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私の不思議譚(2017.3.18)


Ⅰ家具の隙間の怪人

  これは私が幼稚園児の頃の話。よく同じ夢を見たことを今でも覚えている。子どもの頃、何故か私は箪笥と箪笥の隙間にはさまって身動きがとれなくなる夢を見た。体が動かず、目を開けると、私の目の前に知らない男が顔をぴたっと密着させているという光景を何度も何度も繰り返し見た。奴の目が私のまつ毛にくっつくくらいにぴたっと張り付いており、私が右を向くと、奴の目も同じ方向を向く。反対を見ても同じ動きをするのだ。
 少年になるとその夢は見なくなったが、あれは親父が私をかわいがるべく、顔を密着させていたのかなどと想像してみたが、違うだろう。むしろ自分の裏瞼に映った自分の瞳を見ているのかなとも思ってみたりもしたがよくわからない。常に身動きがとれないというのも何か意味があるのだろう。その怪人は毎回、箪笥と箪笥の隙間に潜んでいるのだ。以来、私は怖くて、家具の隙間をあえて覗き込まないようにしている。私の夢に決まって登場する奴はいったい何者だったのだろうか。

Ⅱ伊那の狐火

 これは私が小学生の頃の話。私は夏になるといつも家族総出で母の実家に帰省していた。母の故郷は長野県伊那市下殿島というところだ。旧家で、南側は田圃に面しており、南東方向に発電のための送水管が山の斜面を下っているのが見える。これが子供の頃の伊那の景色だ。母の実家は農家で、牛も数頭飼っていたので、牛の匂いに包まれた大きな家だった。南側の縁側には稲穂の匂いが混じった涼風が吹いてくる場所で、皆のお気に入りの場所だった。私もそこに布団を敷いてはよく眠っていた。
 山の斜面を下る送水管には、夜になると明かりが。ところが、ある晩、その送水管から少し離れた山の中にいくつもの明かりがゆっくり点滅しながら、登っていくのを見た。どう考えても車の明かりとは思えない。車のライトならば、方向からいって下ってくるはずだ。人が夜道を歩いていたとしても、夜に複数の人が歩くような山ではないはずだ。私は急いで母を呼び、あの光を見せようとしたが、そのときはもう光は消えてしまっていた。母に話したら、それはきっと「狐火」だろうとのこと。平然と言ってのけたので、よくよく聞くと、母も子供の頃、ときどきあの方角に狐火を見たことがあるそうで、決して珍しいことじゃないのだそうだ。でも、やっぱりあれは超常現象には違いなく、それに慣れっこになっていることに驚いた。やっぱりあれは狐火だったのだろうか。

Ⅲ死を告げる無言電話

 これは私が二十代の話。無言電話は今も昔もあるが、明確に相手を感じた無言電話を受け取ったことが一度だけある。
 私は幼少の頃から長野県に住む母方の祖母によくかわいがられていたようだ。厳しい祖母だったが、学のある人で、ときどき上京しては、我等兄弟の面倒をみてくれていた。あれは、私が大学を卒業する年の二月七日のことだ。昼間、一人で自宅にいたときに黒電話が鳴った。もしもしと呼びかけても反応がない。いたずら電話かなとも思ったが、先方は電話を切る様子がない。おかしいなあと思っていると、よくわからないが、田舎の祖母の顔が心に浮かんだ。「婆ちゃん?」と呼びかけると、電話が切れた。
 その日の夕方、田舎の叔父さんから電話があり、祖母が自宅で息を引き取ったとの連絡が入った。田舎の叔父夫婦は農家なので、日中は出払っており、自宅療養中の祖母が息を引き取るときは、誰も家にいなかったようだ。死亡推定時刻は私が謎の無言電話を受け取ったときと一致するらしい。病床を這い出る元気はもうなかったので、死ぬ間際に電話をかけるのは無理だろう。よって根拠はないが、死んだ直後に祖母が私に知らせてくれたのだと思ったのである。あの無言電話は祖母からの死を告げる電話だったのだろうか。

