オペラは時代の鏡〜METライブビューイング「Fire shut up in my bones」

 オペラは時代の鏡。
 そう、言い続けています。「椿姫」(あの時代のパリの独特な風俗と自然主義)だって「蝶々夫人」(ジャポニスム)だって、あの時代だからこそ生まれた作品。同時に、音楽の素晴らしさとテーマに潜む普遍性ゆえに、定着し、定番となった作品です。


 今、METライブビューイングで上映されている、テレンス・ブランチャードのオペラ「Fire shut up in my bones」は、まさに今だからこそ生まれた、「時代の鏡」たるオペラの代表格となりえる作品、だと思いました。

 本作、そしてこの上演が「時代の鏡」である理由はたくさんあります。作品それ自体ももちろんそうですし(詳しくは後述)、上演自体も、です。そもそも本作は2019年にセントルイスオペラで世界初演され、METでは2023年に上演予定でした。それが、コロナ禍でMETが1年半の閉鎖を強いられている間に、総裁のゲルブ氏らが、METの方針転換を模索。定番の演目をスター歌手を揃えて豪華に、という、オーソドックスなMETの上演形態に手を入れ、新作を増やし、名作は異稿(例えば「ドン・カルロス」のフランス語5幕版など)や短縮版の上演など、一捻りきかせたものを積極的に取り入れることにしたのです。結果、「Fire」の上演が繰り上がり、METが再開した2021ー22シーズンのオープニング演目になったというわけ。ブランチャードは黒人作曲家でもあるので、このところのBLMの影響もあるのでしょう。まあそれ以前に、映画音楽の大家であり、有名なジャズトランペッターだというだけで十分に新基軸なのですが。

 そのブランチャード、開演前のインタビューに登場して、「オペラを書かないかと言われた時はびっくりした」とエピソードを披露。でも両親はオペラ好きで、父親はアマチュアのオペラ歌手だったそう。本作はブランチャードの2作目のオペラだそうです。

 本作がMETに選ばれたのは、テーマの今日性もあるのでしょう。原作は、NYタイムスで活躍する黒人人気コラムニストの自伝で、幼い頃年上の従兄から受けた性暴力のトラウマを克服する物語。出演者は全員黒人です。底辺の黒人社会を描いた点では、「ポーギーとベス」に通じます。とてもアメリカ的。一方で、性暴力や自分探しといったテーマはとても今日的。そして最終的には、母子の「愛」という普遍的なテーマが現れるのです。まさに、今のアメリカだから生まれた作品といえましょう。

 ブランチャードの音楽はとても心地の良いもの。美しい、持って帰れるメロディもあるし(ヴェルディもプッチーニもモーツァルトもワーグナーも「持って帰れるメロディ」を作れる作曲家でした)、ジャズやゴスペルもたっぷり盛り込まれて、オペラ風のメロディと溶け合います。ピットから湧いてくるジャズのメロディがたまらない。主人公が弱さを克服しようと?黒人の社交クラブ(体育会みたいなところですね)に入るシーンでは、特有のダンス音楽が大盤振る舞いされる。多種多様で聞き飽きません。まさに七色の音楽。アメリカだからこそ生まれた音楽。

 ケイシー・レモンズの台本も、よくできていると思います。基本は歌語りですが、繰り返しを多用するミュージカルやオペラのナンバー風の歌の部分もある。現在大学生である主人公が、少年時代を回顧するスタイルですが、彼に寄り添い、心を代弁する「運命」や「孤独」といった寓意的人物も登場します(恋人役のグレタと合わせて、エンジェル・ブルーが一人三役)。そのような形で、彼の心の葛藤を表現するのです。主人公の1番の葛藤は、少年時代に母から愛されなかった(と感じていた)ことで、当時の母の状況(ろくでもない亭主に苦労し、五人の子供を育てるのでいっぱい)を考えれば致し方のないことなのですが、それが最後の最後に満たされることで、主人公は汚れた記憶から訣別できる仕掛けになっています。憎いですね。

 アメリカの現在の黒人社会や、南部の保守的な感覚(いわゆる昔ながらの「オトコ」社会。インテリの主人公には、それは生きにくい社会でしょう)も描写されていて、「ポーギーとベス」の時代から続いているものと、変わったもの、両方を感じることができました。主人公は大学に入って、勉学でもスポーツでも実力を発揮し、優秀だと認められている。それは「ポーギーとベス」の時代にはなかったことなのではないかと思います。

 歌手陣も熱演でレベル高し。とりわけ、主人公の母ビリーを歌ったラトニア・ムーアは、これ以上ないほど適役。彼女は(録音ですが)「アイーダ」や、ライブビューイングで「マーニー」なども聴きましたが、オペラの歌唱としては、どうしてもスタイル感が足りない。ゴスペルなど、元々の基礎が影響してしまうのかと感じていました。それが今回はドンピシャリ(本人もインタビューで語っていましたが)。ダメ男に振り回されてもたくましく生きる情の濃い女性を、自由に生き生きと歌っていました。
 一人3役のエンジェル・ブルーは声も姿も美しく、まさに主人公のエンジェル。主人公チャールズ役のバリトン、ウィル・リバーマンも明るくよく通る声、深い表現力で惹きつけます。 カーテンコールでひときわ拍手が多かったのが、チャールズの子供時代を演じたウォルター・ラッセル3世。ミュージカルスターとしてすでに活躍中とのことで、孤独感に苛まれる少年の造形には天性のものを感じました。


 カーテンコールの熱狂は凄まじく、アメリカ人が、今のアメリカだからこそ創られたオペラの誕生を目撃した興奮が伝わってきました。オペラの定番になる可能性が十二分にある、心を打つ作品だと思います。

上映は2月3日まで。迷っている方もそうでない方も、ぜひ。一見の価値のある作品です。

$opewra



 

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