【so.】神保 昌世[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
壇上から三条先生が宣言して、5時間目へ跨いでのホームルームが始まった。
「せんせー昼ご飯は?」
さっちんが早速気になることを聞いてくれた。
「このあと5時間目をその時間にする」
「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」
「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」
「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」
「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」
うーん。私はお弁当を持ってきているからいいけれど、パンを買うつもりだった人は気が気じゃないだろうな。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
カネッチがうんざりした様子で言った。
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
サエちゃんが三条先生の言葉を問い質す。サトミちゃんの出来事を、そんな風に雑に扱われたら、やっぱりいい気分はしない。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
「山浦が犯人ー?」
カネッチが嫌なことを言う。
「…まだ分からない」
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
委員長まで、たまきちゃんに疑いの目を持っているんだろうか。同じクラスにいるんだから、そんなことをする人物かどうかなんて、分かりそうなものなのに…。
「…そうか」
先生は歯切れの悪い返事をした。
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
サエちゃんが言う。そっか、私は前の方の席だから、そんな様子に気づけなかった。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
「何それー」
頭に浮かんだ瞬間に、さっちんが聞いてくれたからほっとする。
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
「先生」
後ろの方から弱々しい声がした。
「なんだ」
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
ナオちゃんだ。たしかに、年末から心の安まる出来事がない。初詣に行って「今年は笑って過ごせる一年になりますように」ってお願いしたはずなのに。
「いや、なんというか」
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
そう言ってナオちゃんは、嘔吐するような素振りを見せた。思わず振り返ってしまったけれど、なんとか堪えたように見える。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
伊村さんがナオちゃんへ肩を貸してあげて、ゆっくりとした足取りで、後ろのドアから出て行った。ナオちゃんが吐いちゃうことなく、保健室までたどり着けますようにって願う。
「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」
「このクラスの裏サイトについてです」
委員長が話を元に戻して、話題に上がったネットの掲示板のことを思い出す。でも、私はFILOでやり取りするくらいしか、ネットの恩恵を受けていない。そんな掲示板の存在はもちろん、見たことだってない。
「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」
「カンカってなんですか?」
おかちゃんが尋ねると、先生はもう少し具体的に説明をした。
「殺害予告じみたものがあったんだ」
「ひっ」
前から小さな悲鳴が聞こえた。つぐちゃんだ。
「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」
「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」
即座にカネッチが叫ぶ。
「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」
「推測で犯人扱いするんですか」
サエちゃんが反発すると、カネッチが憎まれ口を叩いた。
「決まりじゃん」
ケンカはやめて。たまきちゃんだって、何か理由があって今いないだけなんだから。
「大事なのはな、この後なんだ」
先生はまだ続きがあることを示唆した。
「先生ソレどうやって見んの?」
のりんがスマホ片手に尋ねる。
「わざわざ見なくてもいいぞ。今から読み上げる。…えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」
「は? ワタシ?」
ヨシミちゃんがびっくりして言う。
「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」
「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」
ヨシミちゃんは大きな声で言うと、クラス全員を睨むみたいに首を回した。だけど、その掲示板に書かれたっていう言葉を、ついさっき聞いたような気がする。
「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」
「きゃああ!!」
つぐちゃんがさっきより大きな声で悲鳴を上げた。
「せんせーもうやめよう。怖いよ」
もじゃも不安そうに訴える。私ももう、こんなピリピリしたやり取りは終わりにして欲しいと思う。
「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」
そうなんだ…。さっきヨシミちゃんの発した言葉がネットに書かれていたってことは、あの場にいた誰かがネットに書き込んだってことにも繋がるんじゃないかと思って、また気分が沈んでしまう。
「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」
委員長が不穏なことを言う。そういうの、やめようよ。よっぽど口を開きたくなるけれど、事件になると言われると、口を挟まない方が良いのかなって自制してしまう。
「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」
特定したって…そんなの分かるわけない。心がズキズキして俯いてしまう。まだ救われるのは、誰も何も言葉を発しないことくらいだ。
「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」
「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」
ヨシミちゃんが言う。あの発言はちょっとペナルティを受けても仕方ないとは思ったけれど、それをぶり返されるのも不愉快だろうなと思う。
「保健室行くか?」
「そういうのじゃねーんだよ!」
