【so.】曽根 興華[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
三条先生が教卓から宣言してホームルームが始まった。
「せんせー昼ご飯は?」
新藤さんが早速昼食について問い合わせる。私も今日はお弁当を持ってきていないから、パンを買いに行けるのかどうかは気がかりだった。
「このあと5時間目をその時間にする」
「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」
「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」
「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」
「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」
パンを買う時間はありそうなことに安堵した一方で、面談とはまた別の長いやり取りになるのかなと少し憂鬱に思った。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
埋田さんがその発言を問い質した。埋田さんは郷さんと仲が良かったから反発したくもなるのかな。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
先生が言うと和泉さんがすぐに尋ねる。
「山浦が犯人ー?」
「…まだ分からない」
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
委員長がそう言って、確かにこの教室に山浦さんの姿がないことに気がついた。
「…そうか」
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
埋田さんが不満そうに言う。そういえば1時間目の間に山浦さんと大和を呼び出していたことを思い出した。山浦さんが怒っていたということは何かしらの衝突があったんだろう。そういったストレスを3時間目に私で発散したのかと思うと腹立たしさを覚えた。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
さっき見せられたものだ。結局みんなに聞くんじゃないか。
「何それー」
新藤さんは興味なさそうに言った。
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
「先生」
細田さんが蚊の鳴くような声で言うから思わずそちらを見てしまう。
「なんだ」
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
細田さんは不調そうに見える。
「いや、なんというか」
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
そう言うと細田さんは口に手を当ててオエッと言った。実際に出したりはしなかったから良かった。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
伊村さんが細田さんを連れて教室を出て行く。あれが本当でも演技でもどちらでもいいけれどこの空間から逃げ出せるのは羨ましいなと思った。
「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」
「このクラスの裏サイトについてです」
委員長が話を元に戻す。
「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」
「カンカってなんですか?」
岡崎さんが尋ねた。
「殺害予告じみたものがあったんだ」
あれっ。そこまで深刻なものが書いてあったかなと思う。穏やかではない書き込みではあったけれど、具体的に誰かを殺してやるみたいなものは書かれていなかったはずだ。すると3時間目より後にさらに書き込みが行われていたってことになる。「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」
うん、そこまでは知っている。
「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」
和泉さんが口を挟む。
「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」
可能性は高いんじゃないのかな。
「推測で犯人扱いするんですか」
埋田さんが言うと和泉さんは嫌味を言った。
「決まりじゃん」
「大事なのはな、この後なんだ」
やっぱり続きがあるんだな。山浦さんはたしかにちょっと冷めた目で見ている所はあるものの、そういうネットにコソコソ書き込むような陰湿な人間には思えないんだけれど。
「えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」
「は? ワタシ?」
田口さんは驚いて言う。
「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」
「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」
田口さんは周りを激しく威嚇してみせる。さっきの体育館からの帰りに誰かと揉めていたのが思い出される。私の関与していない出来事。
「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」
「きゃああ!!」
つぐちゃんが悲鳴を上げた。
「せんせーもうやめよう。怖いよ」
もじゃも怯えて言う。裏サイトのいざこざには関与している人たちだけで解決して欲しいと思う。
