見出し画像

噓日記 1/12 食器洗い

皿洗いが嫌いだ。
この世で好きな奴なんていないだろう。
いたら化け物だ。
躊躇なく撃て。
皿洗いの何が嫌いかって、まず洗ったところで得られるものが清潔しかないから。
料理をすると得られるのが豊かな食だとすると、皿洗いはその敗戦処理のようなもの。
皿を洗ったところで、皿を洗ったという結果しかついてこないのだ。
例えば彼女と一緒に料理をしたとする。
ハンバーグを捏ねてみたり、尻を捏ねてみたり。
楽しいことしかない。
もはや、完成までのプロセスを共有する体験と言い換えられるだろう。
それは未来永劫、楽しい記憶として忘れられないに違いない。
彼女と飯作ったことないし、ハンバーグ嫌いだからここまで全て妄想だがそうであって欲しい。
これは祈りだ。
世界一ピュアな祈り。
一方で、皿洗いを彼女とした、なんて記憶を持っている人間はこの世に一人もいない。
だって皿洗いってこの世で一番面白くないものの一つだから。
皿洗い、盆踊り、タイヤ交換、そのへんのこの世で一番面白くないものたちの記憶なんて誰も持っていない。
例え愛する彼女と一緒に皿を洗ったとて、二人とも虚無に意識を引っ張られて、賽の河原で石を積んでいる方がいくらかマシだと考えてしまうのが目に見えている。
皿洗い、やはり全然面白くない。
そのくせ、やらなかった時のデメリットがデカすぎる。
まず、使える食器の選択肢が減る。
使える食器が減るということは、皿洗いをしなければならないタイムリミットが明確に視覚できてしまうということになる。
精神衛生上、一番最悪なゴールの見え方だ。
そして、二つ目に虫が湧くかもしれないという恐怖。
あまりに放ったらかしすぎると虫がどこからともなくやってくる。
普通の人間で虫が好きな人間なんてほとんどいない。
いたら化け物だ。
迷わず撃てよ。
撃てば分かるさ。
大体の人間はオオハナマオウカマキリしか好きじゃないのだ。
しかし、皿洗いをサボって寄ってくるのはキショ昆虫たち。
名前を出すことさえ躊躇われるあの虫やら、見たこともねぇ小せぇ羽虫やら。
人のQOLを落とすな。
訳分かんねぇ虫殺してる時間が皿洗いと同じくらいつまんねぇんだから。
そして最後に、一つ目と部分的に重複するが食器を洗わなければならないという強迫観念に襲われるというデメリット。
これが一番デカい。
テレビを見ていて面白いシーンで笑っていても、でも俺皿洗ってないしな、なんて考えてしまう。
緩やかな自殺に近い。
皿なんて洗いたくないのに、仕事になんて行きたくないのに、お年玉なんてあげたくないのに。
俺たちの周りにはしたくないが漂っていて、俺たちはそのしたくないをして生きていかなければならない。
つまり、お年玉はあげたくない。

いいなと思ったら応援しよう!

バチャゴブ
どりゃあ!