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#横浜記録 をやってみて -自分のルーツを辿る旅
曲をつくるお寿司、sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司です🍣
突然ですが、私は横浜郊外出身です。
幼いころは両親に連れられて横浜に行ったり、山下公園の写生大会に参加し(させられ)たり、高校生のころは予備校で、大学生のころはアルバイトで、毎日のように横浜にいました。
社会人になって横浜を離れ、東京で仕事をしました。それで何年か働いて、いろいろ疲れて、2019年、ある時気づいたらお寿司になってました。
そこから、sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司として、ずっとやりたかった音楽制作をするようになりました。オリジナル曲もいろいろ作りました。
そして、何年か経って、2023年。ふと、生まれ育った横浜のことが気になるようになりました。明確な理由やきっかけは自分でもわからないけど、ときどき横浜に行ったときに感じる、懐かしく、少し寂しい気持ち、それがなんなのか気になって、
それで僕は2023年頭から横浜のことを調べて、懐かしい場所や、いずれ無くなってしまいそうな場所に行って、写真を撮って記録して、それを『#YOKOHAMA ARCHIVES』と名付けて同人誌としてまとめました。2023年秋に第一弾、2024年春に第二弾、秋に第三弾と3冊作ったので、一旦冊子としての制作は終わろうと思っているのですが、それにあたって、これまでのことをまとめておこうと思い、このnoteを書き始めました。
横浜を記録することは、自分のルーツを辿ることでもありました。
横浜という街の表と裏
横浜に住んでない方からすると、横浜はおしゃれな街で、デートスポットで、キラキラした街というイメージがあるかもしれません。自分にとってもそうで、夏の花火大会、クリスマスのみなとみらいなどなど・・・、中学・高校・大学と、僕にとって思春期になってからの横浜は、友達と遊ぶ場所、イベントの時期にデートする"明るい場所"でした。
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2009年に横浜開港150周年を記念した開国博Y150という博覧会がありました。自分の記憶はかなりあいまいではあるけど、それでもチケットが配られたか買ったかで行った記憶があります。なんかよくわかなかったけど、未来的で明るい横浜、のイメージがありました。
でも、ふと思うと、いつから横浜ってそんなイメージだったんだろう。
幼少期両親に連れられて行った、桜木町駅の裏側(みなとみらいと逆側)には、ガート下にびっしりとストリートアートが描かれていました。いつの記憶かはさなかではないけど、そのガードの前の大通りで、右◯の街宣車が大音量でスピーチを流しながら警察とぶつかっていた記憶もあります。
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今ではK-アリーナや、Zepp Yokohama、他にもたくさんのビルが並んでいるみなとみらい地区は、無数の広い空き地があって、いつまでたっても開発されていない場所という印象でした。
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父に連れていってもらって、ゴジラの映画を相鉄ムービルで見ました。ムービルの横には煌々と光る18禁・テレ◯ラの看板があって、どこか古びて猥雑な印象で、その看板の意味は中学生になってから知ったりしました。
母に連れられて、まだ商業施設としてオープンする前の赤レンガ倉庫に行った記憶もあります。そこでも写生大会があって参加しました。(よく写生大会参加させられてた。絵は下手だった)当時のあの場所の記憶は、海風が強く、何もなく殺風景。
関内駅すぐの地下街、ずらっと並んだホームレスの段ボールハウス。駅前の古い仕立てのビル、横浜駅北幸のラブホ街、鶴屋町の橋を渡った向こうのなんとなく危なそうな感じ・・・。
子供の頃の僕にとっての横浜は、"なんとなく怖い場所"でした。それがいつからか思春期に感じていたような"明るい場所"に変わっていきました。それはもちろん自分が変わっていったという過程もあるでしょう。でもそれだけでもないように思う。
調べてみて知ったのですが、桜木町ガード下の落書きは、開港博Y150のために2008年に全て消されたそう。その少し前の2005年には、黄金町の違法風俗街の摘発も行われました。そのあたりのことはこの本に詳しく書いてあります。
さらに時を遡ってGHQ占領時代の捨てられた子供たちの話、そして開港時代の公娼の話など、進歩的な街、未来的な街というイメージの裏側にもいろんな歴史があることを知りました。(それがいい・わるいではなく、歴史としてあったということ)そのあたりはこの本に書いてあります。
思春期にはキラキラした進歩的で未来的な街だと思っていた横浜も、街は、表の部分だけじゃなくて裏の部分と表裏一体で、それが同時に存在しているんだと、感覚で理解できたような感じというか、腑に落ちた感じがしました。
横浜のことを調べていくほど、"幼少の頃の怖い横浜のイメージ"と、"思春期以降の明るい横浜のイメージ"とが、今でも共存していて、裏の部分は時間経過と経年変化によって見えづらくぼやけているけれど、確実に歴史として街の至る所に存在していました。それを自分なりに一言にまとめると、横浜は、"反対のものが共存する街"なのではないか、と感じるようになりました。
