【行動は「真実」の顔】その1
ドキッとした。
「私、その人の言葉より
行動を見るの」と
むかし、
私が、つきあっていた彼女の言っていた言葉だ。
本人が言ってる言葉より、
行動のほうが、真実をあらわしている。
「ほんまにそうやな」
と私は思う。
わたしたちは
言葉では何とでも言える。
その場だけの
取り繕いも。
言い訳も。
理屈も。
嘘も。
わたしたちは、
つい
言葉では
良い格好をしようとか
良い格好を見せようとか
良いところを見せようとか
良い話を喋らないといけないとか
また、
その場の雰囲気を
とりあえず
こわさないために
できもしないことや
守れそうもないことを
全部が全部ではないが、
つい
言ってしまうこともある。
つい
そんな約束をしてしまうこともある。
だが、
人に公言したことや、約束を、
ナンダカンダと
理屈をつけて、
忘れていたり、
遅刻をしたり、
ドタキャンしたり、
約束をやぶったり、
実際にしなかったり、
自分の都合で変更したり、
できなかったりすると、
それを言っていた本人が
一番、しんどくなる。つらくなる。恥ずかしくなる。
自分がイヤになる。
そして落ち込む。
何もする気がしなくなる。
そう言えば
むかしの私が、そうだったなあ。
だけれど、
他人の目は、思っているよりも厳しいものだ。
ひとは自分には甘く、他人には厳しいのが普通だ。
他人は
なにげなしに
わたしたちの
【言ってること】よりも
【やってること】を重視して、その人を見ているものだ。
つまり
【行動を見ている】のだ。
そう、
【口では】なんとでも言えるのは、承知している。
その人の言っている【言葉ではなく】、
その人の【行動で判断している】のだ。
よく
一般的に
あのひと、
【言ってることと、やってることが違うやん】と
わたしたちは
他人をバッサリと評価していることがある。
そして
そのような行動が積み重なってくると
【言ってることと、やってることが違う人】を
【信用しなく】なったり、
【信頼しない】ようになる。
その人にとっては
なにげなく自分で思っているより
実際の【他人の評価や信用】は、かなり厳しい。
そのひとは
度重なると【信用できない人】というレッテルを貼られる。
それがもっとひどくなると
【アテにできない人】となる。
そして、
だんだんと、人から【相手にされなくなる】のだ。
とくに、
世界平和や、
地球環境問題、
次元の上昇や、
至高体験や、
覚醒や、
愛の大切さについて
などなど、
大きな問題や
大切な抽象的な話について
語ればかたるほど、
その本人の
【言ってることと、やっていること】の
そのギャップが大きければ、
本人が、
どんなに良いことを言っていても
信用されなくなったり
相手にされなくなる。
以前、
著名な大先生と言われる
ある方の講演会…
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