「この発言に心当たりは?」
尋ねられたヨシミちゃんは、何も答えない。なんだかこの沈黙に耐えられなくって、私は知っていることを言うことにした。
「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」
「ついさっきじゃないか。何があったんだ」
三条先生は驚いて尋ねてきた。
「もういいって!」
ヨシミちゃんが強く言う。言うべきかどうか躊躇していたら、のりんが口を開いた。
「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」
ヨシミちゃん、ごめんね。それから、のりんが汚れ役を引き受けてくれたことにも申し訳なく思った。
「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」
更に続けるのりんの言葉に、先生はサエちゃんに尋ねた。
「本当か埋田」
「言いたくありません」
「しただろうがよ!」
ヨシミちゃんが噛みついて、教室はまた静まりかえってしまった。エヘン。三条先生のわざとらしい咳払いがして、先生は言葉を発した。
「それでだな」
「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」
橋本さんが、客観的な視点を提供してくれた。そう、あの場にいた人は限られる。それを確認すれば、最悪の事態は防げるかもしれない。
「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」
先生が尋ねて、まずのりんが口を開いた。
「あたし、つだまる、やまち」
私は次に口を開く。
「私と、細田さんもいました」
「私とさっちんはいたし、他にも何人か歩いてたよ」
キミちゃんが言うと、さっちんが冗談なのか本気なのか、分からないことを言った。
「私覚えてねーけど」
「おめーはパンのこと考えてたからだろ!」
こういう空気じゃなかったら、声を上げて笑っていたよ。頑張ってそれを抑えこんだ。
「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」
誰かが手を挙げたらしいけれど、それをわざわざ振り向いて確認しようとは思わない。ただ、当事者のサエちゃんは聞いていたんだろうなと思った。
「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」
カネッチが、分かってるのか分かってないのか、質問した。
「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」
橋本さんが分かりやすく説明してくれた。そう。もしこのクラスに、殺害予告をするような酷い人が潜んでいたとして、狙われるような人がいたとして、今こうやってみんなが集まっていたら、とりあえずは安心出来る。そこまで考えて、全員じゃないなってことに気がついた。
「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」
「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」
さっちんが突然私の名前を挙げるからどきっとした。
「嫌っ!」
ノリカの声…かな? あんまりこういう時間に声を発するようなタイプじゃないのに、意外だなって思った。
「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」
先生が注意した。
「山浦が殺しに来るんでしょー?」
「黙れ!」
カネッチがまた酷いことを言ったら、さすがに先生が叱ってくれた。前でつぐちゃんが泣いているように見える。
「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」
先生の表情からは、焦燥感が伝わってくるようだ。
「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」
委員長がまた驚くようなことを言う。
「郷は自殺なんだ」
「何故そう言い切れるんですか?」
先生はまた疲れ切った表情を浮かべて言った。
「理由がない」
「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」
サエちゃんがそう言って、やっぱり引っかかっていたことを思い出す。
「何それ。そんな話、初めて聞いた」
「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」
委員長とおかちゃんが驚きの声を上げた。そっか、あのとき、全員がいたわけじゃないから、知らない人がいてもおかしくはない。でも、おかしいなと思う。だって、今日で全員が面談をしたのだから、当然ヘアピンのこともみんなに話があったものだとばかり思っていたからだ。
「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」
やまちが躊躇いがちに言った。
「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」
おかちゃんが声を上げると、ツッキーも口を開いた。
「私も知らなかった」
「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」
先生がそう言うと、ヨシミちゃんが怒ったように言った。
「ちょっとワタシも知らないんだけど!」
また、やまちがゆっくりと喋った。
「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」
「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」
おかちゃんが興奮したように言う。
「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」
先生がヨシミちゃんに尋ねると、ヨシミちゃんは小さく何かをつぶやいた。私にはなんて言ったのか分からなかった。
「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」
もじゃが困惑したように尋ねた。
「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」
私もそこのところがずっと解決しないまま、悶々として年を越したんだ。
「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」
さっちんが悲鳴に近い訴えをした。
「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」
「もーむりー」
そう言うと、さっちんは自分の机に伏せてしまった。
「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」
「サトミのこと?」
のりんが尋ねた。
「いや、書き込みのことだ」
「先生。あの」
マルちゃんが口を開いた。
「なんだ、津田?」
「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」
えっ。思わず振り向いてしまう。バド部か弓道部かの先輩が拾ってきたとかで、体育館裏に段ボール箱を置いて飼い始めたあの猫のこと???