「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」
「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」
委員長が面倒くさいことを言い出した。
「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」
誰も何も言わない。いや、知っていたとして言えないだろうな。
「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」
「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」
田口さんが反発して言う。
「保健室行くか?」
「そういうのじゃねーんだよ!」
「この発言に心当たりは?」
田口さんは無視して答えない。
「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」
神保さんが代わりに言った。やっぱり、それがきっかけで揉めたんだな。
「ついさっきじゃないか。何があったんだ」
「もういいって!」
思い出したくないのか必死に止めさせようとする田口さんを無視して福岡さんが語り始めた。
「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」
さすがに酷いなと思う。
「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」
埋田さんの方を見てしまった。すごい行動力だ。
「本当か埋田」
「言いたくありません」
「しただろうがよ!」
田口さんの咆哮で教室は静まりかえる。三条先生はワザとらしい咳払いをひとつすると再び口を開いた。
「それでだな」
「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」
橋本さんが気になっていたことを述べてくれた。
「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」
「あたし、つだまる、やまち」
福岡さんが言った。
「私と、細田さんもいました」
神保さんも証言すると、さらにソフトボール部のふたりも言った。
「私とさっちんはいたし、他にも何人か歩いてたよ」
「私覚えてねーけど」
「おめーはパンのこと考えてたからだろ!」
「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」
三条先生が皆に問うと、埋田さんのみ手を挙げた。
「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」
和泉さんが質問したら、橋本さんが丁寧に解説をしてくれた。
「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」
「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」
「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」
新藤さんが興味なさそうに言うと「嫌っ!」と誰かの声が聞こえた。
「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」
「山浦が殺しに来るんでしょー?」
「黙れ!」
和泉さんの度重なる野次に、遂に三条先生はキレた。つぐちゃんが泣いているように見える。
「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」
「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」
委員長がまた質問をする。
「郷は自殺なんだ」
「何故そう言い切れるんですか?」
三条先生はややウンザリした様子で言った。
「理由がない」
私も面談をしたときに言われた。郷さんの事は事件にしたくないんだろうなとその時は思った。
「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」
埋田さんが初めて聞く話をした。
「何それ。そんな話、初めて聞いた」
「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」
委員長と岡崎さんが次々に尋ねる。しばしの沈黙が教室を覆う。
「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」
大和が淡々と語った。
「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」
「私も知らなかった」
岡崎さんと月山さんが口々に言うと、三条先生はさらりと言った。
「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」
教室に残ってなかった私たちには知らせなくてもいいって判断したんだろうな。まあ、知っていたからって何が出来たわけでもないけれど。
「ちょっとワタシも知らないんだけど!」
田口さんが怒ったように言う。
「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」
大和は宥めるように言った。
「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」
岡崎さんが声を上げると、三条先生はそれを諫めた。
