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ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
サックスの石脇サンタです。
昨年大阪音大のジャズ科を出て活動をしております。
卒業後から関西を中心にその他地域でも演奏や裏方で沢山の本番に携わりました。
行動力、発想力を信じ、全力で駆け抜けようと決めたこの激動の一年を振り返ります。
2024.02.27
一年前、私はビッグバンドのリハのために同志社大学にいました。学生最後に友人達と演奏する機会を年相応に楽しみに帰路についていた今出川駅、お世話になっている京都RAGの秋葉さんから一本の電話がありました。
今でもあの体の内側から冷たくなる感じ、事情を理解しようと脳が今までに無いくらいに働いてそこだけ熱くなる感じも、それでも外面は取り乱すことなく冷静な自分が信じられなかったことも、ハッキリと思い出せます。
高槻のジャズストリート、その他ライブ、みんなにとにかく知らせなきゃという使命感とそれでも何と書けばいいか、自分も納得してない信じられないことをどう伝えたら良いか、帰り道の電車の中で驚きと悲しみの返信や電話が来るたびに、自分だって信じられないよとここで初めて動揺が襲いかかってきたのを覚えています。
音大の演奏会に仕事で来れなかったところを打ち上げだけ来てほしいとお願いして来てもらって、2/16のKHAMSINのライブレコーディングで最後に会って、なんなら学生最後にRAGで2フロントでライブも決まってたところでした。
その後の本番から私は先生の赤と私の白をイメージした付け毛を付けて本番に臨むようになります。人前に立つのが怖い時、ここぞという時自分を鼓舞するために白髪のウィッグをつけて本番に臨んでいた時期もあったのでなんだか懐かしい気もありました。今見返しても見た目は変なのですがお守りに人からの目は気になりません。亡くなった後一ヶ月はその後初めて会う人ばかりで心配の声をたくさんいただきましたが、その言葉一つ一つに支えられて私はひたすらに次の本番に向けて走り続けていました。
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3/14には音大の首席演奏会がありました。なぜか13-15の3日間のうち私の出る日だけ2階席が開いたらしいです。
the most important question/M.Guiliana、卒業試験で披露したAfrican Skies/M.Breckerの2曲を披露し、終演後舞台上で天に拳を掲げました。なんとなく天からも拳が出されてる気がして。
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先生は最後の成績にも「秀」をつけてくれました。涙々の最終レッスンは伴奏を流しながらの20分間ノンストップバトルソロ、寂しいと泣く私に「ワシ死ぬんか」と笑ってくれました。流石関西人、フリオチに命を懸けすぎです。
レッスンというよりは週一のM.Brecker好きトークの時間でした。隣の教室ではお上品にスタンダードを練習している中、「サンタ見てみろ、サックスは複数音同時に出せるんや!」とどっちが子供なんだか分からないウキウキ具合で音が大きい二人でビャーとかやって楽しくやってました。
卒業演奏会でこんな演出をしたい。と映像を見せたり、LogicでEWIを動かしたりmixをしてみたり、興味のあることは全部やりました。
サックスに縛られない、私の音楽の先生です。
そして迎えた3/26、学生最後の本番、「Hohmann Orbit」
お世話になっているRAGで元気にやり遂げました。
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ここで私は大変なものを手にしてしまいます。
Theo Wanne. DURGA5. opening 10.
