人と繋がるということ

私が意思を剥き出しにすれば誰かにはそれが凶器に感じられるかもしれない。理不尽に思えるかもしれない。私は理不尽なことを言う中学の頃の家庭科の教師が大嫌いだったので誰かにとって理不尽な言葉を吐く横暴な人間になりたくない。
でも誰かの目にはきっと、否、確実に、そう映ってしまう。仕方がない。人間誰しも、自分の意思を表明すればそれに賛同されず誰かを傷つけて攻撃して、嫌われる。でも、そんな私の意思を肯定するわけではなくても、何も言わずに優しくしてくれる人はいる。話せば口下手で面白くなくても、一人でいることを好んで周囲の人間を疎んだかと思えば寂しさから誰彼構わず腰に手を回すような、こんな人間にも、各駅停車でとなりの席で話を聞いてくれる人がいる。会えば私の素敵なところを言葉にして、純な気持ちで伝えてくれる優しいかけがえのない人がいる。
あなたとは二度と関わりたくないですと言われたことが人生で三度ある。それも全て別の人間から。これは多いのかな、どうなんだろうか。
嫌いにさせてしまってごめんなさいという気持ちになった時もあれば、私も悪かったけどだから何なのだろう、分かり合えないならそれまでだよって時もある。私はどういう人間なんだろう。とても善良な人間として生きてきたと疑わなかった。
もしかしたらそうじゃないのかもしれない。誰かに深く嫌われることが増えてしまった気がするけれど、同時に深く愛してくれた人もいるから、私は幸せ。暴力的な意思があなたを殴っていたらごめんなさい。言いたいこともほどほどにしなきゃ傷つけますし、と、の子さんも言ってるもんね。
ただゆっくり変わっていく街の風景を電車で毎日通りすぎていくような、本当に柔らかい人にならないと。町の建物と寒空の境目が大好きだから、あれになりたい。或いはあれに似合う曲に。
私は色んなことを知ったせいで、何も知らないから空を飛べるかのような、あの支離滅裂で美しい文章を簡単に書かなくなったな。

言葉を口にするというのは怖い。言葉を口にしなくても怖い。目の前で当たり障りなく笑っている人が私と同じような、もしくは未知数の感情、思想と悪意と思いやり、傷心、欲望を秘めていると思うと、人と人が関わることの深淵を覗いてしまったようで恐れ慄く。でも、それが真実なんだよね、忘れていただけで。
歳をとるほど周りとの上手い距離の取り方がわからなくなった気がする。優しい人になりたい。きっと私は優しくない。今の私は好き嫌いがはっきりして、好きな人に過激なだけの人間。愛もあるけれど、敵意にも塗れていて野鄙だ。
私を愛してくれる人たちみたいな、人になりたい。

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