Ⅳ川上牧丘林道の怪

 これも私が二十代の話。ボーイスカウトの隊長を務めていた私は、先輩のOさんと毎月のように関東の山間部に車で分け入っていた。夏のキャンプにふさわしい野営地を探し求めていたのである。ボーイスカウトのサマーキャンプは活動の一大イベントであり、民間のキャンプ場では、自由な活動が制限されるので、山間の小さな平たい土地を探し続けていたのである。ある年、青梅で見つけた野営地は私有地なのだが、水場の民家とも適度に離れた里山で、林と川に恵まれたとてもよい場所だった。朝と夕に蜩が一斉に鳴く里山だった。こういう場所を求めて、しばしば林道を走っていたときの話である。
 そのときの目的地は長野県川上村なのだが、何故か夜に出発し、大弛峠で野宿する計画だったと思う。夜も十時か十一時頃だったと思う。山梨県塩山市を抜けて、川上牧丘林道を走っていたときのことだ。両側を木々に覆われ、トンネルのような林道で、突然、目の前を大きな鳥が飛んで行った。しばらく車の進行方向に飛び続け、脇の木の枝にとまった。なんと大型のフクロウだったのである。翼を広げると一メートル以上はある大きなフクロウだった。珍しいものを見たねと感激した後に怪現象は起こった。
 静かな夜の林道をひた走っていると、助手席に座った私の目の前のフロントガラスに、黒い霧のような影が渦を巻き始め、しゅるしゅるとからみつくようにフロントガラスの左上部で踊り続けるのだ。時間にして十秒程度かもしれないが、闇夜にその謎の黒い物体は我々の車にからみついてきた。私は声を出さず、息をひそめ、その不思議な物体の動きを観察した。しばらく走ると、広場のような場所が現れ、運転をしていたOさんが車を停めた。トイレ休憩しよう言うので一緒に車外に出たら、Oさんが黙ってフロントガラスをチェックして、私に声をかけてきた。
「さっき、車の窓に、変なものを見なかった?」
 私は頷いた。やっぱりOさんにも見えていたのだ。私はOさんを驚かせないように平静を装ったのと、トンネルのような木々に覆われた場所で車を停めたら、何かに襲われそうな気がして、一刻も早く、その場所を通過してほしくて、敢えて何も言わなかったのだ。Oさんもその不思議な黒い物体に気づいていながらも、注視できないために確信が持てず、わざと言葉を発しなかったらしい。あの黒い影はいったい何であったのだろうか。

Ⅴ乙女鉱山の地底国への入口

 これも私が二十代の話。大弛峠越えはとても魅力的で、その前後の支道も含め、車で入れる林道はすべて制覇したと思う。近年では、ゲートやチェーンで閉鎖されている林道が多いが、当時はまだ結構車で進入できた時代であった。川上牧丘林道の山梨県側は舗装された快適な道だが、峠の先の長野県側は未舗装の悪路で有名だ。ちなみに大弛峠は車で越えられる日本最高所(二千三百六十メートル)の車道峠であり、「夢の庭園」と名付けられた見事な展望地がある。
 この日の目的地は乙女鉱山跡。川上牧丘林道の西方にある。かつてはタングステンや水晶を採掘していたらしい。この時もボーイスカウトの先輩であるOさんと二人で山に分け入った。林道に車を停め、歩くこと数十分。鉱山跡にたどり着いた。作業小屋らしき痕跡の先に、鉱山の坑口が口を半開きに開けていた。川べりの坑口は川のように水が流れ、別の穴から水が川に流れだしていた。山の中に分け入ったところにもう一つの坑口があり、そこに不思議な置物が鎮座してあった。もう記憶が曖昧なのだが、アイヌやニューギニアの原住民を連想させるアジア風な置物が坑口の両脇に置かれてあった。まるで何かを語りかけるかのようなオーラを発している。地底国への入口を示しているようにも見えるし、ここに侵入すると危険といったメッセージのようにも見えなくもない。
 それから十数年後に、その地底国への入口のオブジェを確かめようとOさんと再訪したことがある。川べりの坑道は見つかったが、山の中の坑口がどうしても見つからず、引き返してきたことがある。あれは地底国への入口だったのだろうか。

