好きな服を着ることで無双したい。ていうか好きって気持ちだけで無双したい。

えっと…ウチらっていつか死ぬらしい。輪廻転生という考え方がありますが、生まれ変わったとしても、来世人間になれるかどうかはわからない。(まあ知らんけど)
であれば、着たい服を着る以外ない。今、着たい服を着なければ。
だって来世生まれ変わってイモリとかになってたらどうする?イモリはロリィタもパンクも地雷系もストリート系も着れんよ。仮に人間に生まれ変われたとして、果たしてその「私」は今の私と同じ趣味をしているだろうか?
今の憧れを持っていられるのは今だけなのだ。後にも先にも、その憧れや趣味があり続ける保証なぞ無い。

私は中学生の頃から、「毎日好きな服を着て可愛い学校で高校に通う」ということを夢見ていた。それを今、かなり実現できているんじゃないかと思っている。それは周りの人に可愛いと思ってもらいたいからとかも勿論あるけれど、やっぱ、好きな服着てないとテンションガン下げじゃん。ダサい格好してる私なんて見たくない。常に最強のファッションでいたい。金銭的に限界があるから、今もまだ「それなりに」って感じかもしれないけど。
中学生の私は髪型とかなんか色々ダサかった。容姿のことで悪口も言われた。ずっと“可愛くない側”だった。今だってマシになった程度かもしれないけれど。
でもそれなりに自由にできるようになった今、コンプレックスを抱え続ける必要はないのだ、きっと。
だからなるべく可愛い状態で人目に触れたい。
しかし中学生の頃の私も、着たい服は着ていたと思う。それは変わっていない。
やっぱ好きなもの好きって言いたいじゃん。てか、私は言いたい。
ずっと、「好きなものが好き!!!!」と叫んで生きてきたようなものなのだ。そして好きなものを一番わかりやすく表現できる手段がファッションでもある。
自分の中身が本当はかっこよくなくても、自分でカッコいいと思える服装をしていたら少しだけ背筋を伸ばせる。人生が劇だとしたら、一番素敵な衣装を着て舞台に上がりたい。
自分がときめけばいいのだ。誰にも迷惑かけていやしないんだから、好きな格好をして、好きな街に出掛ければいい。先生に、親に、同級生に受け入れてもらえなくても、全ては「私」だ。好きを謳歌する者を嘲笑い、叱責していい人間なんていない。周りを気にするなと言うのは簡単で、実際そう上手くはいかないかもしれない。でも、そればかりに囚われていたら絶対に後悔する時が来る。

だって私たちは、「いつか絶対に死ぬ、そしてそれはいつ訪れるかわからない」という爆弾を背負わされているのだから。なりたい私になる前に、私を終わりたくないのだ。

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