切り分けた果実
前座
皆さんどうもこんにちは。一条閃です。今回は質問箱で重ための質問を下さった方がいたのでそのアンサーと今週の思考まとめをしていこうかと思います。記事閲覧が2600を突破しましたね。みに来てくださる方、いつもどうもありがとうございます。今週もいろんなことがありましたが、皆さんはどうだったでしょうか?今日も記事構成から迷っていてちょっと終わりまでどうなるかわかんないですね笑 最後までお付き合いくださいませ。
目次
質問箱のアンサー
前回の記事をご覧にいただいた方から、こんな質問をお寄せいただきました。
とりあえず簡易的アンサーとして、「ざっくり言うと、私の心の中には2つ人格があって、元々いた人が『本人格』あとから追加されて生まれたのが『理想の自分』って感じです。」と返したんですけど、まあ何をいっているのかわからないだろうなと思ったので、ここでより言葉を足して説明していこうかと思います。
多分一般的な人は自分っていう性格とかキャラクターについてほとんど意識なく生活をしていると思います。なので想像しにくい、めちゃくちゃ難しい話をします。頑張って付き合ってください。
私の場合成長過程や経験を積んでいくうちに「自分の性格そのままでは一般社会に受け入れてもらうのが難しい。ありのままの自分を受け入れてもらえる場所なんかどこにもないんじゃないか」という気づきを得ました。まあ簡単に言えば、それを肌感覚で感じるくらい私のそのままの自分には多分問題があったし、それで日常を送ることができないなとおもうくらいのしんどいことが続いてたんですよね。
だから日常を送ることがしんどくなって、どうしたら辛い思いをせずに済むんだろうと日々考えるようになりました。その時たぶんまだ小学生くらいだったかな。それで「こういう人と仲良くなりたい」「こういう人なら受け入れてもらえるかもしれない」「こういう人になりたい」という自分の理想をどんどん明確に言葉にして、「なりたい自分」を自分でやってみるという選択をとったんです。
例えるなら、何か決め事をしないといけない時に本来の自分の性格(本人格)だったら「すぐいろんなことを深く考え込んでしまって言葉や決断ができない」けど、自分は「すぐに正しい結論を出して行動がとれる」ようになりたい。そのために「決断がスムーズにできるように先回りしてルールを設けておく」みたいな感じです。
でも本来の自分のいいと思える部分も私の中には確かにあって。例えば「人の話に共感できて寄り添える」「人がかけて欲しい言葉がわかる」とか。だからなりたい理想の自分ベースで外では行きたいけど、でも元々いる本人格を消したいという気持ちにはならなかったんです。
その結果、個性の全く違う2つの人格同士が共存しながら与えられた困難に対して両人格の得意不得意を鑑みて立ち向かうというシステムが出来上がりました。2重人格の完成です。感情表現が豊かで、男の扱いに長けている(友人には「サキュバス」というあだ名をいただきました)本人格と、冷静で聡明で仕事のできる普段皆様にお見せしている理想の私。どちらも私であることに間違いはありませんが、考え方や服の好み思考レベルなど人格間で違う特徴と個性を持っています。
精神衛生が整っている時は基本的に2人共なんとなく融合して一つの人格の状態を保てていますが、バランスが崩れている時はきっぱりと「別れてしまう」んですよね。今は別れています。今回はいつ元通りになるのかなぁ。
一応10年くらいこのシステムで動いているので、社会的には問題なく生きられていますが慣れて安定するまでにはそれなりに時間がかかったと記憶しています。これを書いたことすら質問が来るまで忘れていました。すごいちゃんと記事読んでる人いるんだなとびっくりしました。文字起こししたことのない概念だったので、書きがいがありました。ご質問ありがとうございました。
ぞんざいな扱いと分かれている自分
