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噓日記 8/25 害虫

これは友人の身に実際に起こった話だ。
私と彼は幼馴染で幼少期から多くの時を共に過ごした。
そんな彼がこの話を聞かせてくれた時のあの鬼気迫る表情が今でも脳裏にこびりついている。
話の時間軸としては今から約20年ほど前。
我々がまだ小学生だった頃に遡る。
当時は団地暮らしや社宅暮らし、家持ちなんて言い方をしてそれらの住居をコミュニティの軸としているきらいがあった。
まだ今よりも家制度が深く生活に根付いていた証左だろう。
そんな中、我が家も友人家もそんなコミュニティに属するほどの裕福さはなく、全体的に赤茶色をした貧乏長屋のような見窄らしい見てくれの平屋アパートに居する、言わばコミュニティ外の存在であった。
地域からもやや切り離されたような、村八分とまではいかないが大手を振って往来を行くことは許されていないような、そんな居心地の悪さが確実にそこにあった。
そんな弱小な家庭は自然と互いに手を取り合い、弱い紐帯となって共に助け合って過ごしてきた。
私と彼が友人となったのもこの時である。
そのような弱い存在は子供の残虐性の的にかけられやすく、私も彼も今で言ういじめの被害に遭っていた。
我々は互いを庇い合い、いつか強くなろう、いつか見返してやろうと共に誓い、日常を駆け抜けていった。
そんな折、ある日彼から一つ相談を受けた。
最近、家に不快害虫がよく出る。普段なら気にもしないのだが量が量だけに気になってきた。どうにかならないだろうか、と。
我々のアパートは当時時点でも相当古いもので、まぁ多くの虫が出た。
子供なのでそれほど虫は気にしていなかったが、不快害虫となれば話は別でやはり気持ちが悪かった。
よし僕がそれをどうにかしてやろう、当時の私はそう思い立ち近所で唯一親切にしてくれる老婆宅を訪ねた。
老婆にそのことを相談すると、いくつかの忌避剤を袋に入れて渡してくれた。
そしてそれを渡す時、グッと私の手を掴み言った。
「間違っても食べたり、イタズラに使っちゃいけないよ」
私はやましい思いがなかったにも関わらず、碌に礼も言わずにその場を走り去った。
貰った忌避剤をそのまま友人に渡し、仕掛け方を伝える。
部屋の陰になったところに転々と置いておけば、いつのまにか死ぬらしいぞ、と。
友人からはありがとう、ありがとうと何度も礼を言われ、いい気分のままに別れた。
そして、その翌日のことだ。
彼が私の家の戸を何度となく叩く音で目が覚めた。
どうしたどうした、と両親も起き上がり彼に事情を聞いた。
「朝起きたら、父ちゃんも母ちゃんも居ないんだよ!」
それから暫くして事態を把握できたのだが、彼の両親は彼を置いて蒸発したらしい。
彼が忌避剤を置いた日に、タイムリーに。
それ以来彼は居なくなった両親のことをゴキブリと呼ぶようになった。
そんな彼が後にポケモンカードの店舗大会を出禁になったのはまた別の話だ。

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