「それ何の関係があんだよ」
カネッチがイライラして言う。
「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」
のりんがマルちゃんに助け船を出した。でも、さっきって? 昨日の放課後に、1年生がじゃれつく様子を見た覚えがあるのに。
「どうして分かるの?」
委員長がマルちゃんに向かって尋ねた。
「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」
「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」
委員長が声を上げる。
「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」
のりんが、委員長を抑えて言った。
「それはいつの話だ?」
先生が尋ねると、のりんが答えた。
「昼休みの前」
「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」
マルちゃんが泣きそうに言った。私はどちらかというと犬派だから、とりたてて猫に関わろうとはしなかったんだけれど、マルちゃんは溺愛していたように見えた。
「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」
カネッチがまた嫌味っぽく言った。
「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」
橋本さんが丁寧に説明すると、前にいたつぐちゃんが、大きな声で叫んだ。
「もうやめてよぉぉぉぉ」
つぐちゃんは両手を耳に押し当てて、これ以上何も聞かないっていう姿勢を露わにした。
「待って、体育館の裏?」
曽根さんの声がした。
「うん、バスケ部の部室の裏」
「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」
曽根さんが尋ねると、先生は難しい顔のまま答えた。
「それは聞いて判断する」
「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」
伊村さん? 彼女は弓道部だから、体育館のあたりにいたっておかしくはないはず。
「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」
同じ事を思ったらしい先生がそう言うと、曽根さんはさらに言った。
「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」
絶句してしまったのは他のみんなも同じだったらしい。伊村さんは秀才だし頭の回転も速いし、だからこそそんな物騒なことに関わっていたと言われても、否定するだけの材料が見当たらなかった。
「先生さー。この写真、おかしくない?」
今度は、おかちゃんが声を上げた。見ると、いつも持ち歩いている一番レフカメラを見つめたままだ。
「何か撮ってあるのか?」
先生がそう尋ねると、おかちゃんは顔を上げて席を立ち、教卓へ向かって歩きながら言う。
「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」
おかちゃんの写真を見ようと、ヨシミちゃんとサエちゃんが立ち上がって教卓まで歩いていった。おかちゃんが先生に向けて差し出したカメラの画面を、先生の両肩からヨシミちゃんとサエちゃんが覗き込んだ。
「…なんだこれは」
三条先生は戸惑いの声を上げた。
「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」
おかちゃんがそう言うと、ヨシミちゃんとサエちゃんが次々に大きな声で言った。
「ナオがやってんじゃん!」
「盗んでたんだ!」
先生は戸惑いながら、その写真とは反する事実を述べる。
「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」
「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」
橋本さんが、何かを知っている風に言った。
「…何を言ってるんだ?」
先生が尋ねると、橋本さんはその言葉には答えず、振り向いてこちらを見て言った。
「ねえ、そうなんでしょ?」
私の後ろに座る、やまちへ言ったようだった。
「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」
やまちが観念したように言うと、先生は激高して言った。
「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」
「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」
すぐにヨシミちゃんが反発すると、さらに先生は大きな声で叫んだ。
「うるせえっ!」
教室はまた静かになってしまった。野蛮だなと思った。
「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」
委員長は落ち着いて、やまちに尋ねた。
「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」
え、ナオちゃんそれって…。
「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」
橋本さんが、思ったことを上手に言葉にまとめてくれた。
「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」
カネッチはまたズレたことを言って周りを嫌な気分にさせる。
「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」
ついにヨシミちゃんが怒った。
「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」
「証拠があんのかよ!」
「あの、証拠なら、保存しております」
振り向くと、荘司さんが勇気を出して声を発していた。
「…は? なんであんたが出てくんだよ」
「す、すみませぬ」
「証拠ってなに? 教えてよ」
「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」
トイレのことかな?
