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午前0時の飛行機に間に合わないかもしれないという日

ひと月ぶりのパリはまだ7月の終わりだというのに、予想以上に寒々としていた。これでも夏なのかというぐらい涼しく、36度越えの東京とは対照的だった。
まだまだ早朝といった時間にシャルル・ドゴール空港に到着した私は疲れと寝不足と、何よりも狭苦しい機内で硬くなった身体を引きずりながら、ひたすら温かいシャワーと平和な睡眠だけを夢見ていた。そしてやはり前日の大パニックを未だ消化しきれていない自分のことが可笑しかった。
前日の大パニックというのは、私がそれまでの人生で犯してきた数限りない「勘違い」が遂に引き起こしてしまったドタバタ劇の事である。

「ひと月」という長そうで短い日本滞在の間、私は自分の帰りの便が7月28日だということを忘れたことはなかった 。しかも飛行機の出発時間は午前0時だったので、前の日においても私はゆとりを感じながら結構な予定を入れていた。朝は歯医者さんでのセラミックの仕上げ 、午後は仙川で友人に続いて兄と会う約束をしていた。
兄とは成城の風月堂まで行き、念願のかき氷を食べすっかり上機嫌になった私は、簡単な夕食のおかずを買って夜20時頃帰宅した。そしてお土産に買って帰ったプリンを食べて喜ぶ父の顔を見てからゆっくりと台所に立ち、スパゲティミートソースを作った。
ミートソースも思いの他上手に出来上がり、 満足しながら父と遅めの夕食をとっていた時に私の携帯の通知が鳴った。
何げなく携帯を覗くと一つのメッセージが目に入った。

「ご予約便の出発時刻まで4時間を切っています」

それがそのメッセージだった。その日一日の過ごし方から見て、私はそれを何気なく見過ごすこともできたであろう 。なにせ私の出発日は27日ではなく28日のはずなのだから。
でも、ひとつの不吉な事実が頭をよぎった。
私の便は夜中の0時だったのだ。もし28日に空港に行ったとしたら、私の便が出るのは29日になってしまう。
その瞬間私はやっと事の次第を理解した。
そしてフォークを持ったまま不吉な表情で父を見つめる私を、父もまた奇妙な面持ちで見つめ返してきた。私が父に「わたしの飛行機は今夜だった」と小さく呟くと、父はなんのことかわからないようで可愛らしくちょっと首を傾けただけだった。

それから後の事はまるで夢のようだ。
メッセージをすぐ見たわけではなかったので、時刻は4時間どころか飛行機出発時刻のほぼ2時間前に迫っていた。
不幸中の幸いとはこのことだろうか? 空港は成田ではなく羽田だったので、私にはイチかバチか賭けに出るという希望が残されていた。

とにかくその場において自分の仕出かしたトンデモナイ勘違いを悔いている暇は1秒もないことだけは分かっていたので、私は無言で玄関からスーツケースを引きずって来ると自分の部屋の真ん中へ置き、それに目に付くモノ全てを放り込んだ(もともと荷物が少ないので10分もかからなかった)。

傍らでオロオロしている父を横目に、取り敢えずチェックインだけをオンラインで済ませると(空港へ向かう最後のバスはすでに20時に出てしまっていたので)、震えながらタクシーを呼んだ。
気がつくと父は私がヴァイオリンを忘れないようにとそれを玄関へ運んでいた。
程なくしてやってきたタクシーに飛び乗った私は 無事40分後に羽田空港に到着することができたが、手荷物を預けたのは受付締め切りの5分前という完全なる滑り込みだった。もし道路が少しでも混んでいたら私は無駄に2万4千円というタクシー代までもを失い、Uターンするしかなかったのである。

まったく今考えても 背筋がぞっとする話だ。
普段なら出発の数日前から少しずつお土産などを買い揃えて行く私であるのに、今回に限っては出発当日にフランスへ持って行く日本の食品をまとめて買う予定をのんきにも立てていた。それもこれも飛行機が0時だからとリラックスし過ぎて思考停止状態になっていたのである。
あの夜タクシーに乗ってから、やっと自分が日本の食品を何一つ持っていないどころか足元がまだ普段のサンダルだったことに気が付いた。でもそんなことより、まともな別れの挨拶すらできなかった可哀想な父と、山のような洗い物を台所に残してきたことの方がずっと悔やまれた。
やれやれ。それでも飛行機の日時変更には莫大なお金がかかるこの時期、 やはり飛行機に無事に乗れて良かったなとほっと胸を撫で下ろす私であった。 




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