天国を作るために、ブログを始めることにする
自分の頭の中に天国を作るために、私はこのブログを始める。
むかし、神父様から、天国も地獄も頭の中にあると教えていただいた。
「死ぬ瞬間が幸せなら、その人は天国にいくことができる。死ぬ瞬間が不幸ならば、その人は地獄にいくことになる。死ぬ瞬間の意識によって、天国にいけるか、地獄にいけるかが変わる。」
私にとって最も納得できる死後の世界に関する説明だった。
それから何年も経ち、私は激務といわれる業界に所属する社会人となった。周囲の人々のおかげで充実しているものの、学生時代に比べて、自分が感じてきたことに関する記憶が曖昧になってしまった。
夕焼けに染められた水面の美しさ、その中を泳ぐ水鳥になりたいと願ったこと、柳の色の柔らかさ、湾岸地域の夜景の影絵のような美しさ、初めて降りる駅で感じる人々の営みへの愛しさ、季節が移ろう嬉しさと切なさ。
自分が何を感じて生きてきたか、ありありと思い出すことができない。気に入ったものを「素晴らしい」という言葉で一括にし、世界の解像度が日に日に下がっていく。
私の人生は様々な色に溢れていたはずが、徐々に色が減っていってしまった。
学生時代には買うことができなかった物を買ってみても、泊まれなかったようなホテルに泊まってみても、失くしてしまった色は帰ってこない。
このままでは、私は天国に行けない、と焦った。私が持っている天国のイメージは、クロード・モネの《サン=ジェルマンの森の中で》なのだ。このままでは色が減って、減って、真っ白になるかもしれない。
解決方法のひとつとして、私は、読み返したくなる感情や美しいと感じたものについて、文章に残すことが有効であると考えた。このブログは、私が自分の頭の中に天国を作る一助となるだろう。
私は本や絵や洋服や旅行が好きなので、それらに関する記事が多くなるかと思う。
なぜ、日記帳に綴るのではなく、ブログとして公開するか。
それは、あなたの人生に色が追加されたら幸いと考えるからである。
私に残っている数少ない色は、好きな作家の文章が付けてくれた。
辛いときには立原道造の詩を思い出し、「山なみのあちら」の青い空を想像する。
紫陽花を見ると、米澤穂信の『さよなら妖精』を思い出し、心が苦しくなる。
仕事の人間関係が複雑な時には、宮沢賢治の作品を思い出し、「透き通った風」に想いを馳せる。
様々な立場の人々が声をかけてくるときは、山田詠美の『アニマル・ロジック』のヤスミンならばどう返答するか考える。
どこにも旅行に行けないときでも、様々な文章が私を遠くに遠くに連れて行ってくれた。
私が色の減少に耐えられるのは、様々なことばたちのおかげである。だから、私も、拙い表現でも良い。自分のことばを残し、偶然それを目にした誰かが幸福になれば。何かの役に立てば。そう思い、ブログという媒体を選んだ。
最後に、なぜ「しらかば」か。
私は野辺山の宇宙電波観測所が好きである。私自身も、人間関係も、社会も、年々変わっていく。それでも、パラボラアンテナ達は変わらず空を仰いでいる。彼らの空に祈りを捧げるような姿が好きだ。
私にとっての「変わらないもの」の象徴が、野辺山のパラボラアンテナ達なのだ。
来世は宇宙観測所に立つ白樺になりたい、そしてパラボラアンテナ達とともに静かに祈りを捧げたい。そんな想いから、このハンドルネームをつけた。
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