先生の使っていた本物を奥様から託されました。2ndセットから音が大きくなったのはこれのおかげです。わざわざ輸入して試したのはあの人くらいのもので、未だに日本に一個しかないとのことです。言ってみれば伝説の剣を引き抜いた勇者みたいなものです。最後の方はバテと涙でボロボロの演奏ですが今でもたまに見返すライブの一つです。
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Hohmann Orbit
新年度になり、私は学生からミュージシャンになるために軌道遷移をします。
ここで私は目標を立てました。
自信家のような振る舞いをしよう。思いついたことは全部できる限り実現しよう。
と。
4/19,20,21 KHAMSINのツアーに同行、先生の楽器を舞台に飾る
5/3,4 代演含め9本番、先生の愛した高槻ジャズストリート
6/29 中野テルヲ・三浦俊一両氏のライブにゲスト出演
6/30,7/25 梅田GALLON出演、フュージョン、スイングの二面性
8/1 小西健司・中井敏史両氏のライブにゲスト出演
8/13 古谷光広生誕祭、娘さんの初本番も一緒に
8/25 グローバルJO入団、二代目1st テナー就任
10/21 Santa Ishiwaki BB in Tokyo開催
11/17 Santa Ishiwaki Group & Yu Kawabata BB、SIG総合演出担当
1/30,2/6 心斎橋プルースト出演
2/16 Santa Ishiwaki BB in Nagoya開催
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大きなイベントで言えばこのあたりでしょうか、卒業一年目ということでとにかく自分を知ってもらおうとがむしゃらに走ってきました。効率やマネジメントなどきっと第一線で活躍している皆様から見ればお粗末なものだとは思いますが、曲がりなりにもどうにか終わらせてきたという事実は私を勇気づけてくれます。
あのマウスピースにはきっと先生の命の音が宿っていると信じて旅をしてきました。「最後の弟子」「音大首席」「後継者」など嬉しい評価、応援をいただき勇気づけられることが多い中、うまくいかずにプレッシャーとして押しつぶされそうになることも恥ずかしながらありました。
誰かの心に寄り添う命の音は時として自分を救うには届かないという悲しさがあります。それでもあのマウスピースで演奏をしていれば二人分の力で私もまとめて掬い上げてくれると今なら信じられます。
私は残念ながら四年しか一緒にいられなかったので、この一年で元生徒さん、仕事仲間の方、ご家族、いろんな人にあの人の話を聞かせてもらいました。どうやら私のことを知らないうちに広めていてくれたらしく、君が最後の弟子か!と過去のお話を沢山教えてもらいました。もちろん私のイメージ通りのこともあれば若い頃のもっと尖っていた話、ただの一友達としての顔など、本人が聞いてたら顔まで赤くなるだろうなといういろんなお話を知りました。君から見た姿はどうだったんだと聞かれることも多く、怒鳴られたことが一回もないと言った時は、あの人も丸くなったね〜という反応をされました。
諦められていたのか面白がってもらえていたのかは今となっては分かりませんが、私はプラス方向に解釈しようと決めています。自信がない自分の流動的な感情よりも、もう真意を聞くこともできない励ましの方が大事だからです。いつか私が向こうに行って久々に会った時、本当に励ましてくれていたのを無碍にしていたことが分かって凹むよりも、お前自惚れてたなと細くなる目で笑ってもらう方が希望があるからです。
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サンタのこれから
上京します。
細かいことは何も決まっていませんが、高槻ジャズストリート以降を考えています。
今決まっている本番も多く、当分は関西との行き来になるので皆さんと会う頻度はあんまり変わらないとは思いますがぜひ3,4月のうちに沢山本番誘ってもらえたら嬉しいです。
ここで初めて知る方の方が多いと思います。直接のご報告ができなかった皆様ご容赦ください。
この一年を比較的悔いの無いよう思い切って過ごそうと決めたのはいろんな理由がありました。
首席をとったからにはとにかく認知されなければいけない、全力でやらないと最後の弟子の名が廃る、一周忌までになんとかやってるよと見てもらわないとという焦り、良いこと悪いこと沢山ありましたが後悔はありません。ただ、一つ終えたところで「次はこうしよう」というアイデアは必ず湧いてきます。次がないつもりで全力でやったとしてもこうなら次を見据え続けた先生の無念は計り知れません。
自分の成長を実感する中で、成長した先にもっと上がいて圧倒される感覚というのは大きな刺激になります。その中で私はもっともっと広い世界を知りたくなりました。一つ気づいたこととして、私は自己表現としての音楽をやっているだけで、それはその他絵画や詩などの芸術表現と取って代わって何ら問題は無いということがあります。これは大きいコンプレックスでもありながら、刺さる人から見れば強いカリスマ性と結びつく力でもあります。いつかの時に一般人に分かるようなことをわざわざやらなくていいよと助言をいただいたことが今の私を作っています。
