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World & Company & My Vision

未来の会社・社会の未来

乱暴な書き出しかもしれませんが、私は、いよいよ売上利益至上主義の企業経営は、もう本当にこれで終わると思っています。(実態はゆるやかに推移していくだろうけど、マインドの部分では、この新型コロナの渦中で、もうそこへの違和感は押さえらえないところまで来たと私自身は思ってます)

そこからの思考の展開は自ずと、「では代わりに何が生まれるのか?」ということになるのですが、それは、抽象度を上げて表現すると、人としての幸福、地球や社会との共生、持続可能性を、”企業”という装置や、そこで働く”個人”がどう増幅するのか?ということを考える企業経営がいよいよはじまる時だと思っています。

ここにコミットできない企業の存在意義はもうこの先の世界には無く、そしてここにコミットできない仕事はもうこの先の世界には無い。

そうなると、そういう企業あり方とやり方、マネジメントのあり方とやり方、はたらく一人ひとりのあり方とやり方はどういうものなのか?この具体的なアイデアが必要になってきます。

そこで、私はみなさんとわかちあい、アイデアを出し合ってみたいことがあります。唐突かもしれないのですが、固定観念を徹底的に外して、自分の会社や自分の仕事に当てはめて次のことを考えみてほしいのです。

「今の50%の活動で、より社会や地球といい形で共生していくにはどうしたらいいか?」

するとどんな働き方が見えてくるだろう?その時の価値基準=物差しは何か?”企業”という存在の意義は?

50%というのは考えやすくするための1つの糸口に過ぎないのですが、重要なのは、今の物差し、価値基準を変えること。そうでなければ決して見えてはこない姿なんだと思います。

そうして意識をしてみると、すでにそういう企業があることにも気づきます。

パラダイムシフト

パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。(Wikipediaより引用)

私は、有限な資源の中で無限の成長を標榜しているかのような企業のコミットメントには希望が感じられなくなっています。そこに人が幸福になっていくイメージが垣間見えない。

我々は、いつまで愚行を続けるんだろう・・・

ここで大事なパラダイムシフトは、今までの「成長」「進歩」「発展」という物差しから、「幸福」「共生」「持続性」の物差しへのシフトなんだと思っています。

これは新しい発想ではなく、何度となく言われていることだと思うのですが、世界の空気感が、本当にこうじゃなきゃダメだって今まさになってきている感覚をすごく感じています。
  
今よりも一人ひとりが時間的な余裕を持って働いている。やみくもな成長や規模を追わず、常に自分たちの事業活動が、社会や地球との共生や持続可能性とどうつながっているのかを考えている。

これは一つの企業だけが考えていてもダメだし、その視点を欠いたビジネスセンスにむちゃくちゃ長けた企業や個人が幅を利かせてしまったら、結局世界は何も変わらない。またますます地球は社会は個人は苦しみの連鎖に陥ってしまう・・・

故きを温ねて新しきを知る

ふと思い出すのは、SONYの前身、「東京通信工業株式会社設立趣意書」にある経営方針。
  
1946年に起草されたこの趣意書の中にある経営方針を、2020年の今見て、これって未来の会社の姿を言っているんではなかろうか?と思ったりもします。

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず
   
一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する
  
一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う
   
一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う
   
一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る
   
一、従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ
  
一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。

現代に置き換えて読み替えるならば、まさに「幸福」「共生」「持続性」というこの3点を体現する在り方の1つだと感じます。

そして、「成長」「進歩」「発展」という物差しから、「幸福」「共生」「持続性」の物差しへのシフトをした企業が、その存在意義が高まり、結果的に成長し進歩し発展するのだと思います。

ミラクカンパニーの未来

ミラクカンパニーは一人でも多くの人、組織がVisionaryWorkerになっていくきっかけをつくることを存在意義としている会社です。

”場”をつくることを生業にしています。そこではコンテンツを用意しながら、集まった人たち同士で対話をしたり、学びを深めたり、そこから気づきを得たりする、そういった”場”を、企業や個人に向けて創ったり、創ることをサポートしたりしています。

人としての幸福、地球や社会との共生、持続可能性を、”企業”という装置やそこで働く”個人”がどう増幅するのか?

企業や個人はそこでどんな役割を担うのか?ここにコミット出来る人が生まれるきかっけをつくること。それが今必要な、意味のあるコンテンツだと私は思っています。

具体的にはSDGs×ビジネスをもっと当たり前に(わざわざSDGsなんて言うまでもなく)することであり、「エクスポネンシャルテクノロジーをどう使うのか?」を幸福、共生、持続という観点で考えることであり、企業がそれをすることによって成長ではなく共生していく存在になるためのマネジメントプログラムであり、一人ひとりがそういったビジョンを描き、働く人になっていくためのプログラム。

そういったものが必要で、逆にそこにつながらないものはいらない。そんな風に思っています。

到達への執着を捨てて、プロセスに生きる

こういったことを考える時、私はいつも「虚しさ」のようなものに襲われます。それは、「こんなこと考えたところでどうせ実現しないし…」とか、「俺が出来ることなんかほんとにちっぽけでとてもじゃないけど賄えないし間に合わない…」というような虚しさ。

つまり、目指したところで到達しないことのわかっているような旅に出るかのような感覚です。

でも、最近この「到達」というものに対しての執着が薄れてきている自分がいます。というより、薄めたというほうが正しいかもしれません。

ではその替わりに何が自分のモチベーションになっているか?と問うと、それは「好奇心」であり「探求の面白み」です。

新世界

たぶん、私がおぼろげに描いている世界は、私のこの肉体の命が尽きるまでに実現は難しい可能性のほうが大きいです。(もしかしたら、ものすごい天才や、ものすごい共同体が生まれて、一気にシフトが起こるかもしれないけれど…)

でも、望ましい世界をVisionとして描きながら歩む、そのプロセスはきっと多くの人と関わり、小さな無数のバトンが連鎖していくように、つながっていくのではないか?そんなことを考えると、そのプロセスの1つ1つの体験が愛おしく、面白く、なんかワクワクしてくるのです。

また例の如くだいぶ文章が長くなりました…
最後に、私の好きなこの言葉で締めて、一旦終わろうと思います。さてこの続きどう書こうか?書くまいか…(笑)

・You must be the change you want to see in the world.
(あなたが見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい)

・Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
(明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい)

              Mahatma Gandhi (マハトマ・ガンジー)

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