「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」
同意を求められた田口さんは、何か呟いたけれど聞こえなかった。
「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」
もじゃが尋ねる。
「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」
郷さんとそれほど親しかったわけでもないからあまり詮索も出来ない。ただ何となくだけれど、先生は窃盗を認めると事件になるから、有耶無耶にしたいんだなとだけ思った。
「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」
新藤さんはずっと興味なさそうだ。私もお腹が減ってきた。
「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」
「もーむりー」
机に突っ伏してしまう新藤さん。
「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」
「サトミのこと?」
福岡さんが尋ねると、先生はそれを否定した。
「いや、書き込みのことだ」
殺害予告か。書いた方にも書かれた方にも思い当たることが無いし、なら私には関与できる事も無いのではないかと思えてくる。
「先生。あの」
「なんだ、津田?」
「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」
「それ何の関係があんだよ」
和泉さんがウンザリして言う。
「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」
福岡さんが津田さんを助けて言った。
「どうして分かるの?」
委員長が振り向いて尋ねる。
「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」
「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」
「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」
猫殺し…きな臭いものを感じる。
「それはいつの話だ?」
三条先生が尋ねると福岡さんが答えた。
「昼休みの前」
「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」
津田さんが泣きそうに言う。たしかに体育館裏で余所の部が猫を拾ってきて飼い始めたというのは聞いたことがあった。体育館の裏側に木が植えてある茂みの陰らしい、と。その場所を思い浮かべていたら、今朝に見た光景がふいに思い出された。
「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」
「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」
和泉さんが問うと、橋本さんが怖いことを言う。
「もうやめてよぉぉぉぉ」
つぐちゃんが悲鳴を上げた。
「待って、体育館の裏?」
私は津田さんに尋ねてみた。
「うん、バスケ部の部室の裏」
昨日の放課後は生きていて、今日の昼前には死んでいた。その間に殺されたって事だ。
「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」
私は三条先生に尋ねる。
「それは聞いて判断する」
「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」
朝に見た光景を思い出しながら私は言った。
「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」
「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」
誰も何も言葉を発しない。朝には伊村さんを見かけた時は、このままだと鉢合わせするなと思ってトイレへ行ってやり過ごした。でも、よくよく考えてみると体育館の裏から出てくるなんて、そこに何かの用事がない限りあり得ない。何も無いし、近道に使うような所でもないからだ。
「先生さー。この写真、おかしくない?」
岡崎さんは手持ち無沙汰だったのか弄っていたらしい一眼レフカメラを見つめながら声を出した。
「何か撮ってあるのか?」
「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」
岡崎さんは立ち上がってカメラを両手に教卓へと歩いていく。田口さんと埋田さんも立ち上がってそれを見に行った。
「…なんだこれは」
写真を見せられた三条先生は困惑して言った。
「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」
「ナオがやってんじゃん!」
「盗んでたんだ!」
田口さんと埋田さんが次々に声を上げた。
「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」
そうだ、もし細田さんが郷さんのヘアピンを盗んでいたんなら、次の日の朝にポケットに入っていたのと矛盾する。
「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」
橋本さんが言った。
「…何を言ってるんだ?」
聞き返す三条先生には答えず、橋本さんは振り向いて大和に声を掛けた。
「ねえ、そうなんでしょ?」
大和はため息をつくと真相を述べた。
「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」