Ⅵ犬越路のUFO

 これは私が三十代の話。神奈川県の丹沢山地に犬越路という峠がある。武田信玄が小田原攻めの際に犬を先頭に越えたという伝承のある峠だ。私は二十代から三十代にかけて、日本全国の峠を訪ね、写真に収める活動を続けていた時期がある。自称「峠研究家」だ。この峠研究の一貫で、この犬越路を訪れたときの話だ。
 この日も愛車アルシオーネで出かけたのだが、峠の登り口に着いたのが夜になってしまった。峠の下を貫通する自動車トンネルがあり、山北町方面からトンネルに入ってみたところ、出口のところでゲートに阻まれてしまった。一般車通行止めの林道だったのだ。やむなくUターン。トンネルの反対出口の脇に駐車スペースがあったので、そこに車を停めた。車中で眠り、朝になったら峠道まで歩くことにした。後部座席で眠りはじめたものの、真夜中の山中は静か過ぎるのと肌寒さのせいで、なかなか眠れなかった。それでもうとうとと眠りについた頃にその出来事は起こった。
 突然、ウォンウォンウォンというサイレンのような音が聞こえて来て、何事かと思って体を起こすと、トンネルから青白い光の玉のようなものがビュンと飛び出して行くのが見えた。眠る態勢だったので、メガネを外しており、よく見えはしないものの、確かに青い大きな光の玉が音を発しながらトンネルから発射されたのである。ここにいては危険だと思い、急いで車を走らせ、林道を下り、県道まで移動した。
 車を停め、あれは何だったのかと推察する。音からするとパトカーの可能性がある。ただし、あのトンネルの向こうはゲートで閉鎖されていたし、仮に警察が鍵を持っていたとしても、深夜に山中をパトロールするとは思えない。何かを追跡していたとしても逃げる車やバイクはあのゲートを越えられないはずだ。よってパトカーではないだろう。そうなるとあの光の玉はUFOに違いないというのが私の導き出した答えである。
 時間の経過とともに興奮も収まり、明日の峠探訪のために車中でもう一度眠ることした。ところが深夜の二時くらいだっただろうか、私は気配を感じて突然目が覚めた。後部座席の窓から空を眺めると、青白いレーザービームがまっすぐ自分の頭を照らしていることに気づいた。慌ててメガネを探し、体を起こすと、その光線は消えていた。私はUFOに追いかけられていると思い、またしても車を走らせ、集落までたどりついて、民家の脇に車を停めた。さらに何かが起これば、助けを求めようと思ったからである。でも、きっとこの夜の体験を話しても信じてもらえないだろうが。犬越路を目前にして帰るのも躊躇われ、眠れぬ夜を過ごしたのである。
 翌朝、犬越路への登り口まで戻り、歩いて峠に登り、調査を完了した。そのときに、額の生え際に痛みを感じた。触ってみると、頭蓋骨が小さく陥没しているではないか。どうやら真夜中のレーザービームで何かを埋め込まれた可能性がある。当時、宇宙人に何かをインプラントされるというTV番組をやっていて、まさにそれかもしれないと考えたわけだ。ちなみに生え際の額の陥没痕は今も残ったままだ。あの光の玉はUFOだったのだろうか。

Ⅶ白川郷の座敷童

 これは私が三十歳頃の話。岐阜の合掌造りがまだ世界遺産に登録される前のことだ。家族で白川郷と五箇山を訪れたことがある。研修施設のような無人だが宿泊できる合掌造りの家があり、そこに泊まった。その家屋には私たち三人だけが泊まり、他に宿泊客はいなかった。二階の畳の部屋で寝ることになった。
 物音に最初に気づいたのは妻だった。深夜、何やら三階から足音がするという。私は目を閉じながらも天井に聞き耳を立てるが何も聞こえない。いつしか眠りについてしまい、また妻に起こされた。すると微かにミシ、ミシとゆっくり何か移動する音が聞こえた。懐中電灯を持って、恐る恐る三階に上がってみるも、人影はない。
 階下に降り、また耳を傍立たせていると、今度は明らかに、子どもが走るような音かして、振動も感じた。「誰?」と声を出すと、足音は止まった。そしてしばらくして、ゆっくり、ミシ、ミシと以前と同じ音を立てて三階の何かは移動し、そのまま家屋の外へ立ち去ったようだ。妻が「あれは座敷童に違いない」と言ったので、怖さがなくなり、むしろ縁起のよい建物に泊まれたことで安心し、眠りに落ちてしまった。あれは座敷童だったのだろうか。