当たり前のことですが知らないことは認知ができません。既得の知の深いところを知っていてもその先にはもっともっと深い未知が必ずあります。また、もっと深く知った上で過去を振り返れば気づかなかった何かを得られることも確かです。
沢山の未知に触れ、自己表現に役立つ知識を得たい、しかし置かれた場所で咲けなければどこでも輝けるわけがない。と自分を縛っていました。その裏には今私と仲良くしてくれる人と離れたら本当に孤独になってしまうという恐れがあったのかもしれません。人間関係が下手な私は楽器を持つことでなんとか人と仲良くできているという自覚があります。しかし、関西以外で演奏する中で「今」成長しきっている私を初めて見る人が増え、その人たちとは楽器関係なく仲良くできていることに気がつきました。大人になる時間が解決してくれたのか、演奏者としての成長が解決してくれたのかは分かりませんが、何にせよこれは私にとって大きな自信になりました。しかし悲しいことに、学生時代のボロボロの私を知る関西の人と会った時に、私は心をその頃のボロボロに戻してしまうという悪い癖が出てきてしまい、その差を憂うようになったのも事実です。
大切な人を大切にできるように、また戻っておいでと言ってくれる人と仲良くし続けられるように、私は新しい地で武者修行をしてきます。
何も知らない中で、もしうまくいかなくてもこの一年の思い切りの土台があれば何にでも飛び込めるような気がします。未知は怖いものですが、今の私を支えてくれる仲間が待っている場所があると考えればどうにかなる気がします。どうにかなると言い切れない私にきっと未来の私はどうにかなったよと言いにきてくれると信じています。
宇宙の始まり以来原子の量は変わらず、今に至るまで引き継がれています。煙になって無くなってしまったなんて寂しいことを私は考えません。きっと先生の中の何らかの金属成分は私のマウスピースの一部分になりに私のところにきていることでしょう。たまに自分の音でも泣きそうになります。吹いてる最中も自分の力プラスアルファの力が出ていると思う瞬間があります。きっと優しく包み込むわけでも見守るわけでもなく、まだまだいけるぞ負けないぞと一緒に戦ってくれているのでしょう。
いつか古谷家のお子さんがこれを扱うだけのパワーを身につけた時には返納するつもりでいます。それを楽しみにこれからも息を吹き込み続けます。
長かった旅とはいえまだ一年、焦っているのは自分だけでまだどうにでもなると応援される年齢であることは事実。それなら自惚だろうがなんだろうが言われた言葉を一生信じ続けてこれからも走り続けてみます。きっと年上になった私が向こうで再会した時に「お前もジジイやな」と笑ってくれると信じています。
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最後に
デトロイトから帰ってきた時に「もう一組連れて行けるならお前のビッグバンドだったな」と言ってくれたこと、「俺がもしもの時のKHAMSINはお前やな」と私のコンプレックスを愛嬌と笑ってくれたのも。最終レッスンで「もうお前ほどの生徒に出会える気がしない」と固い握手をしてくれたこと、音大の演奏会の打ち上げで「最後まで音楽家として死にたい」と周りのガヤガヤに二人の世界で背を向けてライブの構想を企んだのも、言った通り最後の最後をライブの日にしていってしまったことも。
ずるいけどかっこよかったなあと、過去形にするのが今でも寂しいのが本音です。
音大の生徒のまま、ミュージシャンとして会うことはもう無いんだなと思う反面、二流の古谷光広ではなく一流の石脇サンタを目指す踏ん切りがついたのも本当です。こんなに凄い人を育てたんならきっと素晴らしい先生なんだ、と思わせられればそれが一番の先生孝行であると信じています。
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自分は自慢の弟子なんだと信じることは先生を信じること。最後に話した「俺ら似てるな〜」という言葉に恥じないようこの一年は世界観の年としてきました。
作曲家ラヴェルが弟子入りを希望したガーシュウィンに「二流のラヴェルではなく一流のガーシュウィンを目指しなさい」と諭した話を思い出す今日この頃ですが、それが美談になるのはガーシュウィンが実際に一流であるからです。この想起が自惚れだと笑われないようにこの先頑張るのは自分自身、道中折れることも多いことは覚悟の上、私は新しい人生を進んでいきます。今年の初夢みたいにまた会いにきてください。私が会いに行く頃にはもっと大きな男になって会いにいきます。
古谷先生、改めて本当にお世話になりました。
拙い文章お目汚し失礼しました。
今後も石脇サンタをよろしくお願いします。
思い返してみれば赤がイメージカラーの先生の弟子がオレンジで有名になるのはでき過ぎた話かもしれませんね。
そこそこちゃんとした服で撮るなら教えてくれよ pic.twitter.com/aMNUyI7G7P
— ・ (@T_saxatilis) February 28, 2024
最後まで読んでいただきありがとうございました。