「愛」ということについてのメモ
観方が世界をつくっている
人はさまざまな”観方(Paradigm)”で自分や相手、そして世界を観ていて、
それに基づいて、感じ(sensing)・考え(thinking)・動いている(doing)と思う。
この観方は、その人の個性ともいえるように備わる「感性」と、後天的に得る「知性(人間や世界の理解の仕方)」、そして自分の根底にあるこの世界で自分が体現したい「願い」とによって、変化していくものだ。
自分の観方に影響を与えているものは様々あるけれど、これもその1つだと思っているのが、アインシュタインがリーゼルという娘さんにあてた手紙。
いろんな方々が紹介しているので、目にしたことがある人もたくさんいると思う。ちなみに、これを映画として表現しているのが『インターステラー』だと私は思っている。
さてその手紙ですが、こんな感じ。
娘リーゼルへの手紙
ここでは「愛」というものが、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、他のすべてを含みかつ支配する極めて強力な力だとしている。
愛とは何か?
アインシュタインは光、引力、力、そして神という表現を使いながらそれを表現しようとしている。
私自身もこれを言葉で十分表現できる自信がない。それは私の自信というより、言葉というものの限界かもしれない。
それでも、今この時点で思うことを表現するとしたら、こんな感じかもしれない
ここでは与える・受け取るという言葉を使ってみたが、それは「個」の中で完結するものではなく、「間」に起こるものであり、違う表現をするとしたら、その「間」に生まれてくるもの、そこにあるものと言ってもいいのかもしれない。
与えようとしているものは、形として見えるものだけではなく意識を向けることも含まれる。たとえば祈りのようなものも含む。いやむしろ形として見えないエネルギーのようなものが「愛」で、それを表現する手段の1つに形として見えるようにするということがあるだけなのかもしれない。だからこそアインシュタインは愛は光であり引力であり力と表現したのか?!
VisionaryWork
さて、ここまで書いてみて内省してみる。なんで日曜の朝に急にこんなテーマでnote書きたくなったのだろうか?ww
それはきっと、自分の人生のVisionをもう一度深いところから見つめてみたいという、内から湧いてくるここ最近の衝動があるからかもしれない
私がこの人生を通じて見てみたい世界観という意味でのVision、それはこんなイメージ
人は人と関わりながら日々生き、なんらかの活動をしているのだと思う。であるならば、それによってたくさんのよろこびが得られるなら、人生は豊かで楽しいのだと思う。
わたしがVisionaryWorkと表現するのはそういうイメージだ。
これは、私がもう何年も朝起きたら必ず声に出して一日をはじめる「My祝詞」wwの一節だ。これを声に出すと不思議なエネルギーが湧いてくる。これもアインシュタインの言う「強力な愛の発電機」だろうか?!
自己マスタリー
世界中の誰もがそこにある愛に氣づき、それを体現して生きる世界は現れるのだろうか?
日々エゴに揺さぶられている自分を観ても、「いや~なかなかの道のりだな~」と思う。
自己マスタリーという言葉がある。ピーター・センゲの提唱する学習する組織の中にも出てくる言葉で、自分自身が心から望むVisionや目的の実現に向けて、ワクワクと熱中し、探究し・体現しようとしながら生きようとするプロセスと私は解釈している
その言葉のイメージを借りれば、大事なのはそれが実現するかどうかではなく、その達成の確証はなくともそれでもなおそれをする、そんな自己マスタリーなんだろうな~
最後までこのメモを読んでくださったみなさんへの感謝とともに、そんな世界観を一緒に語らい活動できたら嬉しいな~と思う今日この頃です。ありがとうございます~!!!
2024年4月の旅の追記
(※2024.5.4追記)
2024年の4月にイギリス🇬🇧のシューマッハーカレッジにゆき、サティシュ・クマールさんに直に会ってきた。
サティシュさんは、”with love”というメッセージと共に、その存在で深い愛を示してくれているようだった。
今年、日本でも発売される予定のサティシュさんの新刊のタイトルは『radical love』だ。
あらためて、また「愛」という“あり方”について、深く見つめてみたいと思う。