見出し画像

躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる

子曰く、躬(み)自(みずか)ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨(うらみ)に遠ざかる。
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。
(衛霊公第十五)

自分の責任を問うことには厳しくし、他者のそれは穏やかにすれば、人から怨まれることがなくなるであろう。

政治家たるもの

自己の責任を厚くする・厳しくするけれど、周囲の責任は強く求めない。
孔子の下に学びにくる人はほとんどが政治に関わることを希望した人です。
そういった者が、責任を人に押し付けたりするようであってはならないということを述べています。
裏金問題などで責任が問われている内閣にとっても耳の痛い言葉かもしれません。

指導者たるもの

気心の知れたスタッフと一緒に仕事をしていても、僕は自分が負うべき責任の前では常に孤独だ。責任を放棄するつもりもないし、そこから逃れられるわけでもない。
―ジネディーヌ・ジダン(元フランス代表,元レアル・マドリード監督)


W杯アジア最終予選「サウジアラビア×日本」を観た後に書いていますが、この敗戦により、サウジアラビア代表監督のロベルト・マンチーニの退陣論がより高まることでしょう。
Jリーグでも残り5節で現状4位となり優勝争いは厳しくなった鹿島アントラーズは、今期から監督に就任したランコ・ポポヴィッチの解任を発表しました。
監督としてはクラブに責任を取らされるのではなく、その責任を背負うためにクラブと対等に近い状況で仕事できるように、最大限に選手・チームに変化を与え、運も引き寄せながら結果に反映しなくてはなりません。
責任は取るものではなく、果たすものです。

育成年代でも結果が出ない時には、様々なところに歪みがきます。と同時に結果が出ている良い時期にも、その中で難しい状況になっている選手がいることもあるので、そういった選手にもきちんと目を向けていく必要があります。
指導者に安心などありません。

子ども達にも責任を持たせる

子ども達にも子ども達に見合った責任を適切に与えていく経験は非常に大切だと思っています。
スタートで試合に出る責任、ゲームチェンジャーとして途中から試合に出る責任、上級生としての責任、キャプテンとしての責任など、その責任があるからこそ、自ら考えて行動する主体性、仲間と協働するコミュニティ形成力、想定外が起きた時の適応力、精神的なタフさなどを身に付けることができることと思っています。

私が全てを創るのではなく、キャプテンの選手にもこの試合で何を思っているか、何を感じているか聞く様にしています。またキャプテンが感じていることをその言葉で表現するようにも伝えています。
その方が、彼も成長できる他、チームの中にも意見を出していく勇気を増やしていくことができます。
クラブでも、学校でも、もちろん家庭でも、子どもの頃から責任を持つ経験を周囲の大人達が大切にして与えていきたいものです。

いいなと思ったら応援しよう!