掘り下げられた罪びとの心理、ロシア版「マクベス」〜METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場は、劇場の規模も公演の水準も、世界屈指の歌劇場として知られます。
そのメトロポリタン歌劇場が、2006年から開始してオペラ界に新風を吹き込んだのが「METライブビューイング」。そのシーズンの最新の公演を、ネット中継で同時に、あるいは数週間遅れくらいて映画館で上映する形態です。
今でこそこのような形態はかなりポピュラーになりましたが、当初は冒険でしたし、何より新鮮でした。オペラ映像といえばDVDが一般的な時代で(今でもDVDはありますが)、DVD化されるものはどんなに早くても数ヶ月前の公演。「METライブビューイング」のようにほぼ同時進行、というケースは初めてだったからです。
以来、METライブビューイングは配信する国や映画館の数が毎年増え、オペラの新しい楽しみ方としてすっかり定着しました。
が、2020年春以来のコロナ禍で、メトロポリタン歌劇場も1年半にわたって閉館。ライブビューイングも休止を強いられました。
昨年9月、ようやく歌劇場が再開し、「ライブビューイング」もこの1月から配信が開始されました。休館している間に、メトロポリタン歌劇場はかなり公演の内容を見直し、新鮮なラインナップで再出発しています。
どこが変わったのか。
これまでメトロポリタン歌劇場といえば、人気演目にスター歌手、伝統的な美しい舞台という、よくいえば王道的な、悪く?いえば保守的な公演が売りでした。けれど、いつまでもそれでは先細りです。芸術にはやはり新作が必要だし、ボーダーレス、ジェンダーフリー、そしてミネアポリスでのジョージ・フロイド死亡事件に端を発した反人種差別デモなど、激変する世界に合わせた価値観も必要。そのような観点から、新作(ME T初演)を増やし、また名作のオリジナル版や、家族で親しめる英語短縮版など、さまざまな工夫を凝らしました。その結果、今シーズンのライブビューイング10作のうち3作がMET初演、2作が有名作のレアなヴァージョン、1作が短縮英語版という、バラエティに富んだラインナップが誕生したのです。
先日、ライブビューイング第1作として上映された、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」をみてきました。16世紀末〜17世紀初めの、ロシアの動乱時代に実在した皇帝ボリスを主人公にした歴史大作です。原作はプーシキンの劇詩。ムソルグスキーはこの作品に惚れ込み、自ら台本も書きました。
今回上映されたのは、普段はあまり上演されない「オリジナル版」。これははじめに作曲され、「帝室歌劇場」に提出されましたが、劇場から突き返され、上演が叶わなかったものです。女性の役柄が極端に少ないなど、オペラとして異例すぎたらしい。ムソルグスキーは友人たちの意見を聞いて手を加え、3年かけて改訂版を準備しました。初演に漕ぎ着けられたのは改訂版で、現在でも改訂版の方が上演の機会が多くなっています。メトロポリタン歌劇場でも、前回(2010−11シーズン)上演されたのは改訂版でした。
で、今回は、上演の機会がまれな、お蔵入りになったオリジナル版が上演(上映)されたのです。
とても面白かった。個人的には、オリジナル版の方がドラマが凝縮されていると感じました。上演時間も、改訂版の3時間余に比べて、オリジナル版は2時間ちょっと、その分密度が濃くなっています。
物語は、幼い王子を暗殺して帝位についたボリスが良心の呵責に苛まれ、また殺された王子になりかわった「偽王子」が出現し、モスクワに攻め上るに及んで、狂死してしまうというもの。改訂版は、偽王子の軍勢がモスクワに攻め上るところまでを追いますが、オリジナル版はボリスの死で終わります。改訂版はより歴史大河ドラマの色が濃く、オリジナル版は心理劇。罪の意識に苛まれて死に至るのは、シェイクスピアの、そしてそれに基づいたヴェルディのオペラ「マクベス」に似ています。ムソルグスキーもヴェルディも、自分が殺した王や忠臣や王子の亡霊に怯える権力者の不安や慄きを、鋭い音楽で表現しました。一方、「ボリス」の改訂版では、「ロシアの民衆」の愚かさがより細かく、ダイナミックに描かれています。こちらは、サンクトペテルブルクで初演されて大きな反響を呼んだ、ヴェルディの「運命の力」に近い。歴史大河ドラマです。ムソルグススキーは「ロシアのヴェルディ」のようだと思うことがありますが、今回、その思いを再確認しました。
メトロポリタン歌劇場の美点の一つは、どの演目にもその作品に向いたレベルの高いキャストが配されることですが、今回も例外ではありませんでした。
まずは主役ボリスを歌ったドイツの名バス、ルネ・パーペ。ボリス役はバスの至高の役柄の一つで、パーペも重要なレパートリーにしていますが、罪を犯したボリスの内面の弱さ、怯え、苦しみの克明な表現は、現役バスの中でも屈指ではないでしょうか。良心の呵責に、「偽王子」出現の恐怖(そんなはずはないと思いつつ、本当に生きていたかもしれない???という恐怖)。子供たちを残して死ななければならない無念さ。深く陰影に富んだ声と凄絶なまでの表現力で複雑な感情を伝えきる力量は、見事としか言いようがありません。
他のキャストも充実。ボリスの罪を書き留めている老僧ピーメンに、ドイツのこれも名バス、アイン・アンガー。格調のある美声は、正義感に富んだ老僧にピタリ。一癖も二癖もある貴族シュイスキーを演じたテノール、マキシム・パステルの妖怪ぶりもお見事。「偽王子」を名乗る若い僧グリゴリー役のデヴィット・パット・フィリップは、やや小心な等身大の小悪党を肌で感じさせてくれる巧演でした。
スティーヴン・ワズワースの演出は、権力の象徴である玉座を舞台の中心におき、「神の意志」の体現である聖愚者に重要な役割を持たせます。ボリスが心に抱く罪の意識を、聖愚者が外から指摘し、明確にするのです。
各人に与えられた演技が細かいのも、ワズワース演出の特徴。前半で重要な役割を演じる民衆たちの合唱も、一人一人の演技、表情が豊かです。政治に振り回される人々の慟哭や強かさや諦めといったさまざまな感情が、雄弁な演技を通じて視覚化されていたと思います。
ロシア語オペラということもあり、日本では、ロシアの歌劇団の来日公演以外はなかなか上演の機会に恵まれない「ボリス」。映画館での鑑賞は、カメラワークを通して作品の細部がわかることも利点です。今回は特に、前回のライブビューイングで体験した改訂版と見比べられた点でも、発見が多く、感動的な体験となりました。
残念ながら明日までなのですが、上映の情報を以下に貼り付けます。もしお時間があれば、ぜひ。
https://www.shochiku.co.jp/met/program/3759/