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[音]を[楽]しむということー角野隼斗全国ツアー2022よりー

これまで過ぎたことは忘れていく質だった。でもコンサートを聴いたら、言葉にしなきゃという衝動に駆られた。忘れたくない。いま心に浮かんだ感情を紙面上に固定して、そこに存在していた証を残しておきたい。だから書く

[音]との出会い


初めてその音を聴いたのはラジオ。
きらきら星変奏曲。――こんな世界は知らなかった。私は本当の意味で音楽を知らないと思った。

演奏を聴いた瞬間の衝撃。驚愕。そして受容。次の日になって、彼の名前を検索し、ネット上の彼の演奏を片っ端から聴くとは。(笑)気付いた時には、私はその演奏の虜になっていたようだ。

楽しい。ピアノって凄い。こんなことが出来る。音が飛び跳ねる。軽やか。純白。どうして気付かなかったのだろう。私はこんな楽器を知らない。世界にはこんなにも音が溢れていたなんて知らない。

ピアノに向かうことを諦めた自分。でも本当の意味で音楽を知らなかった私は本当の意味で諦め切れてもいなかったと気付いた。

音を楽しむ幸せ。

教えて貰ったのだ。自分一人では気付けなかった。すぐそこに音が在ったことに。一音が。粒の一つ一つが。重なり合って繋がり合って一つの曲を創っている。

ピアノの鍵盤を押す。ハンマーが弦を叩く。音の原理はそうなのだろう。でもそれは音楽の本質ではないと思う。波という形をとって耳に届いた幸せが音楽というものであるだけ。――この表現、狙ってる感満載で恥ずかしいな

解放された気がした。もっと音楽を楽しめる。ピアノに向かうことが楽しい。彼の曲を聴ける幸せ。

自分が世界で最も辛い境遇だと信じて疑わなかった自己中心的で未熟で生意気な学生だった私。荒んだ心を外に出さずに済んでいたのは彼の音楽が在ったから。私は音楽に支えられたと言う表現はしたくなかった。頑張るのは自分一人であって、実質的な結果に繋がらない支えなど本当の支えにはならないと思っていた。

でも今は、私は音楽に支えられて来たと自信を持って答えられる。あの時間が無かったら。あの日ラジオを聴いていなかったら。彼に生涯出会わなかったかも知れない。ピアノを完全に諦めていたかも知れない。音楽を心から楽しむことに気付けず終わったかも知れない。そう思うからこそ。

支えて貰った。そう言える。むしろそうでなければ苦しい時に角野さんの音楽を聴き続けたりするはずがない。

そこに音楽が在るだけで良い。束の間の幸せを与えてくれる音楽。そのことに気づかせて貰えたこと。焦燥と不安の波を乗り越えなければならない私をずっと側で支えてくれていたんだろうなと思う。

そして。ずっと聴きたかった生の音楽。あの時。電波に乗って流れてくる音を耳が捉えてから。画面越しに曲に魅入られてから。時空を越えたあの場所で同じ音楽を共有したいと思い続けた。

夢見ていた空間に足を踏み入れたあの感慨はたぶん忘れられない。同じ空間で。音が。鳴っている。幸せを。喜びを。噛み締めている。これが音楽。あの背筋が怪しく震える感覚。――コンサート。大阪と東京。大阪公演は生音。東京公演は配信。以降は備忘録的にコンサートで感じたことや自分の思いを綴っていこうと思う。(つづく)

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