[音]を[楽]しむということ Ⅱー角野隼斗全国ツアー2022 in Osakaよりー
大阪公演
開場 5 時間前に家を出て開場 3 時間前にホール前に着くという。ははは
気合いが入りすぎていたみたい
ホールに踏み込んだ瞬間。ああ。遂に...と。感極まるというか。もう生音が聴けるという喜び。幸せ。これに尽きる。逆に言うとそのこと以外何も感じていなかった訳なのだけど。
第 1 部
1 曲目。華麗なる大円舞曲。何を隠そういま練習しているから。身を乗り出して吸収できることは吸収しようと。――出来ない(笑)
音が。違う。何て楽しそうに弾くんだろう。幸福。音符が跳ねている。これが同じ曲か?と
軽い。連打の戻りの素早さ。全部の音色が違う。アクセントの付け方。絶妙なリズム感。装飾音符の自然さ。ペダルの踏み方。左手の滑らかさ。曲調の変化の付け方。音のダイナミクス。学ぶことが多すぎる。
これは全ての曲に言えることだけれども、指で弾いているというそもそもの事実が信じられない。鍵盤を操るのではなくて音色そのものを操っているのかと錯覚―錯聴(?)する。
生で聞きたかった音。生で響く音の余韻。波。音が転がって来て粒になって見えるんじゃないかと。――言い過ぎたか
2 曲目は大猫のワルツ。もはや私の中では大猫のワルツが子犬のワルツ、子猫のワルツと肩を並べる‘動物ワルツ集’(勝手に名付けた。)の 1 曲になっている。子犬のワルツを聴いて大猫のワルツを聴いて。ああ。そうか。これ、よく考えればショパンの曲じゃなく角野さんの曲だったな。みたいな(笑)
3 曲目。胎動。エチュード 1 番...じゃなかった。右手そう使うのか。実は最初に聴いたときはあまり印象に残らなかった。
何故かって言うと、ショパコンでの op.10-1!超難曲!のイメージが強すぎて新曲の印象に追いつかなかったから
だから新しい感想は東京公演で抱いた。それは後で書く
4 曲目マズルカ。Op.24-2。流れるように 5 曲目木枯らし。この流れ。
角野さんの頭の中で切れ目はそこじゃないんだな。音は波だもの。息をつく間もなく次の曲に移るのは風間塵(『蜜蜂と遠雷』の音楽少年。天才。私は密かに角野さんは紙面上から抜け出てきた彼だと思っている。作者の恩田陸さんがどう思っているかは分からないのだけど)味を感じる。
音楽を曲としてではなく音そのものとして捉えているような感覚。
6 曲目。追憶。それまで弾いたショパンの曲のパッセージを交えながら。曲の追憶であると共に、過去に思考を巡らせる追憶でもあるのだろうと思う。
木枯らしで音がかき乱した世界をしっとりした音で落ち着かせつつドラマティックに仕上げる。角野さんスタイル。
曲の合間に低音や高音をさりげなく鳴らす。もはや無意識なのではないかと思うほどに自然。粒だった音が砕けて流れをつくる。どことなくフランス音楽味を感じる音の響き。記憶の波を漂うような感覚。
7 曲目。マズルカ。Op.63-3。煌めいた音が代名詞だと思っていたスタインウェイからこんなにまろやかな音が出るなんて。
本当に上手いピアニストはppが違う、みたいな話を聞いたことがある。ほんとうにそう。囁くように小さな音なのに会場全体を包み込むように大きな抱擁力がある。
物寂しげなメロディ。私は曲で泣いたことはないけれど、あのメロディは胸が詰まって泣きたくなる。優しい。音符は少ないのに何かを語りかけてくる。鍵盤を撫でるように弾く。音が心の奥を撫でて行く。
8 曲目。葬送ソナタ。その場で音を体感するのと生配信で聴くのとでは受ける印象が全然違う。配信では拾いきれない音色の変化。低音の地面から響いて来る荘厳さ。生音の波に身を委ねるに徹する。
この構成力。角野さんの頭の中では曲が一つの塊として存在していないことが分かる。曲に終わりがない。と言うと語弊があるかも知れない。音は次にまた音が続いて音楽の形を取っているから。
頭の中に音の流れが入っていて、その流れに身を任せて意の赴くままに弾いている。世界に音楽が溢れているというのはつまりそういうことなのだろう。
第 2 部
選曲の才能。誰もが聴いたことのある曲をチョイスする。ストリートパフォーマーのような遊び心とクラシックを弾きこなす安定した音色と技術で一瞬にして聴く人の心を魅了する。
ジャズ。クラシックの精密かつ堅牢な音階とは一転。音を一部抜き、一部不協和音に近い音を組み込んだような印象。どこか気の抜けたように。それでいて不思議な音の響きを楽しむように。
