噓日記 12/23 ハラスメント
最近社内のハラスメントが気になる。
よく言うところのパワハラだ。
うちの場合は上司が部下に対して言葉の選び方を間違えているのだ。
部下の言葉を遮り、言いたい放題言うバカを見ていると関係ない私まで気が滅入る。
欲しい言葉以外全て否定するならコミュニケーションなんてとるなと私は言いたい。
そんなやつはちゃんと病気だからこの世でパワハラに悩む人間は悩まないで欲しい。
仮に私に言ってこようもんなら恫喝に次ぐ恫喝、恐喝に次ぐ恐喝、暴力に次ぐ暴力で家から出てこれないようにしてやろうとも思うのだが、私以外が言われているのに私が出ていくはお門違いなのが悔しい。
次善策として言われた方に同調して慰めてやるしか出来ない。
会社の中のパワーバランスなんてさ、一歩社内から出たら関係ないんだからさ、本当に腹が立ったら覆面被って社外でぶちのめしてやればいいじゃん! と。
私は比較的治安の悪い土地で育って来たので解決策について力のぶつけ合い以外知らない。
だからなのか、偉そうにふんぞり返る上司も小さい年老いた個体にしか見えないのだ。
ここで若人に覚えておいて欲しいのが、ま殺(まころ)の精神だ。
まぁ、殺せるしな。
そんなセーフティーを心の中に持っておくだけでかなり気が楽になる。
生物としてはこんなやつどうとでもできるし、最悪ボコボコにしてやれる、そんな柱を抱えておくだけでこの世はかなり生きやすくなる。
さて、そんな私にも部下はいる。
部下たちを自由にコントロールするためにはそのま殺の精神を乗りこなす必要があるのだ。
殺意と尊敬のバランスをとる能力が上司には必要である。
殺してやりたいほど尊敬されるべき、それが私の思う上司論。
部下が失敗した時、私は叱責しない。
その尻拭いをする後ろ姿を見て部下に自ずと尊敬させる。
そして、その部下をエアガンで撃つ。
単発式のハンドガンでワンマガジン撃つ。
これが殺意と尊敬のバランスに丁度いい。
そこからは部下が失敗するたびに他の部下をエアガンで撃つ。
チームに連帯責任を植え付けるのだ。
すると次第にチームは軍隊のように統制が取れていく。
その時、不意に何の失敗もない時に部下を撃ってみる。
するとそこで起こるのは不和。
誰かが失敗したんじゃないか、そんな猜疑心がチームに蔓延する。
そこで時折、無作為に選んだ部下をエアガンで撃つというシステムを取り入れた。
猜疑心はマインドコントロールの基本。
私は軍隊を作る。
自責と他責のバランスを弄ってやるだけで人間は簡単に壊せる。