竈炊飯治郎 第17話 スネ夫なのにのび太
子どもの頃、スネ夫と呼ばれていたボク。
そのことを知ったのは成人になって同窓会があったとき、同級生から、「子どもの頃、お前は本当にスネ夫のようだった。だから俺たちはお前のことをスネ夫様と呼んでいたんだよw」
え?
大阪に住んでいた祖父は、娘(母)が滋賀県に嫁いで、初孫の私がそこで暮らすことを「田舎に埋もれてしまう」と大変心配していました。なので祖父は、同級生の中で「持っているものだけは一番になる」ようにと、常に田舎にはないオモチャを好きなだけ買ってくれました。小学生の時は自分自身、スネ夫だとは思っていませんでしたが、友達はそんな私のことをスネちゃまと呼んでいたようです。
大人になり建築系の大学を出て、大阪の建築事務所に務めたとき、真面目そうなのび太になっていた私は、天然パーマと色白を大阪人から相当いじられました。(これは大阪ローカルルールですが、おとなしかったのび太は、先輩達のボケにうまく突っ込めず、おもんないと言わました。)そして田舎のボンと呼ばれるようになったのです。ボンのところはまんまスネ夫ですが、祖父が恐れていた通り、田舎の人になっていたようです。先輩が気を遣って、せっかくボケてくれているのに、当時はそれにどう答えたらいいのかわかりませんでした。今思うと本当にチャンスを無駄にしたなって思います、関西人的には。田舎でえーかっこしーに育ってしまった私は、自分を卑下して笑いを取るような高度なテクニックはなく、本当に勿体なかったなと、今なら痛感します。笑わせられない関西人は鳴かないカナリアのようなものです。
まぁ、ええかっこしーは師匠に出会って指摘されるまで気がつきませんでし、むしろ良さがわからないお前らが悪い、とさえ思っていた裸の王様でした。
スネ夫ネタでは、子どもの頃「ドラゴンボールのカード」が好きで、1回100円で回すとカードが出てくるガチャがあり、一日中祖父が横について丸々一台分のカードを出し切りました。朝一で行って回したのにもかかわらず、欲しいカードが出なくて、祖父も一緒に悲しんでくれました。今思うと、いいカードはあらかじめ抜かれていて、カスばっかり入っていたのだと思います。ここで大人の事情を学んだ私は、それ以来ガチャは絶対にしない子になりました。祖父は1万円使ってもそれを教えたかったのかもしれません。1日1回100円ずつ回していたら、いいカードが入っていないことすら気がつかなかったでしょう。
スネちゃまとして育てられていたのに、いつの間にかのび太になっていた私は、大人になってからは、あたかも出木杉くんのように振る舞っては、多くのところで失笑をかっていたんだなぁ〜と後悔しています。いまは、そんな自分も改まって、ドラえもんの秘密道具を持ったのび太なる事を目指して日々奮闘しております。