ガーシュウィンは気怠げな展開のなかに気分が浮き足立つようなメロディを取り込んで来る。音の組み合わせで遊ぶ純粋な少年心を感じるというか。角野さんは無意識の域で感じて演奏しているのかも。――一素人が言えるような感想じゃないけど
1 曲目。アイ・ガット・リズム。同じみの
というのも YouTube で公開されてからループ再生で聴きまくったから。もはや曲の展開まで覚えるレベル。(コンサートでは全く違ったけどね。(笑))
自然と口角が上がる。主題は壊さずに色んな音を引き込んで。こんな響きも良いかも。みたいな。実験のような面白さ。即興の嵐。――笑
初手からこんなに飛ばすのか。もう既に世界に取り込まれてしまう。
2 曲目。3 つの前奏曲。これはショパンの前奏曲を聴いても感じることだけれど、前奏曲には短い曲のなかに作曲者の魅力がいっぱいに詰め込んである。曲の間に切れ目が感じられない。前奏曲全てを弾いて一つの音楽として成立するかのような。
Ⅰ。左手の独特のリズム。右手の踊るようなメロディ。音の粒が上に立ち上がる。
Ⅱ。一転して落ち着いた雰囲気。大人な印象。小洒落た街路。揺らぎ。アンニュイ。最後の和音の妖しい響きが堪らない。
Ⅲ。ワンフレーズごとに捉えると一瞬不穏な印象を受ける。しかし高音へ駆け上がって行く高揚感に心を奪われる。
――前奏曲の始まり。最初の音色を聴いた瞬間――来たぁ!と(笑)
好きな曲が始まる瞬間。音楽を聴いていて至福の時間だと感じるのはあの一瞬。
ガーシュウィンには、あの一瞬にさらに刺激を加え、興奮を掻立てるような音の重なりを生み出す力を感じる。その魅力を存分に引き出せるのが角野さんという演奏家。たぶん本能で弾いている。というより純粋に音の響きを楽しんでいる。
音がエネルギーを内包していて、聴く人の耳に届くとそのエネルギーが解放―放出されるような。音が弾ける感触はそこから来るのかも知れない。
3 曲目。ティーン・ファンタジア。
「曲名が決めきれなくて…だからこの曲名、大阪公演で初お披露目なんですよね(笑)」
(実際にはこんなこと言ってない。たぶん w)
――っていう如何にも角野さんらしい始まり。
弾む心をそのまま音にしたような旋律。ラヴェルのボレロみたく、一つのメロディを軸に様々な音を巻き込んで曲が成長していくイメージ。
でもクラシックのような一定の型にはまった繰り返しは感じられない。ジャズ特有の揺らぎのあるメロディや抜群なリズム感に即興性。
4 曲目。ラプソディ・イン・ブルー。圧巻。カデンツァ部分はジャズ的追憶。ピアノから音が出ていることを一瞬疑う。なんて音が大きいんだろ。多音色。ドラマティック。
何時かにも思ったことだけど、ある一音からメロディの端を捕まえて曲を引き出す能力が高い。(能力が高い。なんて自分が言えるレベルでないのは分かっているけど。(汗))
クライマックスには鳥肌が立つのを止められない。何度聴いても背筋が震える。特に最後の和音に到達するまでの時間。
この和音で曲が終わってしまう。もっと聴いていたいのに。でもあのエンディングの感動は早く体感したい。というジレンマ。ダイナミックな和音。和音を響かせ切った勢いで椅子から立ち上がる。
もはやその動作までまとめてラプソディ・イン・ブルー,という曲。
好きだなぁ。(笑)
アンコールは 3 曲。1 曲は初めて聴く作曲家、パデレフスキ。ノクターン変ロ長調 Op.16-4――ここで後悔。早めに感想書いておけば良かった。下手な感想が書けない。ああ―。今後はきちんとメモして帰る
――残る 2 曲は子犬のワルツと英雄ポロネーズ。子犬のワルツは中間部にジャズアレンジが一部入ってて、大人びた感じ。
音が会場全体に滑らかに広がって終わりゆくコンサートを惜しむかのような哀愁も漂わせつつ。体に馴染んで快いメロディ。割れんばかりの拍手。
拍手をちょっと遮って椅子に腰掛けながら人差し指を立てる。仕掛けを試す前の悪戯っ子みたいな笑顔
あと 1 曲ね(完全なるアテレコ(笑)角野さん自身は何も言ってない。)ー
あの和音。アンコールに英ポロは。技術の高さは勿論だけど精神力の強さ。揺るぎない解釈で安定して弾き切る集中力。終わりは壮大に締めるという角野さんらしさ満載のアンコール。
好きだなぁ。(2 回目。笑)
(つづく)