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映画『君たちはどう生きるか』を私たちはどう観るか。

正直一回映画館で観ただけでは理解が追い付かなくて、でももう一回観に行く時間がなくて、薄れゆく記憶をたどりながら感想を書きます。作品については賛否両論ありました。宮崎駿監督が興行度外視で自分で作りたいものを作った(これまでは妥協してきた)ためでしょう。芸術性の高さから、おそらく米アカデミー賞 長編アニメ映画賞とるんじゃないかなと思います(外れたらごめんなさい)。私は過去のどの作品よりもいい最高傑作だと思っています。理由を書きます。


最高傑作なのに、なぜ苦手な人がいたのか

映画が公開後、観て裏切られたという人が多くいました。子供も一緒に観れて、原生林や鎮守の森、里山的景観(もののけ姫、トトロ)の美しさ、そこに少女の成長(ナウシカ、魔女の宅急便、ぽにょ)、自然と人の共存・共生の在り方(ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫)を問うていくのがジブリ映画の一つの魅力でした。それと比べると、『君たちはどう生きるか』の映像はよりリアルで時にグロテスク。決して観客に楽をさせないものでした。これまで興行面に配慮せざるを得ず、観客を楽しませるために妥協してきたはずです。それゆえにナウシカ映画版とナウシカ漫画版の違いのようなものが生じました。映画版ではオウムとナウシカが心を開き、感動のフィナーレ。漫画版はオウムが担う人工的な清浄な生態系を否定します。漫画は個人戦ですが、映画は団体戦。クリエイターが自分で作りたいものを作るという当たり前のようなことが決して簡単なことではない中で、今回は妥協なく作りたいものを作った。自然と人の共存・共生の在り方ではなく、生と死、そのあわい という難題に挑んでいます。その妥協のなさに感動しての最高傑作という評価でした。

母性、父性への葛藤

もう一つジブリ映画には特徴があります。だいたい親がいない。とくに母親がいない。いても、どこか距離がある。これは宮崎作品の特徴です。宮崎監督自身の幼少期の経験(母親が脊椎カリエスで寝たきりに)が反映されているとか。幼少のナウシカが飼っていたオウムを取り上げられるシーンにも冷たい母親がいます。ただ、そういう親の喪失、保護からの自由が主人公の冒険を可能にしています。ナウシカ漫画本は自然と人、虚無など多くのテーマを盛り込んでいますが、その一つが母性でした。巨神兵の母となるナウシカが「子ども」(オーマ)と信頼関係を作り出していく。正直、私にはピンと来ていないのですが、少なくとも人間とは何かを問う中で外せない話だった。それがついに主題になった。ただし、ナウシカ漫画本の違和感を持っていないと、映画君たちはどう生きるかでなぜ突如として母というものがクローズアップされたのか不思議に思った方もいたのではないかと思います。

原作『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)

原作『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)は、日本が戦争に突き進む中、父を亡くした子ども(コペル君)と母の弟(叔父)の対話を通して人間がどうあるべきかという未来世代へのメッセージが込められています。大ベストセラーで漫画もあるようですが、やはり文庫本です。美しい日本語、小学校の道徳の学びなんてこれ一冊で十分だと思うほどの内容です。この本でも「君は、消費ばかりしていて、何一つ生産していない。しかし、自分では気づかないうちに、他の点である大きなものを日々生み出しているんだ、それはいったい何だろう。お互い人間であるからには、誰でも一生のうちに必ずこの答えを見つけなくてはならないと、僕は考えている。」答えは読者に委ねられています。私でも、CO2、排泄物とかそーゆーことじゃないことは分かります。どう生き、生かされていくかという自分と社会との関係性、人格的なもの、あるいはその歩み、歴史、罪(原罪的なもの)のことでしょうか。原作は、映画版でも登場し、亡くなった母から眞人へ贈られます。単純明快な父(拝金、軍事で稼ぐ罪深さの意識が薄い)は好き(?)だけれど、こうはなりたくはない軽蔑・葛藤、対して、母性への憧れと喪失感。軍事マニアでありながらも平和主義者という宮崎駿監督の抱えてきた、こういう葛藤が作品のテーマになっています。

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映画の解釈

映画の一つの解釈として、アオサギは鈴木敏夫プロデューサー、眞人は宮崎駿監督、大叔父は高畑勲監督がモデルでアニメ業界のこれからを問うている(積み木13個を積み上げるのはジブリ作品の数と一致するという都市伝説あり)という話もあります。鈴木プロデューサーからのネタばらしでもあるとか。でも、違います。眞人は宮崎駿監督がモデルなのは間違いないでしょうが、アオサギももう一人の宮崎駿監督の声のようでもあり、大叔父はパクさん(高畑勲監督)を内在させた宮崎駿監督でもあるので、単純に当てはめて考えるのは理解を難しくすると思います。13の石についてはマヤ文明の話を引用していると思ったのですが。

私の推論を前に言っていた人がいないかネットで検索すると・・・すごいのが出てきました。神隠しに相当する石の塔の時空のゆがみとも対応するというのです。すべてはこちらを。これが正しいというわけではなく、マヤ文明にヒントを得て、自分の作品数や戦争の時系列に合わせたという感じでしょうか。いろんな解釈ができるのが楽しいし、答え合わせがないのも楽しいです。

私の感想

象牙の塔のような建物(石の塔、三鷹の森に似たようなのありますね)で、築き上げてきたアニメーション業界の盛衰、そして自分自身の生と死、そこに存在する輪廻転生の不思議、やはり母性への(中沢新一さんの常套句を借りるなら)エロティックなまでの渇望。後妻(にして母の妹ナツコ)が眞人にお腹を触らせる場面、神隠しで「下の世界」にいるヒミ(のちの母)の抱擁(悪意もある自分を無条件に受け入れてくれる)、のちに死ぬ運命も受け入れて眞人を産むという選択、産屋の禁忌感など。そして映画版ナウシカやトトロで自然との共生を美化するかのように受け止められた(伝えたいことが伝わらない)もどかしさから来るグロテスクさへのこだわり。宮崎駿監督の個人的なものを多分に含んでいるがために、そんなの要らないという人もいたと思いますが、芸術家(思想家+エンタメ)ってここまで突っ切れるといいよね、と思いました。たとえ世界が壊れるとしても(漫画版ナウシカでも墓所を破壊、清浄な世界を否定)、悪意を原罪を抱えながら生きていくしかないという覚悟。これは原作『君たちはどう生きるか』の本質的テーマの一つでもあり、表象は違えど宮崎作品を通して訴えたいことであり、それが最も色濃くでた作品に米アカデミー賞はふさわしいのではないかと思ったのです。もっというと、賞なんて他者の評価はどうでもいいと思っているはずです。



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