「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」
三条先生が強く言うと、田口さんが反論した。
「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」
「うるせえっ!」
怒鳴って黙らせようとするあたり、やっぱりあの人はガキだなと思う。
「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」
委員長は冷静に、大和へ詳しい話を求めた。
「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」
「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」
橋本さんの推理で、矛盾が解消された。細田さんが証拠の隠滅を図っていたんだ。
「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」
和泉さんが驚いて言う。それは違うんじゃないか。
「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」
田口さんも噛みついた。
「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」
「証拠があんのかよ!」
意外な人物が声を発した。
「あの、証拠なら、保存しております」
荘司さんだった。とてもあの二人のやり取りに関与しているとは考えにくいのに。
「…は? なんであんたが出てくんだよ」
「す、すみませぬ」
「証拠ってなに? 教えてよ」
「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」
えらく古風な物言いするんだなと思うと、中島さんが単語に反応してオウム返しした。
「さっちん?」
「パン食いてー!」
すぐに新藤さんが反応すると、和泉さんが叱りつけた。
「うるさい! そんで?」
「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」
「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」
田口さんはイラついて言う。
「誰かの会話を録音したってこと?」
和泉さんは普段なら小馬鹿にしているような低いカーストの荘司さんに対して、随分とへりくだった態度で接しているように見える。そりゃそうか、絶体絶命のピンチに現れた救世主だもんね。
「さよう。これをお聞きください」
荘司さんの操作するスマートフォンから、細田さんの興奮したような喋りが教室へ響き渡った。
攪乱、という単語が頭をよぎった。
「これだ! これだよ、わたしが朝、ナオに変な質問されて、答えたんだ」
和泉さんは嬉しそうに声を上げる。
「おいメガネてめー、これ、ホントだろうな?」
「さ、さすがに細田氏の音声合成するアプリはありませぬ」
田口さんに詰め寄られて、荘司さんは精一杯の反論をした。その勇気に拍手を送りたいと思った。
「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」
福岡さんが疑問を述べる。
「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」
橋本さんが推測すると、埋田さんも推測を口にした。
「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」
「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」
三条先生はあくまで殺害予告の方が大事なんだ。事件になれば自分に責任が発生するから。要は責任を回避したいんだなと、その心理が透けて見えるような気がした。タイラー、こんな男、やめた方がいいよと改めて思った。
「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」
裏サイトの書き込みを見ていたらしい津田さんが言う。
「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」
和泉さんもそれに同調すると、福岡さんが解説を求めた。
「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」
「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」
ぞっとする。あの陰湿な書き込みのひとつが細田さんの手によると思うとそれだけで軽蔑する気持ちを抑えることが出来ない。
「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」
橋本さんが呟くと、三条先生が大声で言った。
「狙われるのは、細田ってことか!」
「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」
委員長が焦ったように言うと、橋本さんと神保さん、佐伯さんが立ち上がって教室を飛び出していった。今から走って行ったら、伊村さんの凶行を阻止できると思っているんだろうか。私にはそんな行動力がないから、素直に尊敬する。福岡さんと和泉さん、大和の3人も立ち上がり教室を出て行った。おや、と思う。
「堀川! みんなを教室から出すな!」
三条先生は委員長へ言いつけるとやはり教室を出て行った。入れ替わりに教卓へ急いで立った委員長に、新藤さんが訴える。
「委員長! もう昼にしよう!」