「さっちん?」
「パン食いてー!」
ソフトボール部のふたりが反応すると、カネッチは叱り飛ばした。
「うるさい! そんで?」
「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」
「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」
声を荒げるヨシミちゃん。カネッチは努めて荘司さんから話を聞き出そうとしている。
「誰かの会話を録音したってこと?」
「さよう。これをお聞きください」
荘司さんの操作したスマホから、ナオちゃんの興奮したような声が響き渡った。
うーん、これは言ってしまってる。私は人の悪口を言うのも聞くのも苦手だから、こういうのを聞かされると心が痛む。
「これだ! これだよ、わたしが朝、ナオに変な質問されて、答えたんだ」
カネッチは疑いが晴れたから嬉しそうだ。
「おいメガネてめー、これ、ホントだろうな?」
「さ、さすがに細田氏の音声合成するアプリはありませぬ」
ヨシミちゃんに問い詰められた荘司さんが必死に否定すると、ヨシミちゃんはそれ以上の追求を諦めたみたいだった。
「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」
のりんが質問をした。
「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」
橋本さんがそう推測すると、サエちゃんもこわごわ言った。
「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」
「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」
先生がまた話を元へ戻す。私は、さっきヨシミちゃんがきつい発言をした後で、ナオちゃんがヨシミちゃんの背中を擦ってあげていたことを思い出した。今この場で交わされているやり取りで浮き彫りになるナオちゃんの実像が、なんだか怖く感じられてくる。
「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」
マルちゃんが言った。
「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」
カネッチが同調すると、のりんが説明を求めた。
「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」
「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」
カネッチがそう説明すると、橋本さんが独り言のように呟いた。
「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」
ナオちゃんって、さっき伊村さんに付き添われて出て行ったんだ。まずいんじゃないだろうか。
「狙われるのは、細田ってことか!」
先生が叫ぶと、委員長も慌てたように尋ねた。
「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」
私が席を立ち上がるのとほぼ同時に、斜め前の橋本さんも席を立った。示し合わせたわけではなく、ふたりで急いで教室のドアへ向かって早足で歩く。ノリカも立ち上がって、後ろのドアへ向かって歩き出した。教室のドアを開けて廊下へ出て、ドアを閉めると、保健室へ向かって走り出した。
後ろの方から「走るなよ」と三条先生の声が聞こえたけれど、歩いている事態じゃない。聞こえないふりで、私と橋本さん、ノリカの3人は階段を駆け下りた。
階段を降りるとすぐそこが保健室で、ドアを開けて中へ入って、びっくりした様子の宮本先生に、ナオちゃんたちが来なかったか尋ねた。悪い予感が当たったというか、ふたりは来ていないという答えだった。お礼を言って保健室を出て、その場で橋本さんと会話を交わす。
「伊村さんたち、どこ行っちゃったんだろう?」
「橋本さんは体育館の方へ。私たちは反対の方を探してみる」
ノリカがてきぱきと指示を出した。ノリカには悪いけれど、少し感心してしまった。
「そうだね!」
