噓日記 12/26 クリスマスのあと、静かな街
ここ数週間続いていた喧騒も落ち着いて、静かな街が戻ってきた。
街を華やかに彩っていた照明も昼の間に撤去されたのか、煌びやかな煩さは消え失せ、夜は冬本来の姿であるグレーに濃紺を混ぜたような鈍い色の空に戻っている。
そんな深い空を眺めながら家路を辿る。
ビジネスバッグを極力振りまわさないように受ける重力のままにダラリと腕を垂れ下げて、冷たいアスファルトに革靴を鳴らす。
パタリ、パタリと鳴る足音が均一なペースになるようにその音だけに集中して、自然と足を回転させる。
メトロノームでリズムを取るように、パタリパタリが心地よく静かな街に響いている。
反響する足音が空に染み入るように突然シンと消えていく。
それを追いかけるように次の足音がまた響く。
現れては消え失せ、消え失せては現れ。
波紋のように広がっていくその音を中心に、自らが存在しているという実感を得る。
静かな街と抱擁を交わすうちに、その場に自分という存在が明確になっていくのだ。
光と音と人で華やかすぎた街に紛れて見えなくなっていた自己の外殻が引き締まる。
世界に曖昧に溶け出していた自分という形が分かってくる。
ここ数週間で見失っていたものを取り戻しているような、何処かあった喪失感が埋め合わされていくような。
そんな感覚に身を委ねつつ、次の一歩を重ねていく。
一歩、また一歩と日常を取り戻していく。
街の静寂は落としてしまった自己のピースを照らしてくれる。
そんなピースを足音と同時に拾い集める帰路に、少しずつ背筋が伸びる。
浮ついた雰囲気も、絆された感情も、伸びる背筋の上を伝って冷たい風が攫っていく。
涙さえ出そうになる。
存在の証明であるかのように、ただ漫然と私はここに立っている。
その喜びに打ち倒されそうになる。
それでも出ていく次の一歩が「生」であると私に訴えかけるように、またパタリパタリと音を奏でる。
街灯が首をもたげて私を照らす。
照らされた私の形が、私であることを祈る。
以下、意訳
今年もクリスマスで街がうるさくてたまらなかった。
家に居ろよ。
クリスマスも終わり、今日の仕事帰りには街が静かになってて愉快であった。
帰路、足音が響く度に世界に俺一人みたいで気分がいい。
俺という人間が存在しているという証拠を踏み鳴らして示しているようだ。
クリスマスに多少なりとも浮かれていた俺が少しずつ日常に帰っていく感覚。
そんでまたクリスマス一人で過ごしたんだね、という涙。
街灯まで俺を煽ってる。
なめんなよ。