もちろん横浜だけが特別だとは思いません。どの街にもいろんな歴史があって、多かれ少なかれ光の部分と闇の部分を持っていると思います。ただ、横浜は開港の街ということと、戦後進駐軍が多くいた街としての2点で特殊な事情がある街でもあるとも思います。
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自分で撮ったこの写真が気に入ってます。奥のランドマークタワーは言わずとしれた横浜の進歩的、未来的な表の象徴。そして、手前に見える建物は都橋商店街。川の向こうは戦後闇市として栄えて今は飲み屋街になっている野毛。野毛の奥は黄金町で、写真の手前は風俗街福富町があって、いわば横浜の裏の部分。それが一枚の絵に収まるこの感じが、僕の思う横浜のイメージにすごくしっくりくるものがありました。この写真は『#YOKOHAMA ARCHIVES』冊子第一弾の表紙にもしました。
反対のものが共存している街、古いものと新しいものがまだギリギリ共存している街。古いものは時間経過によって、東京がそうだったように、どんどん塗り替えられていってしまう、それを少しでも自分の目に映る範囲で記録に収めたい、というのが#横浜記録 #YOKOHAMA ARCHIVES の意味だったと、2年経って最初の思いに戻ってきたと感じました。
反対のものが共存すること
あんまり、曲の解説じみたことは基本的にはしたくないのですが、と前置きした上で、
僕はずっと、"反対のもの"が書きたいと思っていました。
100円の寿司と、回らない寿司のその両方の幸せを、
楽しいことばかりじゃないからハッピーを歌っていたいし、悲しいことばかりじゃないってわかってるのに涙がでるということ、
それは、最強で最弱な私、であったり・・・。
毎回このテーマで作るわけじゃないけど、ことあるごとに反対のものが同時に存在すること、反対のものが等しく美しいこと、を書きたいと思ってきました。
これらの曲は横浜に興味を持ち始めた2023年より前に作ったものですが、横浜のことを調べていくうちに、"反対のものが共存する"というテーマのつながりを感じるようになりました。
同人誌『#YOKOHAMA ARCHIVE』には、各巻に1曲ずつオリジナル楽曲がついて、直近で作った第三弾には「寂しくて幸せな夕方」という曲が収録されています。
小学生のとき、ひとりっこでなおかつ両親共働きで、ひとりで夕方ずっとアニメの再放送を見ていた時の、寂しさと幸せという反対の気持ちを書いた曲です。横浜のことを調べながら自分の子供のころを遡っていく中で、自分の中に生まれた"反対のこと"が、寂しくて幸せな夕方という言葉になって曲になりました。#横浜記録 をやらなければきっと思いつかなかった曲で、自分のルーツと、大切にしていることに気づくことで生まれた曲なので、自分にとって大切な曲が書けたと思いました。
この曲は現在、BOOTHでの音源販売か、YOKOHAMA ARCHIVESをご購入いただくことでした聴けないのですが、まだ未定ですがいずれ各種音楽配信サービスなどで配信する予定なのでそれまで待ってもらえたらと思います。今すぐ聴きたい方はこの文末のBOOTHからぜひ。
#横浜記録 の意味とこれから
#横浜記録 は、いずれ無くなってしまうであろう横浜のスポットを写真に収めて記録する、として始めたことでした。前ここにあったビル、今は壊されてもうないけど、思い出そうとしても前に何があったかって案外思い出せなかったりして、横浜の街にはギリギリまだ僕の子供の頃の記憶にある場所が残っていて、それを記録しておきたいなと、具体的なきっかけは思い出せないけど、なんとなくそんな気持ちで始めたものでした。
それが広がって、歴史などを調べて、行ったことない場所に足を運んで、歴史あるお店でご飯を食べてみたり、
そして2年に渡って横浜のことを調べて、自分のルーツや音楽制作の思想の深いところに、横浜という街と過ごしてきた記憶があることに気づきました。そしてシンプルに、横浜のことがもっと好きになりました。
冊子に同人誌としてまとめるのは一旦これで終了ですが、表の部分も裏の部分も興味深く、面白く、まだ行ったことない場所、知らない歴史もいっぱいあります。それを知ること、自分の目に見える範囲で記録することを、これからも続けていこうと思います。
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— sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司🍣 (@araki_s_sumeshi) June 17, 2024
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ご興味ある方はぜひ、インスタグラムで横浜記録を見ていてくれたら嬉しいです。
まとめ 〜ルーツを辿る旅の続き
#横浜記録を通して、自分のルーツを辿り、表現したいテーマを再認識し、そして生まれ育った街のことがもっと好きになりました。
これから、来年以降は、もっと自分の表現したいことに向き合うタイミングなのかもしれません。sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司として5年間活動してきて、これからまたどんな音楽をつくろう、どんな活動をしよう、そんなことを考えながら、もうすぐ2024年も終わりです。最後は僕の大好きな細野晴臣さんのアルバム『はらいそ』から"この次はモアベターよ"と言って終わろうと思います!
では!
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