君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む
子曰く、君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む
子曰、君子求諸己、小人求諸人
(衛霊公第十五)
優れた教養人は、責任を自分に求めるか、知識人は責任を他者に求める。
自責思考
小人とは一般の民ではなく、為政者を目指す知識を得ている者を指し、その中にあって君子は、知識のみならず十分な徳性を兼ね備えた者を指すこととなります。
為政者を目指す人達の中でも自責思考と他責思考、そして無関心な人で分かれたのかもしれません。
試合の結果や失点の原因、試合をうまく進めることができない時に、選手がチームメイトのせいにしたり、指導者が選手のせいにしたりといった他責思考では、自身の成長や自身のチームの存在意義が高まっていかないと思います。
もちろんどこまでも自分自身が責めを負い、自身を卑下する必要はないでしょう。
まずは「自分事にする」ことが大切でしょう。
自分事にすることで、指導者が伝える一言一句も、試合でチームメイトに起きた成功も失敗も、全てが自分の気付きとなり、見える景色は大きく変わるのではないでしょうか?
主体的にプレーする
自ら考えて、自ら判断・決断し、自分で解決していく力が選手としては必要です。
またサッカーはチームスポーツでもあるため、仲間と考えて、仲間と判断・決断し、仲間と解決していくといった繋がる力も合わせて必要です。
主体的にプレーすることで本当に自分のモノになり、成長になるはずです。
しかしながら、指導をしていると「自分ではない感」が表れてしまう選手もいます。責任を避けることが習慣化しないように、心を変えていく必要がありますし、責任を持ち、所属感を感じられることに喜びを感じてもらいたいと思っています。
選手は指導者の鏡
選手の責任を大きなモノ、大きすぎるモノにしてはいけません。
「勝利は選手の力であり、敗戦は指導者の力不足」です。
育成年代の指導者であっても、指導者であればその姿勢を持つ必要があります。
選手達に責任の所在を擦り付ける、選手達の文句を言うなどはあってはなりません。
「選手は指導者の鏡」です。
選手達が試合の中で十分なパフォーマンスを発揮できないとすれば、それは指導者の問題です。
ピッチの中のテクニック・判断力・サッカー理解・プレーモデル・苦しい時間帯でのメンタリティなど、またピッチの外のマナー・言動・立ち振る舞いに至っても、指導者がそれを選手達に教えているか、伝えているか、もっと言えば、選手達がそれらを必要と理解し、主体的に取り組むこと日常をつくっているかが問われます。
全て指導者に返ってくるものであり、だからこそ指導者の仕事の難しさを痛感します。
自分事にし、徐々に自分事の範囲を広げていく生き方を心掛けていきたいものです。