言外にあるのはもちろん、読む人の顔を思い浮かべて書く、だ
「スキとかフォローとか気にせず、書きたいことを書くんです」
noteで“時の人”とされる人たちがよく言うフレーズだ。
しかしその一方でこうも言う。
「それがスキやフォローをもらう秘訣です」
スキとかフォローとか気にせず、なんて言わなければいいのに。
“時の人”は、自分の価値がそれらの数値で表されていることを知っている。
たくさんのスキやフォローがもらえるようになりたいと願うnoterの前で講師を務めるということは、つまりそういうことだ。
書きたいことを書いて、たとえスキがゼロでも講師を引き受けられるなら話は別だけど。
noteっていったい何だ。
ふとまた迷いの小径に入り込む。
noteに書くことで僕は何をどうしたいのだろう。
突如として襲う無力感。
それは定期的に、いや不定期的にやってくる。
足音を忍ばせて、気づかれないように近づいてくるのだ。
そして剣先をシュッと喉元に突きつける。
あるいは書くだけでいいのかもしれない。
それこそスキなど気にせず、読まれなければそれまで、の精神で。
でもやっぱり僕は、文章は読む人がいてこそのものと信じている。
読者がいないところに日記以外の文章を書くことは、僕にはできない。
僕のメンバーシップ〈エディターコース〉では、読者に届く文章を書くことを大切にし、読まれる文章をどう書くかを伝えているつもり。
コース名を〈ライターコース〉にしなかったのは、書くだけではなく読まれることを意識してほしいからだ。
だから、メンバー特典記事のタイトルは「書く人あれば読む人あり」。
書く人がいて、読む人がいるから文章は成り立つ。
それは編集者時代に学んだことでもある。
僕はやっぱり、読む人の顔を思い浮かべて書く。
そうして書いたものは、多くの人に読んでもらいたい。
読まれていることをもっとも実感できるのはコメントだ。
コメントは読了のサインにとどまらず、読者のアナログな“人となり”がにじみ出て、そして対話が始まる。
目下、僕にとってnoteは、コメント、メンバーシップ、そしてリアル。
小径をさまよいながら、交流の広場を目指す。
僕は素直にこう言いたい。
「書きたいと思うことを書いて、交流の輪が広がったら嬉しい」
言外にあるのはもちろん、読む人の顔を思い浮かべて書く、だ。
(2022/10/20記)