【今日のコラム Log.41】Vtuberは生モノである【甘津シグマ】
文:甘津シグマ
Twitterのタイムラインを見ていると〇〇系であるという自己紹介をしているVtuberの紹介ツイートが流れている。
何々系の部分には妖怪や神、悪魔の名称などが入る者もいる。
では、そんな「架空の存在」に魂を吹き込み活動するVtuberというのは表現として「生モノ」なのだろう。
「生モノ」とは同人界隈で使われる用語だ。実在する人物や固有名詞がある生物を題材にする同人誌に使われる。
固有名詞と呼ばれるのは神なら稲荷、ゼウス。悪魔ならサキュバス、バフォメット。妖怪なら河童など。ゲームでいう種族名のことだ。
これら固有名詞を持つ者たちは架空の存在でありながら「姿を見た」という証言やその容姿の特徴や絵としての記録がある。
もちろん、それだけでは「生モノだ」と言い切る材料としては不十分だ。
そこで、「生モノである」と言い切るために適当な言葉を見つけてきた。
『魂』というものだ。
日本の言い回しに「まるで魂が宿ったかのように生き生きとしている」
というものがある。
その形は認識されずともその場にいると言われ、モノに宿るとされている概念だ。
その魂が宿ったものは例えフィギュアや彫刻、アニメ、漫画のキャラであろうと「本当に実在している」と思う人も出るくらい強力なモノである。
「Vtuberの魂を募集します!」
そんなツイートを見た者もなかにはいるだろう。
生まれる器はあれど完成はしておらず、魂を吹き込むことによりその存在は「架空」から「実体」へと昇格される。
つまり
Vtuberには魂が宿っている
魂は実在しているモノに宿る
魂が宿るVtuberは実在している
ということにつながるのだ。
これらのことを踏まえて、吾輩は表現上「Vtuberは生モノである」と考えた。
あなたはおいしいコーヒーを飲んでもいいし、たのしい歌を聴いてもいいし、わたしをサポートしてもいい。