超一流の演奏家というのは
まだ卒業間もない、学生に毛が生えたような頃の話。
静岡県某所で行われた講習会にて。
その講習会は最終日の本番に向けてリハーサルを進め、その過程で演奏の研鑽を積むというもの。指揮者兼指導者の先生は仰った。
「超一流の演奏家というのは、音楽が進みたがっている方向と自分がやりたいことに、うまく折り合いを付けられる人のことだ。」
具体的な表現は忘れてしまったが、こんな感じの内容だったと記憶している。先生が仰っているのがどういうことを指しているのか、当時は理解が追い付かなかった。ただ肌感覚として、表現こそ平易な言葉ではあるけれど、とても難しいことを仰っていることだけは感じることができた。
「それだけなんだ。それさえやれば、みんな超一流になれる。」
いま思い出しても、分厚いハードルに冷や汗が出る。
最終的には音楽にしなければいけない。
それは持続された緊張感でもある。
普通のことを、普通にやることの難しさ。必死になって気が付いたら横の流れと縦線のバランスが崩れて、ただの音符並べになってしまっている。
小節線を越える瞬間とはこんなにも繊細なことであったかと、遅まきながら実感している。数(拍子)を数えることに夢中になりすぎると、音楽の方向と共に、その繊細さに気付くことができないということも。
小節線を越えたいと切に感じ、その越え方を課題と認識した時、冒頭に挙げた先生の言葉を思い出した。
美は細部に宿ると言うけれど。
やはり、超一流の演奏家へのハードルは分厚い。