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噓日記 5/27 漫画を読む、あしたの夜

漫画を読む時、私は普段より勇敢になる。
そして時に臆病になり、聡明になり、愚かになる。
漫画を読むという体験は主人公、もしくは登場人物に人格を憑依させることでより一層のエンターテイメント性が生まれるのだ。
私はその瞬間に彼らとなり、彼らの決定や判断を自己の中でも反芻し、それらに一定の解釈を求めることであくまで私としてもそれらの行動に対して納得するという作業を行うのだ。
そうすることによって、自身以外の倫理観であったり思考の能力が貸与される。
与えられた思考は私に勇敢さや臆病さ、聡明さや愚かさを経験を通して教えてくれるのだ。
また、漫画には単純な文章と比較して、より映像的なコンテンツ力がある。
何故、私が文頭で小説などではなく、あえて漫画を取りあげたのか。
それはひとえにイラストの持つ力の強大さを我々人間は無視することができないためである。
どんなものにも情報を得る際に生まれるのが、先入観。
その先入観をより強めるのが漫画におけるイラストなのだ。
キャラクターは精神的な特徴をより強めるために、しばしばそれらの特徴をディテールとして表現される。
そこが先入観に掛かってくるのだ。
小説では、描写を読み、行間を読み、そして物語を読むことでキャラクターの詳細なディテールを自らで組み上げていく。
つまり、組み上げていく途中の段階ではそれらの不明瞭な人物像を想像で補うしか出来ないのだ。
その点、漫画では最初にキャラクターの容姿、つまり外殻の部分について正解が必ず明示される。
進行上必要な先入観がより正確に読者へと伝わるわけなのだ。
つまり、この文で何が伝えたいのかというと、漫画は進行上で必要な先入観が事前に与えられることによって、小説などと比較した際に彼らの判断や決定に自己を投影しやすい、またそこで生まれる自己の精神の動きは作者が想定した通りになりやすいということである。
小説が解釈の幅を楽しむのだとすると、漫画は与えられた解釈の中での読み解き方を楽しむというベクトルの異なる娯楽なのだ。
漫画は楽しめる。
大人になって漫画を読まなくなった人をいるかもしれないし、そもそも毛嫌いしているような層もいるだろう。
ただ、漫画はちゃんと楽しめるのだ。
自分から出逢いにいく覚悟さえ持っていれば、飛び切りの先入観をもって我々を同じゴールへと導いてくれる。
その道程に咲く花を見つけられるかは読み手の技量と描き手の苦悩次第かもしれないが。

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バチャゴブ
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