ノリカに同意すると、橋本さんは体育館の方へ駆けていった。ノリカへ振り向くと、ノリカは思い当たる所があるようで言った。
「4階の使われてない教室が怪しい気がする」
生徒数が多かった時代には使われていたらしい教室がいくつもあって、4階の一番奥には誰も来ない。だから、人目を避けるには格好の場所だった。
「ああ、あそこね。行ってみよう」
今降りてきた階段を、今度は逆に上っていく。
「私、まだ信じられないよ…」
2階を通り抜けて3階への階段を上りながら言った。
「えっ?」
ノリカが聞き返す。
「サトミちゃんのことも、伊村さんのことも、ナオちゃんのことも」
少し俯いて、階段を踏み外さないように慎重に上りながらも、頭の中はこれ以上、犠牲になる人が出なければいいなと願っていた。
「私も」
3階から4階への階段に差し掛かる。後から先生が追ってこない様子だから、きっと橋本さんと同じ方へ行ったんだなと思った。橋本さんをひとりで行かせる形になって申し訳なく思ったけれど、先生が行ってくれたなら心配いらないなと思った。
「みんな仲良しの友だちだと思ってた。みんなのこと好きだったのに」
私がそう言うと、ノリカが聞き返してきた。
「私のことも?」
「え? もちろん好きだよ。友だちでしょ?」
ノリカは何も言わず、4階の奥の教室まで歩いていった。嫌われてると思ってたのかな、全然そんなことないのに。
「伊村さーん」
ノリカは教室の中へ入っていったけれど、中に誰もいないのは廊下にいても分かる。私は中へは入らず、ノリカに声をかけた。
「いないよ?」
「ロッカーかな」
ノリカは念のためなのか、教室の隅っこにある掃除用具入れの方まで歩いていって、扉を開いた。私も教室へ入り、その中を覗きに行った。ノリカと入れ替わりに掃除用具入れを覗き込んだけれど、中にはほうきやちりとりがほこりを被って吊されているだけだった。私は扉を閉じると、振り向いた。ノリカは教室のドアを静かに締めて、振り返った。
「どうしたの?」
私が尋ねると、ノリカは思い詰めたような顔で言った。
「部長に、大事な話があるの」
ノリカがこちらへ近づいてくるから、私も歩み寄っていく。
「大事な話?」
「…うん」
教室の真ん中で向き合った時、ずっと遠くの方で悲鳴が聞こえた。橋本さんや先生は間に合わなかったんだろうか、思わず走り出そうとドアの方へ向いて体が動きかけると、ノリカがそれを止めるように言った。
「行かないで!」
私はノリカへ視線を戻して尋ねた。
「今じゃなきゃダメな話なの?」
「うん。今じゃなきゃダメ」
こんなときに、変な話だったら怒るからね、って笑って言おうと思ったけれど、ノリカがすごく深刻そうな顔をしていたから、ちゃんと聞いてあげようと思い直した。
「わかった。どんな話?」
昼下がりの4階の校舎には西日が当たっているようで、教室の中も光と影の強いコントラストがくっきりと広がっていた。ノリカは意を決したように口を開いた。
「私…部長のことが好き」
一瞬戸惑ったけれど、さっき階段で話していた話の続きなのかと思い出した。
「…さっきの話?」
「ちがう」
「私も好きだよ」
「みんなのことは?」
「みんなも好き」
「私とみんなは?」
「みんな好き」
「それはLikeの好きでしょ? 私のはそういうのじゃなくて…」
ノリカは言葉に詰まってしまった。Likeの好きじゃなかったら、Love…そういうこと!?
「え…えっと…」
何だか急に頭が混乱してくる。差出人のないラブレターを受け取った記憶や、後輩に告白をされて困った記憶が急に呼び起こされてきた。恥ずかしさがこみ上げてきて、思わずノリカから目を反らしてしまった。
「好きなの。大好き。どうしよう」
「…ありがとう」
そう返すのが精一杯だった。
「うん…」
「いや…えっと…」
何か言わないといけないのは分かるんだけれど、何て言ったらいいのか分からない。
「部長、こたえてよ!」
ノリカは一歩踏み込んで言った。
「何をこたえたらいいの?」
「私の想いにだよ!」
ノリカの目は真剣だった。その瞳を見つめたまま、私は何を言っていいのか分からない。
「私、部長のことがずっと好きだったの。だけどそんなこと言ったら迷惑かなって、ずっと言えなかったの」
「そうだったんだ…」
