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噓日記 12/6 エレファントインザルーム
部屋の中の象(エレファントインザルーム)、なんて言葉がある。
部屋の中に象がいるという違和感に誰もが気付くがそれに誰も触れられない。
気付いていても見て見ぬ振りをする。
そんな、触れてはならないタブーのことを部屋の中の象と表現する。
海外で使われる表現なのだが、思えばタブーというものが可視化されているのならばここ日本でも同じような表現を用いても伝わりそうなものだ。
なんなら皆が同じように気付きながらも見て見ぬ振りをする、それはどちらかといえば日本人的な振る舞いと言えるかもしれない。
ここで私の人生を振り返ると、間違いなく部屋の中に象がいた経験がある。
あれは私が小学生の頃に遡る。
当時学年で一番勉強が出来る児童がいた。
運動やコミュニケーションは苦手だが、ただ勉強が出来るという一点のみでスクールカーストの外枠に移動した者、それが彼だった。
物静かだが勉強が分からない者がしてくる質問に懇切丁寧に答えてくれる、そんな優しい人間であった。
そんな彼が授業中に一度やらかしたことがある。
脱糞したのだ。
物静か故に、トイレに行けず失敗をしてしまった。
教室内に漂う異臭。
複数の生徒がそれに気付き、教室内に不穏な空気が流れる。
教師が慌てて彼を教室から連れ出して行った。
普通、小学生ならば、特に当時のような倫理観の欠片もない小学生ならば、教師が教室から出て行った瞬間に大騒ぎするはずだ。
だが、我々の教室を包んだのは静寂。
異臭と静寂が場を支配した。
思えばあの静寂こそが、教室に象がいたという証左なのだろう。
誰かがそれに触れてしまえば沸き起こるであろう悲鳴と怒声、口火を切る人間がいてもおかしくない。
しかし失敗してしまった彼はスクールカーストの枠外。
そんな脱糞した人間をなんならこれまで敬ってきていたという共通認識と、彼に遜ってきた我々のプライドが、行動にブレーキをかけたのだ。
彼を叩いてしまったら脱糞した人間を敬ってきたということになる。
身分制度に革命が起きてしまう。
ならば、そう。
そこに求められるのは沈黙だけなのだ。
我々はその日、早退した彼を置いてテンションが低いままに教室の象を飼い慣らした。
そして週が明け、彼はまた学校に戻ってきた。
彼の脱糞を揶揄する者は誰もいない。
我々は卒業までその大きな象を飼い慣らしたのだ。
以上が私の人生で初めて部屋の中に象がいた経験である。
そしてここから話は急転直下する。
先日の同窓会。
私は口火を切った。
「あいつ、うんこ漏らしたよね?」
会場は熱気に包まれた。
今まで解放されなかった象が、暴れ出した。
惨劇の夜明けは近い。
私はその日、ジョーカーとなった。
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