野りしちゃって、それでローカルの人とちょっと揉めちゃったんで……」
力丸はバツが悪くなり、口籠もった。
「オー、だれ?」
「ええと、ナミノリという女の子と、沖野さんという……」
「I see, ナミノリとオッキー。オッキーは、かおこわいですね」
「はい……」
顔が怖いというより、全身から隠しきれない凶暴さを滲ませているのがオッキーという男である。既に、あの男が警察官らしい、ということは力丸の頭から抜け落ちそうになっている。
グレッグは二人の存在を知っているようだった。いや、むしろ親しい、という雰囲気だ。そして、力丸が落ち込んでいることがさも馬鹿げていると言いたげに言葉を繋いだ。
「こんなイージーな波でおこるの、ワタシにはわからない。たのしくサーフィンしたほうがいいですね。マエノリ、わざとじゃないでしょ?」
グレッグの言葉に、力丸はいくらか救われた気持ちになった。しかし一方で、今日のこのコンディションを「イージー」と言い切る所が気になった。今やコンスタントに頭サイズのセットが入るコンディションは、力丸にとって、決してイージーなものではなかった。
「あ、あの、グレッグさんはどこから来たんですか?」
「わたし、オーストラリアからきました。ゴールドコーストね」
「ゴールドコースト……」
それで合点がいった。どうりでこのコンディションをイージーと言い切れるわけだ。
力丸はまだ訪れたことはなかったが、スナッパーロックスやキラ、デュランバー、バーレーヘッズなど、ひとたびサイズアップすれば強烈な波が姿を現すような名だたるポイントで、CTサーファーを含むセッションが日常茶飯事に行われている、ということぐらいは想像がつく。
しかし、そんな男がなぜ万里浜でサーフィンをしているのだろうか?
「グレッグさんは、ここに住んでるんですか?」
「ノー、すんでるのはトーキョーね」
「ああ、移住したんですね」
「イェー、わたしのおくさん、にほんじん。にほんさいこうですね」
「へええ、そうなんですね。仕事は何を?」
「わたし、フォトグラファーです」
「へええ!」
デザイナーという自分の仕事と接点がありそうだからだろうか、フォトグラファーと聞いて、力丸は俄然グレッグという男に興味を持った。
「ここでよく入るんですか?」
「イェー、まんり、このへんではいちばんナミがいいですね。しかもひとすくない」
「へええ、やっぱりそうなんですね」
グレッグと話していると、どういうわけか、随分とリラックスできる。オッキーと対峙している時は対極の感覚だ。そのおかげで、先程の前野りの件など取るに足らないことのように思えてくるから不思議なものだ。これもまた、グレッグというサーファーの持つ資質のなせる技なのかもしれない。
とにかく、力丸はグレッグのことが一発で好きになってしまった。いや、これは多分、憧れというものだろう。
まだライディングは見ていないが、まず間違いなくサーフィンは上手いだろう。この雰囲気でテケテケなはずがない。そして、まだ見たことはないが、奥さんもきっと美人に違いない。それで仕事はフォトグラファーときてる。多分、趣味でギターなんかも弾き語ったりもするかもしれない。グレッグの持っている(であろう)すべての要素が、今の力丸にとっては眩しかった。
「Have a good one, いいナミのってください。シーユー、マイ」
「あ、は、はい」
力丸としては、もっと話していたかった気もしたのだが、グレッグは会話が一区切りすると再びボードに腹這いになり、南端のピークを目指してパドルし始めた。グレッグのボードは、レトロな雰囲気を持ったフィッシュだった。おそらくツインフィンだろう。
力丸は、羨望の眼差しでグレッグの後ろ姿を見送った。
〜〜つづく〜〜