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天国の入り口には菜の花畑がある
空気が重くなり、少しずつ街でベージュ色を見かけるようになり、季節感なき我が日常にも春が忍び込んできた。もうすぐ桜が咲き、いつものごとく「ああ、春が来てしまった」と思うのだろう。
春というものは、私にとっては生クリームやバニラアイスのようなものである(註:私は生クリームとアイスクリームを食べたあと、高確率で体調が悪くなる)。遠くから眺める分には良いのだが、春の中に入っていくと、どうも重すぎて、馴染まない。春の街を歩くと、自分が砂糖漬けにされているような気持ちになる。乳白色や菫色の多幸感にコーティングされて、ハッピー星に連れて行かれてしまう。
ただ、菜の花は好きなので、黄色にコーティングされるのはまあ良いかもしれない。
浜離宮や日比谷公園の菜の花畑をビルから眺めると、神様が絵の具をこぼしたように見える。菜の花は、公園に色が少ない頃から咲き始めるので、よく目立つ。
天国があるならば、入り口はきっと菜の花畑だ。
そんなことを思い始めたのは、山村暮鳥の詩がきっかけだろうか。いちめんのなのはなが見え、ひばりのおしゃべりが聞こえる長閑な場所。そこにいる自分を想像することで心が慰められるが、きっとそんな穏やかな場所には一生行けないのだろう。そこは、私にとっては、天国のような、美しいイメージである。
乳白色の春が過ぎると、透明な初夏がやってくる。
初夏は軽やかで、一年の中で最も「生きていて良かった」と感じられる時期だ。青もみじのステンドグラスを見に行ったり、『夏への扉』を読んだり、クリームソーダを飲んだり…初夏にしかできない好きなことがたくさんある。
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さて、春は自分に馴染まないと書いたが、春が来るということは、喜ばしいことである。
ここ数年、COVID-19やロシアのウクライナ侵攻のニュースなどの大きな変化があり、どうも落ち着かない。春が必ずやってきて、桜開花のニュースが流れ、いつもの場所に菜の花が咲き、柳が若い葉をつけ始めるという変わらなさに、救われている。このまま春を好きになってしまうかもしれない。
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