19歳の私が子供を産みたくない理由

私は現時点では子供を産みたくないと思っている。高校生の半ばくらいからそう思いはじめ、今は確固たる意志として産みたくないと思っている。当然今後その考えは変わっていく可能性はあるけれど、産みたくないどころか、今は絶対に産むのは嫌、くらいに思っている。

まず第一に、私は生まれつき痛みに弱い。親にもよく言われるけれど、小さい頃から些細なかすり傷くらいで骨折したのかというくらい泣き喚いていた。
痛み以外にも体の感覚が少し繊細で、ちくちくする服に耐えられなかったり、空腹を強く感じてしまって他のことに集中できなくなったりする。(HSPの傾向があるからかもしれない)
デンタルショック(不安や恐怖心があるときに歯科麻酔すると体が硬直したり過呼吸になる)の経験や、ジェットコースターに乗って体が動かなくなった(理由はよくわからないが激しい緊張と痺れで動けなくなってしまった)ことなど、何かと痛みや恐怖に身構える気持ちが強いので、出産なんかしたら誇張なしで生きて帰れないかもしれない。
実際、あまり周知されていないのかもしれないが、出産で命を落とす女性は一定数いる。男性は軽い気持ちで子どもが欲しいと思うのかもしれないが、女性は死の危険と隣り合わせなのだ。
さらに、たびたびTwitterで話題になるが、出産時に病院側に人権を無視されたような対応をされたという声を何人もの女性が上げているのを目にした。そんな辛い思い、惨めな思いをするのは絶対に嫌だ。
出産にあたっての夫の対応に傷ついた女性も数えきれないほどいるだろう。立派な対応をする男性だっていることはもちろんわかっている。無配慮な言動をしない立派な人と一緒になるのがいい。でも、普段は気に留めないような発言だったとしても、生死に関わる出産のタイミングで言われたことはずっと深く根に持つ。そこで大事な人に失望した経験を持ちたくないのだ。

それでも自分の子供に会いたいと思う人は、その心身の痛みに耐えられる強さを持っているのかもしれない。
でも私はそこまでして子供に会いたいという思いがない。正直に言うと、私は出産が怖いから云々を差し置いて、体の安全が保証された状況にあったとしても、子供を産みたいという気持ちが理解できない。
嫌味でもなんでもなく、本当に分からないから、色々調べたこともある。なぜ子どもが欲しいのか。どの回答もピンとこなかった。
「子どもがいた方が楽しい」
それは所詮親の気持ちじゃないか。エゴだ。子ども自身が生まれてきて良かったと思える確証なんてない。
どれだけ自分が子供に愛を注ごうが、大事に不自由なく育てようが、子どもが生きていくこれからの日本社会、世界が、暴力を振るうかもしれない。
「老後に1人になるのは寂しい」
それはそうかもしれない。私も1人にはなりたくない。でも、それこそ親のエゴだ。子供の気持ちなんて考えていない。自分の寂しさを紛らわすためや、あろうことか自分の世話をさせるために子供を産むなんておぞましいことだと思う。

「なぜか分からないけど、会いたいと強く思う。母性本能なのかもしれない」
これはしっくりきた。なぜか分からないけど、会いたいと強く思う、、その感覚なら、少しわかる。私も子供に対してではないけど、まだ知らない人に対して、切に会いたいと思った経験があるから。
だからきっと、私も子どもがもし出来たらこんなふうに思うのだと思う。でも、いくら本能的に会いたくても、先述したような障壁があるから、実際の行動には移さないだろう。

「好きな人の子どもが欲しいから」
これはとてもわかる、ほんとにわかる、
だから高校生の頃、太宰治の『斜陽』を読んで衝撃を受けた。
でもそれすら親のエゴだよな、って

あと、すごく重要なこととして、自分がなんのために生まれてきたのか、何のために生きていくのかが分からないから、何のために生まれてなんのために生きていくのか分からない命をもう一つ産み落とすなんて出来ないというのがある。
私は親に感謝しているし、生きていてとても幸せだけど、なんのための命なんだろうといつも思う。考えるほど果てしなく思考は広がって収拾がつかなくなる。
私は今幸せだけど、生まれてきた子供が、生まれてきて良かったなんて思えるかは分からない。どれだけ自分が愛を注いで育てても。
極論、生まれてきた子どもが全く勉強しなくても、就職せずにニートになっても、「自分は産んで欲しいなんて頼んでない。なんで自分の意思で生まれてないのに就職しなきゃいけないの?」と言われたら何も言い返せない。これはそのまま私が思っていることである。
私は親には親孝行したいと思っているからそんなこと言わないけれども…。(だから子供にコストをかけない分親への恩返しをしたい)


あと単にお金と時間が惜しい。私の理想の生き方はいくつになっても好き勝手にライブに行って、おしゃれして、ライブしたり創作したり一人旅したり友達と喋ったり、今みたいな生活を死ぬまで繰り返すことだ。
子供を育てるとものすごくお金がかかる。そのお金があるならライブ全通したいと思ってしまう。子供に服を買うお金があるなら自分の服を買いたいし、子供に教育受けさせるお金があるなら自分の興味のあることを学ぶお金にしたい。果てしなく自分のことしか考えていない。自分大好き。でもそれの何が悪い?
自分の命は自分のために使うべきなのに、子供を産み育てるべきであるみたいな常識の方が私からしたら狂ってる。

それにこれからの世界、正直人間は今まで通り生きていけないと思う。地球温暖化。戦争。災害。私は世界の未来が明るくなるイメージなど持てない。自分が生き抜けるかさえ分からずに不安で押しつぶされそうだ。
子孫なんて繁栄させなくていい。私は天国を夢見ているし、末法思想みたいな考え方を持ってるなと思う。
未来に希望を持っていないから、昔流行ったファッションをして、昔の音楽ばかり聴いている。生きれるところまで精一杯生きて、良いところでぱっと死んでいけたらいい。

あと、子供が生まれても愛せる確証はない。子どもは所詮他人だ。
私の母は保育士で、保育士になる勉強をしているときに、先生に言われた「自分にとって可愛い子だけを見て子どもが好きだと言っていませんか?」という言葉がずっと残ってると言っていた。
多くの親は子どもは可愛いと言うけれど、そうじゃない親がいるのも事実だ。

要は、私は、自分がつくらなければ、産まなければ存在していなかった「人格のある他者」が、「生まれてきて良かった」と思えるように育てられる自信がないのだ。
自分自身にも、この世界にも。私はそこまでの責任を取れないと思う。
その気持ちの根幹には、自分が生まれてきた理由がわからないからというものがある。自分が生まれてきた理由も分からないのに、なぜこんな不可解な世界にもう1人生み出せるのか。
それに、私は生涯好き勝手に自由に生きたいのだ。子供だって所詮知らない他者だ。知らない他者のために自分の尊い自由や人生を犠牲になんて絶対したくない。

子供を産みたいと思っている人のことは否定しないし、子どもは守られて愛されて育っていくべき存在だと思う。
だし、万が一自分に子どもが生まれたとしたら、すごく大事に育てると思う。愛情をかけると思う。愛せる確証はないと言ったけど、少なくとも現時点では、慈しんで人生をともにする想像は、できる。
でも私が子供を産みたいと思うには、これまであげた全ての要因が取り除かれないといけないのだ。
そんなのもはや不可能に近い。
これは別に暗い話でもなんでもない。
意思が変わる時だって来るかもしれない。
でも今の私はこう考えている。


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