Ⅷ中央道に現れる悪魔の使者

 これも私が三十代の話。いつものように家族で長野県伊那市の母の実家に帰省するべく、中央自動車道を走っていたときのことだ。山梨県の境川パーキングエリアの下り路線の合流地点で、そいつはふらふらと高速道路に侵入してきた。私はとっさに二つの結末を予想した。①急ブレーキを踏むと後続車に追突されてしまう。②急ハンドルを切ると制御不能になる。そこで、私は体当たりを覚悟して直進したのである。すると奴はひょいと身をかわした。そして私の方を見て、ニヤッと笑ったのである。奴とは黒い犬のことだ。
 あやうく事故るところだった。後で聞けば、そこでは何度も車の事故が発生しているのだそうだ。きっとこの黒い犬の仕業に違いない。以後、私は中央道の境川の自転車競技場を見つける度に、笑う犬に遭遇するかもしれないと周囲を伺うことにしている。奴を見つけたら皆さんもひき殺すつもりで迷わず直進するべし。あれは悪魔の使いだったのだろうか。

Ⅸダンゴムシの痕跡

 これも私が三十代の話である。ある日、自分の手相をしげしげと眺めていたら、右の掌におかしな痕跡があるのを見つけてしまった。指先ではないので指紋とは呼ばないのかもしれないが、掌の指紋に異常がある。ほとんどが七時の方向に指紋が流れていくその縞模様に、縦一センチ・横四ミリくらいの大きさに渡って四時の方向に指紋が流れているミトコンドリア状の異形の指紋があることを発見してしまった。明らかに掌に現れた突然変異。いつから掌に刻まれたものかわからない謎の紋。
 その後、私は幼少期の記憶を思い出す。ダンゴムシを掌でバンと叩き潰したことがあった。あれは圧死したダンゴムシの恨みの痕跡なのではないだろうか。

Ⅹ花小金井ののっぺらぼう

 これも私が三十代の話。私は結婚して以来、小平市に住んでいる。あれは確か花小金井南町に住んでいた頃のことだ。毎日、自転車道路を歩いて花小金井駅に向かい、通勤していた。 ある日、四輪の昔風の乳母車を押して女の人が自転車道路を歩いてきた。どんな赤ちゃんを乗せているのかなと思って、乳母車を覗いてみると、そこにいたのは黄緑色をしたゴムのような皮質の子どもで、目も鼻も口もない、のっぺらぼうだったのだ。すれ違ったほんの一瞬だったので我が目を疑ったが、引き返して覗き込むのも失礼になるので、気づかぬふりをして通り過ぎた。後日、TVで的場浩二が緑色のゴム人間を見たと言っていたが、まさにそれだと心の中で叫んでしまった。あれはいったい何だったのだろうか。

Ⅺ小平霊園の卒塔婆

 これは私が四十代の話。自宅の近くに都立小平霊園がある。都下では多磨霊園・八王子霊園と並ぶ大規模墓地である。自然の湧水が湧く緑豊かな散歩に適した場所でもある。私はときどき読書をしに自転車で小平霊園に出かけていた。夕方になると犬を連れた人々が集まってくる場所でもあった。
 小平霊園を散策していると、いくつもの荒れ放題の墓地が目につく。子孫がいないのか、何年も放置されたお墓があり、草が茫々に生えているのだ。あるとき、見るに見かねて見知らぬ人の墓を掃除してあげた。雑草を除去し、墓石の汚れを洗い、線香を立ててあげた。その後、その墓石の近くを通ったとき、風もないのに周辺の卒塔婆がカタカタカランと鳴った。まるで私の墓も掃除をしてくれと頼んでいるかのように。その後も霊園に行く度に同じ現象が続いた。妻にそのことを話したら、対処する術もないのに霊に頼られてしまう可能性があるので、見知らぬ人の墓掃除はやめた方がよいと言われ、その後、小平霊園には近づかなくなった。
 この話には続きがある。新青梅街道を西方から自宅に向かって走っていると、小平霊園のあたりで、我が家の先代プリウスのカーナビが、なぜかいつも小平霊園内を通過しろと指示を出す。青梅街道からは進入できない霊園への道を曲がれと言う。あの卒塔婆が鳴動するあたりを通れとナビが指し示すのだ。あの卒塔婆は何故私を呼び続けていたのだろうか。

 以上、年代順に11話をお届けしたが、いずれもすべて実話である。


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