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ヴァージンVS過去・現在・未来 23~木村シンペイ2~

ヴァージンVS過去・現在・未来 23
 
~「Find the cost of freedom」~
 
私が初めて木村シンペイ氏と会ったのは1978年、渋谷宮益坂の三浦ピアノのスタジオでした。
そのころ私は武蔵野タンポポ団のベースだった村瀬雅美氏との活動が、村瀬氏の体調不良により活動停止となり、どうしようかとおもっていた矢先、「帰ってきたヨッパライ」のアンサーソングを作るという企画を当時フリーのディレクターであったK氏から持ち込まれ、なんだかんだ作り、その曲を演奏するためにK氏が「ハート・オブ・サタデイナイト」のサントリー坂本氏を経由しシンンペイ氏と会いました。
結局その企画はボツになりましたが、それ以降、私とシンペイ氏はアコギとドラムというわけがわからん取り合わせでヴァージンVSを挟み現在に至っております。(私はVSの時はエレキを弾いていましたが)
先日(2022年4月~5月)も、ヴァージンVSのコーラス、VOのリッツさんに無理々々ベースを弾いてもらい、3人で「Green Onions」というアコースティックユニットで活動を始めました。
VSの曲も2曲できる形になりました。
っという具合に、シンペイ氏とは長い付き合いになるのですが、私の感覚ではドラマーというと、なんか勢いが良くてほとんどそれだけという方々(失礼!)が多いイメージだったのですが、シンペイ氏は、精神性というものに深く傾倒し、大学も東洋哲学科。
坂口安吾に惹かれて東洋大学に入ったとのことです。
 
当時シンペイ氏は高円寺に住していましたが、大学当時は西武新宿線の沼袋あたりに住んでいたこともあり、私もその時、その沿線に住んでおりましたので、当地の話を聞くことが多くありました。
「ホッピー」という、今も昔も変わらぬ酒好きの友の露天倉庫がその辺りにあるとか、いつも競馬放送を聞いている店主がやっている、いなり寿司と干瓢巻しか出さない寿司屋があるとか、焼き魚定食の魚がどでかい定食屋があるとか。
一応すべて足を運んで確かめましたが、1978年当時は全部現存しておりました。
また、当時シンペイ氏の住んでいたアパートの床は傾斜しており、酒瓶がコロコロと部屋を転げ落ちていたとか、ある冬の朝、ドアの下から雪が部屋内まではいり込み積もっていたとか、何やら日本の四季折々の風情が感じられるところだったようです。
父上が来られて、こりゃあまりなので引っ越すように言われたとか。
 
シンペイ氏がドラムを始めるきっかけはCSN&Yの「4ウェイ・ストリート」John Barbataのドラムに雷撃ショックを受けたとのことです。
やはりフォークだったのか!!
ということは憚れる、素晴らしい「アメリカン・ロックアルバム」ですね。
ライブなのに信じられないぐらいの音質と各楽器の明瞭度。
ノーリバーブなのに深い響き。
ドラムマイクはキックとオーバーヘッド2本なのに、なんでこんなに立体的に録れるのか!!
なによりも、楽曲が素晴らしい。
この時代の最良の音楽が詰まっていると、今聞いても感動します。
CSN&Yというと当時は超絶のコーラスワークへの評価が表立っていたように思いますが、今聞いてみて感じることは、現在にも通じるブレない精神性。
今のような時代だからこそ、振り返ってみないといけない、諸々の事が詰まっているように思います。
当時はベトナムでしたが、現在2022年5月はウクライナ・・・
 
Find the cost of freedom
Buried in the ground
Mother Earth will swallow you
Lay your body down
 
「Find the cost of freedom」より
 
この後シンペイ氏と共に、このシリーズNO.3からのあがた森魚氏とのツアーに同行することになり、ヴァージンVSにつながっていきます。

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