「だめです! みんなを教室から出さないように言われたので」
「じゃあ何するの」
中島さんもイライラして言う。
「先生が戻るのを待ちます」
「もうむり。今からパン買いに行く!」
新藤さんはガバッと席から立ち上がった。
「だめ!」
「私以外にこの空腹を救える者はありえない!」
新藤さんが力強く叫ぶ。ジャンヌ・ダルクだ。
「委員長、これもう止まらないよ。諦めて」
中島さんも立ち上がった。パンを買いに行くチャンスかもしれない。
「お願いだから!」
「パンを求める者は私について来いっ!」
新藤さんの呼びかけに、私は財布を片手に席を立ち上がった。
「いえい!」
「ごめん委員長、私ももうおなかが限界」
もじゃと岡崎さんも一緒に教室から出てきた。廊下へ出ると、中島さんが新藤さんに声を掛けた。
「さっちん、ナイス!」
「私たちが戦うからこそ、神様はパンを与えてくださる!」
新藤さんは神々しく叫ぶ。
「やっべー、もうイっちゃってるわ」
中島さんはよく分からずツッコミを入れたけれど、新藤さんがさっきからずっとジャンヌ・ダルクの名言を口にしている事に、私は気がついていた。新藤さんはああ見えて博識なのかもしれない。
「おなかすいたぁ!」
岡崎さんも嬉しそうに言った。
「もじゃ、意外」
私はもじゃに言う。
「私だって、我慢できないことはあるのー」
「同感」
空腹の前には、わだかまりなんて関係ないのかもしれない。私はもじゃと並んで新藤さんたちの後に続いていった。
まだ他の学年はホームルームを続けているらしい。静かな昼下がりの校内は異世界へ迷い込んだかのように思える。下駄箱で靴を履き替えて外に出ると、北から吹き付ける海風が冷たい。校則の緩かった中学生の時は目一杯スカートの丈を短くしていたけれど、よくあんな無謀な格好をしていたなと思う。採寸したときのままの膝下丈でも十分寒いっていうのに。震えながらソフトボール部の二人についていく。正門を入ったすぐ脇に、見慣れたハセベのパンの車が停まっているのが見えた。まだ良いパンが残っていたら良いなと思いながら近づいていった。
「ソーセージドッグ、グラタンデニッシュ、フィッシュカツサンド、フルーツサンド、シュークリームくださいっ!」
新藤さんが物も見ずに注文する。
「全部食べんのかよそれ!」
中島さんが思わずツッコミを入れると、ハセベのおばちゃんが申し訳なさそうに言った。
「あら、ごめんねぇ、さっきフィッシュカツサンドは三条先生が最後の1個買われてしまったわ~」
「な…ん…だっっって!」
新藤さんは笑っちゃうくらいに目を見開いて声を絞り出した。
「三条殺す!」
もう慣れっこらしい中島さんはあっさりと流して自分の買い物を進める。
「後にしろよ。あっおばちゃん、わたし堅パンとやきそばパンと、ツナサンド」
「甘酢あんかけチョコロール!」
岡崎さんがなんだかとてもマズそうな物を注文した。
「ザキオカ、まずそう!」
中島さんに言われると、岡崎さんは不服そうに言った。
「えー、うまいよ?」
「私はハムサンドとジャムパン」
もじゃがささっと選んだパンを取っておばちゃんに渡して言った。
「三条殺す!」
新藤さんはまだ吠えている。私はサンドイッチがまだ色々残っているのを見て、野菜サンドを取っておばちゃんに渡して言った。
「野菜サンドください」
会計をしながら、おばちゃんは新藤さんに声を掛ける。
「さっちゃん、ヒレカツサンドならまだあるわよ?」
「それください!」
新藤さんはヒレカツサンドを含む5個のパンを買って、とりあえず満足した様子だった。
「新藤さん、ありがと~」
もじゃが嬉しそうに言う。
「ほんとほんと、空腹やばかったー」
岡崎さんも嬉しそうだ。
「みんなは教室に戻るの?」
私はこの後どうするつもりなのか、みんなに問いかけた。
「三条!」
新藤さんはまだ怒りが冷めないらしい。
「とりあえず今ここのベンチ座って食べるわ。こいつ壊れてるし」
中島さんはそう言うと、目の前のベンチに腰掛けた。
「食べよ食べよ。あっ、飲み物買おっと」
岡崎さんも自動販売機で飲み物を買った。私もその後で飲み物を買って、ベンチに腰掛けてパンの包装を開いた。
「細田さん、大丈夫なのかな」
もじゃが呟いた。
「あれだけ人数走ってったんだから、だいじょぶでしょ」
新藤さんはパンに齧りつきながら言う。
「でもなあれ、のりん達は明らかにパン買いに行ったと思ったけど」
中島さんが言うと、新藤さんが驚いて言った。
「マジ?」
けれど私も正直、福岡さんたちはパンを買いに行ったんだろうなと思っていた。
「おばちゃーん、さっき3人くらい来た-?」
中島さんがパンを加えたまま大声で尋ねると、ハセベのおばちゃんは「来たよー」と返事を返した。
「許さん…三条!」
新藤さんはずっと三条先生への怒りを滾らせながら、パンに齧りついている。
「そっちの方が怒り強いのね」
思わずツッコミを入れてしまう。こういった非常事態だからこそ、普段話すこともない人たちと一緒にパンを食べている不思議を思う。野菜サンドの1つ目を口に放り込んだところで、近くで悲鳴が聞こえた。体育館の方からだ。すぐに新藤さんと中島さんが、パンを掴んで立ち上がると駆けだしていった。
「わたしたちも行く?」
岡崎さんが少し躊躇いがちに言った。
「えー、じゃあ行ってみる?」
もじゃが心の籠もっていない言葉を発した。
「もじゃ、言ってみただけでしょ? 行きたくないでしょ?」
私はそう指摘した。
「わかったー? だってなんか、重そうじゃん」
「わかるよ。私だって行きたくないもん。行っても、何もできないし」
「だよね」
思わず笑ってしまうようなやり取りを交わすと、岡崎さんが笑って言った。
「二人とも、クールだね」
「岡崎さんは、シャッターチャンスじゃないの?」
もじゃが聞く。
「私、報道写真は興味ないんだあ」
