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クリエイティビティとミステイク
思い通りにいかずにワクワクする余裕。
何かに「熱を上げて」いて、その道を深く探求している人の話は面白い。
そういう意味でSWITCHというNHKの番組は、わたしが好きなごくごく限られたTVプログラムの一つではあるのだが、前回は「松岡正剛×コムアイ(水カン)」だった。
うん、やっぱり正剛さんは面白い。
正剛さんは、自身が体系立てた「編集工学」について、こんなようなことを言っていた。
“編集(エディティング)というのは、もともと生命が持っていた「やり方」だった。つまり、生命は遺伝情報を伝えるために複写をした。だったら一つのものがずっと続いていくわけだが、しかし転記ミスや、誤植や、ジャンクDNAがあり突然変異が生まれた。そして生命多様性はそこから生まれていった。バージョンが増えることが生命の本質であり、編集の起源なんだ。”
わたしは、こういう正剛さんの世界観に魅せられて、彼のつくったISIS編集学校で編集工学の一端を学んだりしているのだが、その中でもとりわけ好きな感覚がある。
それは、クリエイティビティとミステイクの関係だ。
クリエイティビティは日本語では「創造性」という訳語が当てられたりするが、その創造性の「創」には「傷」という意味がある。絆創膏(ばんそうこう)の「創」は「傷」のことだ。傷、つまり通常とは違う状態・失敗や予定不調和・ミステイク…etc.ここに創という字が当てられている面白さにゾクゾクする。
AIが台頭するに連れて、「人にしか出来ないこと」だったり、「人間らしさ」みたいなものとは何かという問いをよく目にし、耳にする。
思い通りにいかない、予定不調和、思いがけない出来事…etc.それらは創造性の糸口になる。そこを面白がる感覚、そこを味わう余裕、そこを見つめる“Sense of wonder※”のような感性。そこに人間らしさのようなものを感じたりもする。
先回りして失敗しないように・・・
何かあったら困るから・・・
そうやって、ルールをつくり、そのルールの矛盾をルールで補っていく。そしていつしか、人は人ではなくルールを見るようになっていく。目の前の相手とではなくルールに照らしてコミュニケーションをしていく。これこそ機械的世界観ではないか?そんなのはつまらないと思ってしまうのはわたしだけだろうか?
何かに「熱を上げて」いて、その道を深く探求している人は、おそらくミステイクの中を生きているような感じがする。思い通りにならないことは当たり前で、失敗するたびに新しい発見をして、だからこそ、クリエイティヴで、それがワクワク、ドキドキ、ゾクゾクさせてくれるんじゃないかって思う。何が繰り出されてくるんだろう?って。
Visionary Workerとして生きる面白みは、描いたVisionを出現させようとするその道筋で、その通りに進まない時に起きてくる創造性の解放なのかもしれない。そこに、何かを発見し、それを表現し、わかちあう中で生まれる面白みが、人生の面白みであり、最高の体験なんじゃないかって、最近思う。
「思うとおりにいかない…」って思っている人は、まさに最高の体験の入口にいるのかもしれないよね。
※sense of wonderとは、一定の対象(SF作品・自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉である。~Wikipediaより~
~2017.4.21の記事から~