ノリカなりに、ずっと考えていたことだったんだ。苦しかったんだなと思った。
「だけどさっき言われて思ったんだ。いつまでも友だちのまんまじゃ嫌。サトミちゃんみたいに突然死んじゃうかもしれないでしょ。それなら今すぐ好きって言いたくなったの」
さっきノリカに聞かれて答えたのが、ノリカにとっては辛かったんだって思うと、すごく申し訳ない思いが湧いてくる。
「…ごめんね」
小さく言うと、ノリカは尋ねる。
「どうして謝るの?」
「いやぁ…」
言葉に困る。何て言ってあげたらいいんだろう。
「私のこと嫌い?」
「そんなことないけど」
「じゃあ好き?」
「友だちとしてしか見てなかったから、なんて言ったらいいのかわかんないんだよ」
今言えることは、これが精一杯だ。隠しようのない本当の気持ち。
「部長は、好きな人がいるの?」
「いない」
「異性じゃないと嫌とか…?」
「そんなこと考えたことないよ」
きっと女子校にいて異性がいないからだよ、って、後輩を宥めたときの言い訳をまた使おうかと思っていた。そんな考えを見透かしていたかのように、ノリカは踏み込んできた。
「私は、部長が好き。部長のことをもっと知りたいし、私のことももっと知って欲しい。だから、いまは私のことを意識してなくても、これから私のことを意識して欲しい」
「どうすればいいの?」
「じゃあ、目をつぶってよ」
「ええ? なんで?」
なんだか凄い真剣だから、ちょっと笑ってしまう。
「いいから! 早く!」
「こ、こう?」
私は両目をぱちっと閉じる。ノリカが近づいてきた気配がして、唇に優しく何かが触れた。体が水面を通り抜けたみたいな錯覚を覚えた。私は両目を開いてノリカへ尋ねる。
「何したの?」
ノリカは私の顔を見つめてから抱きついてくる。
「ずっとずっと、したかったことー!」
ノリカが頭を私の顎の下あたりに埋めてきた。
「部長、好き好き好き好き好き!」
「ノリカ、おかしいよ?」
「おかしくない! 大好き!」
突然で驚いたのは確かだけれど、嫌悪感は感じなかった。嫌なことだったら、体が反射で動くはずだけど、そうはならなかった。私は素直に受け止めてみようと思った。
「じゃあ、さ」
「うん」
ノリカは顔を上げて私を見上げた。
「私のこと、部長じゃなくて、昌代って、下の名前で呼んでよ」
「恥ずかしい!」
ノリカの顔は真っ赤になっている。
「今更ぁ!?」
そう言うと、私もノリカも無邪気に笑った。さっきより太陽が低くなったのか、より西日が強くなって、ノリカの瞳がきらきらしていた。私を見つめる子犬のようなその眼差しが恥ずかしくって、私はノリカの頭を優しく撫でた。チャイムが鳴り響いて、今までずっと、使われていない教室にも鳴り響いていたんだなと思った。
「戻ろっか」
私が言うと、ノリカは爽やかに言った。
「うん!」
自然に、私はノリカと手を繋いで教室まで歩いていった。
地区予選で早々と敗退してしまったから気持ちが切れたのかもしれない。もしくはノリカと付き合うようになったのが影響しているのかもしれない。あまり何か別のものに原因を求めたくはないけれど、ともかく私は生徒会の副会長に就任した。
「生徒会に入ったほうが、予算を獲りやすいんだよ」
みんなにはそう説明したけれど、練習が減ってしまうから良くなかったかなとも思った。けれど去年より多く予算を獲得できそうで、縫い目のほつれたボールやぼろぼろのビブスを新しくできるのが、間接的に後輩達の役に立つんじゃないかなと思っている。会長は堀川さんだし、書記には橘さんもいるし、やりやすそうな人たちで良かった。
修了式のあった今日も、お昼を挟んで生徒会の会議があるから、いま生徒会室でお弁当を囲んでいる。ふと見ると、会長がふうってため息をついた。私は心配して声をかけた。
「会長、大丈夫?」
会長は微笑んで言った。
「大丈夫、大丈夫」
良かった。来月から3年生だし、志望校へはバスケ推薦じゃなく受験で入りたいから勉強も頑張らないとなと思う。ノリカも私の生徒会がある日なんかは、教室で勉強して待ってくれている。後で合流して、一緒に勉強するのが楽しかったりもする。ノリカはふたりきりの時には「まさよちゃん」って呼んでくれるようになったけれど、みんなの前では「部長」と呼ぶ。なんだかみんなに隠し事をしているみたいで、ちょっとだけドキドキするんだ。