ははははは。たまに突然写真を撮られるのは嫌だったけれど、岡崎さんは悪い人じゃない。今こうしてフランクに会話できているのがなんだか新鮮で、思わず気になっていた事を質問してみた。
「岡崎さん、そのパンおいしいの?」
既に岡崎さんの胃へと消えている謎のパンについて尋ねると、岡崎さんは事も無げにこう言った。
「おいしいよ?」
「へんなのー」
もじゃが言う。
「変な方が好きなの。こんなの、誰が食べるんだよって、そんなの見かけたらつい食べちゃう」
そんな考え方もあるのかと、理解は出来ないけれど関心してしまう。
「さてと。私、教室戻るわ。二人は?」
岡崎さんが立ち上がって尋ねてきた。
「食べてから考える」
私はまだ2つめの野菜サンドが残っているからそう言った。
「食べるの速いね~」
もじゃも自分のパンを咀嚼しながらそう返す。
「シャッターチャンスは一瞬だからね」
そう言って岡崎さんは、私ともじゃに向かって首から下げた一眼レフのシャッターを切った。
「じゃ、またね」
岡崎さんはさらっと言って去って行く。
「ばいばーい」
もじゃは気のない返事を返した。私は岡崎さんに手を振りながら、ぼそっと言った。
「撮られたね」
「ね。それを見せてくれたことないよね」
もじゃもぼそっと言った。
「うん」
「だいたい岡崎さんって、Aグループの権威を傘に撮ってくるじゃん。パワハラだよねー」
もじゃが私へ向かって言った。私ももじゃの顔を見て言った。
「あはは。ほんと」
「強者は弱者の気持ちなんて分かりっこないのよね~」
やっぱりもじゃは面白いなって思った。私は2つめの野菜サンドを囓ると、もじゃに本音を曝け出した。
「もじゃだから言うけどね、私さ、郷さんのことも、今日の山浦さんのことも、さっきのホームルームも、ぜんっぜん興味ないんだよ」
また軽蔑されるようなことを言ってしまったかなと思う。でも、もう、いいやと思った。野菜サンドからもじゃに視線を移すと、もじゃがこちらを見ていた。
「そねちゃん、わたしもー」
良かった。安心した。私は野菜サンドへ視線を戻してまたひと囓り。
「なんかね、自分は冷血なのかなって、ちょっと不安にもなるんだけど、でもさ、思っちゃうんだから仕方ないじゃん。それって私の本心じゃん」
「うん。わたしもだいたいそんな印象ー。だってさあ、関係なくない?」
もじゃが言う。良かった、分かってくれる人がいて。
「ないよね。クラスが同じならさ、みんな等しく心を痛めるべきって、そんな同調圧力に違和感を感じる」
そう言ってちらりともじゃを見ると、もじゃは嬉しそうに言った。
「わかるー。やっぱ、そねちゃんとは気が合う。そう思う」
私は少し安堵すると共に、さっきの事もまた処理してしまいたいなって思って言った。
「ありがとう。でも、そしたらもじゃさぁ、私のこと、軽蔑したでしょ?」
もじゃはハムサンドの最後の一切れを口へ入れて、しばらく噛んだ後言った。
「え-、なんでー?」
「三条先生と…」
「あー。そのことか。うん。軽蔑したっ」
あっけらかんと言うもじゃに、好感を覚えた。私は何だか気の抜けた笑いが出ていた。
「ははははは…」
もじゃは続ける。
「それでも考えたらさ、タイラーのことでしょ? わたし別にジョーサンがどんな人間だろうと関係ないし、むしろそねちゃんと裏でつながってたって方が、面白くない~?」
そう言ってもじゃはこちらを見つめた。思わずもじゃと目が合った。
「そっか。もじゃは面白いね」
「そねちゃんが面白いのよー」
恥ずかしさで一杯で、私は思わず目を反らしてしまう。
「えー。そんなこと言われたの初めてだな」
北風はずっと吹いている。寒くないかと言われれば寒いですと言いたい。けれど心の中は全然寒くないし、卒業までの時限的な付き合いだと割り切っていた高校生活の中で、長く付き合えそうな友だちと出会えたと思った。この学校に入って一番嬉しいなと思った瞬間だった。なんだか心が洗われるような感じを覚えた。
他の学年もホームルームが終わったのか、教室棟の方がざわざわとしている。
「教室戻った方が良さそうだね」
もじゃが言う。
「もどろうか」
私は立ち上がって、飲み干したミネラルウォーターのペットボトルとパンの入っていた袋を手に取った。船の汽笛が聞こえる。私はもじゃと並んで話しながら、ゆっくりゆっくり教室へと歩いていった。
伊村さんが事件を起こした次の日から、三条先生は来なかった。私はFILOでいくつか言葉を投げつけた後にブロックした。たぶんもう会うこともないだろう。それからしばらく、やすちゃんの事ばかり考えていた。
2月に入ってすごく冷える日だったと思う。弓道部の練習の後、まこちんとふたりで帰りがけに橘中央駅のビルに入っている雑貨屋へ行った。何か買いたい物があったわけじゃないけれど、真っ直ぐ帰るのも嫌だったから何となく寄っただけだった。シュシュだとかヘアピンだとか安い物を見回して、どこかでお茶でもして帰ろうかなと思っていた時に、金髪の女の子を連れたやすちゃんを見かけた。やすちゃんは坊主頭だったけれど、ジャラジャラしたアクセを付けて精一杯悪ぶっているように見えた。全寮制の野球部に入ったはずなのにと思い出して、そこからドロップアウトしたんだなって分かった。
「そねちゃん、どうしたの?」
ふいに、まこちんに声を掛けられて驚いたのが、私はいつの間にか泣いていた事だ。
「何かあった?」
心配するまこちんに、私は強がって言った。
「ううん。急に昔のこと思い出しちゃった」
そう言って無理矢理笑って、やすちゃんが歩いていったのとは逆方向へ歩き出した。
「そうだ、まこちん。何でも飲みたい物奢ってあげる」
振り向いて言うと、まこちんは何だか曖昧な表情をして頷いた。私はすぐに前へ振り向くと、泣いているのを悟られないように両目を拭った。さよなら、やすちゃん。滲む視界でぼんやり緑色に照っているバスターマックスコーヒーの店内へと、私は歩みを進めていった。