今週は人からぞんざいな対応を受ける機会が3件ほどありました。個別にムカついたし、拒絶反応もそこそも出たし、結構きつかったです。でもその時に「この私にそんな対応をするなんて随分舐められたものだな。許せない。」と思った自分と「でも私のことなんか皆どうでもいいんだからぞんざいな対応をされてもしかたなくない?そのくらいなんだよ私なんか」って思って安心してる自分がいることに気がついて。不当な扱いをされてる自覚はあるけど、自分の立ち位置を自分で認識できなくなるバグが発生したの面白かったです。バランス崩れててやばいめんどくさいって毎度思うけどもう10年ぐらいやってると、それさえ楽しむ余裕が出るから不思議です。
人格が2つって便利なことも多少あるんですよね。演劇をやっていた時に身につけた特殊スキルがあって。私が演劇してる時って演じている自分と、舞台の先の2階客席あたりから舞台を俯瞰して見ている自分がいるんです。一つの人格だと演技だけで手一杯になることが多いと思うんですけど、2つあるから分離簡単で「どうお客さんから見えるか」っていう追求ができるんです。さっきの怒りに関しても感情的に怒っている自分と俯瞰して諦めている自分がいる。不思議な感覚です。
地に足をつけたくないクラゲ氏
先日、親に服を買いに行きたいと言ったら予算が降りて冬服を買いに行く算段が整っってしまいました。偶然推薦入試休みと重なってしまい、行かざるを得なくなりました。服の数的に行かないと今年の冬が乗り超えられない状況だったんですけど、まあとにかく行きたくなくて。
だってもうオシャレして褒めて欲しい人なんかいないし、オシャレ疲れるし、友達となら楽しいかなとか思ったけどみんな忙しくて捕まらなくて。で先日ここにも登場した刺激的な友人(以下クラゲ氏)に連絡をいれ、通話繋いでてもらいながら冬服のお買い物に行きました。
人に頼ったり甘えたりするの本当に苦手で。でも「人に頼るレベルをあなたはあげた方がいいと思う」ってクラゲ氏に言われたので、クラゲ氏にはちょくちょく甘えようと頑張っています。ほんとダメなんですよね。なんか頼らない理由を自分で探してしまう癖がついているのかもしれません。でも今回はまじでお買い物できないんじゃないかなって思ったので、前日に恐る恐る聞いて付き合ってもらいました。クラゲ氏、ありがとう。
ちなみにクラゲ氏の由来は、なんか性格が穏やかで飄々としてて、一緒に見に行った水族館のクラゲとイメージが一致してるからです。ここでの登場回数が増えそうな気がするので、なんとなくこのタイミングで名前をつけておきます。
いつものんびりと話してくれるクラゲ氏に癒されながら、1日かけても回りきれないほどの広いショッピングモールで買い物をし、買ってるところを聞き届けてもらうという謎の時間を過ごしました。
お昼頃に一回お店周りをやめて、お昼ご飯のためにご飯屋さんに並んだんです。オムライスが食べたかったので、オムライスの専門店に行って、一時間くらい待ったかな。その時は「そろそろ元気になって地に足をつけないといけないだろうな」という話をしていて。そしたらクラゲ氏が「地に足がついているってことは一般的に、いい高校に行って、いい大学に行って、いいところに就職をして、安定した収入を得て、結婚をして、子育てをしてっていう典型的な生活と考え方に自分の身を置くってことでしょう?そういうのって地に足がついているというよりは、地に足が縛り付けられているように思えて、あんまり好きじゃないんだよね。」と返してきて。この人めっちゃ面白いなーと思いましたね。でもすごくクラゲ氏らしい回答で嬉しかったですね。確かに挑戦や好きなことをしている人は地に足がついていない(=安定していない)ことの方が多いなとか、何だか「無理に地に足をつける必要はない」と言われている気がして優しさを感じました。
人に優しさとか好意とか心配とかをもらうと意味もなく涙が出たり、拒絶反応が出たり、めちゃくちゃになることが最近多いんですが、クラゲ氏の言葉にはあんまりそういう反応は出ないし、すっと降りてくるんですよね。そういう意味でも不思議な人なんだよなぁ。ま、しばらくは頼って寄ることにしようと思います。
じゃあ今週はこの辺で。最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。これからも頑張るのでよければジュース一本おごってもらえませんか?
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