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[金の時間]、[銀の時間]

私の人生の一体どの時期からこれほどまでに時間が過ぎるスピードが増したのだろう?それは目に見えないほど「少しづつ」だったのだろうか、それとも「一気に」加速していったのだろうか?

はっきりとは思い出せないが、人生のある時期までは確かに私の一日は今の「2倍」の長さだった。私は2年位前からこのことを本気で不思議に思い始めている。2倍の長さだったから、仕事をしたあとにゆっくり映画などを観ていたのだが、なぜか今は映画を観る時間がない。常に「するべきこと」が山のように目の前に立ちはだかっている状態だ。コロナになって、いよいよ家にいる時間が増え、部屋の片隅で仕事をしていたと思ったらそのままつかの間のSNSなどに耽り、その後はまたやるべきことをやって1日が終わってしまう。SNSの時間を極端に削ってみたところでそれはさほど変わらない。
私は異次元に迷い込んだのだろうか?

昨今話題になっている「タイムマネージメント」関係の本や動画を見ると大体どれも同じことが書いてある。「朝、そして夜寝る前はスマホに触らない」だとか「同じ服を着る」「既読スルー」などのキーワードが躍る。でも私が時間を使っているのは本当にそのようなことだけなのだろうか? スマホはもう何年も前から使っているし、Facebookも10年以上も前からやっている。私が不思議に思うのは単純に、自分の中で「1分の長さ」が変化したことである。

こうなってくると「時は金なり」と言う言葉がいよいよ現実味を持って迫ってくるのを感じ、もともと時間の使い方がヘタな私は重い腰を上げ、「本気で」タイムマネージメントについて自分なりに考えてみた(本気で、と書いたのは今まで毎日の予定表を作っては何度も挫折してきたからだ)。
まず24時間から一番大事な睡眠時間の8時間を抜いてみる。それからパフォーマンスの落ちる昼食後の2時間と、夜の9時以降の2時間も抜き取る。そして残った12時間を「金の6時間」と「銀の6時間」というふうに分けてみた。

「金」の時間は本当に自分がやりたいことや勉強に使う時間。「銀」の時間は言うまでもなく、家事や買い出し、雑用(仕事もこれに含んだ)といったことのための時間である。するとこれだけでずいぶん一日の漠然とした時間の流れを把握し易くなり驚いた。
[ああ、今日は「金」が2時間少なかったなあ。よし!明日はその分を取り戻そう]
とか、[その分早起きしよう]などと思えるわけである。

ただ、今までで一番良い方法を考え付いたなどという喜びがいけなかった。その事にすっかり満足した私は翌朝にはこの方法をきれいさっぱり忘れてしまったのである。
午後になってからハッとした私は、凍りついたように自分が早くも裏切ってしまった計画を思い出した。そしてびくびくしながら[金の時間]を計算している自分は、まるで借金を数えているようで滑稽であった。従ってこの次はこのような後悔の念から逃れるための最良の方法を編み出そうと思っている。


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