見出し画像

被団協 ノーベル平和賞受賞に寄せて

広島・長崎への原爆投下から79年、世界で核兵器の脅威が高まる中、日本被団協がノーベル平和賞受賞、という大きなニュースが伝えられた。


【人類に最大の貢献をもたらした人々に送る】
アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて送られる。


箕牧智之代表委員が、受賞の瞬間、感激の涙を流された。
喜びを露わにされながらも、

「ガザで一生懸命平和活動されている人が、もらうのではないかと思いましたよ」
と、中東の戦闘が続いている中、戦地で活動する人々を思いやる発言が印象的であった。


核兵器廃絶、恒久平和の実現
日本原水爆被害者団体協議会 [日本被団協]

ノルウェーのノーベル平和委員会は、日本被団協の受賞理由として、
「核兵器のない世界を実現するための努力、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言により示してきたことが評価された」
と述べた。

広島や長崎で被爆した人たちの全国組織であり、
1956年に結成され約70年に渡り、被曝の実相を伝えて、核兵器廃絶を世界に訴える活動を続けてきた。

ノーベル賞選考委員会委員長は、受賞理由に続けて、
「核兵器は道徳的に受け入れられず、二度と使用すべきでない。
私たちは80年近く核兵器が使われていないことに関して、被爆者が人類を代表して成し遂げた業績に光を当てたかった。
世界の政治指導者に“人類と核兵器は共存できない”というメッセージを送りたい」
と述べた。        (参考 NHK NEWS)


今朝のことである。目覚めた時、日本の姉からLINEが送られてきていた。

「ノーベル平和賞が日本被団協に送られたね。
お母さんが生きてたらどんなに喜んだろうね。」


姉は大学入学の為上京して以来、母をずっとそばで見ていたわけではないが、一番印象に残った母の活動がこれであったようだ。
この大きなニュースを前に、姉が母に思いを馳せたことが驚きでもあった。


被団協とは別であるが、核廃絶への訴えの活動をしてきた人々を知っている。
全国的な婦人団体も活動の一つとして、核廃絶の訴えをしていた。
 
【全国地域婦人団体連絡協議会】である。
母は1970年代以降、多くの知人と共に参加していた。
役員として県の会議、全国の会議にも出向いていた。
私の記憶では、当時地域で参加していたのは、40〜70代半ばくらいの女性たちであった。

私は、母が書類や資料を準備する手伝いや送り迎えなどはしてきたものの、参加はしたことはない。
女性たちが手弁当でボランティア活動する、あの熱意は何なのだろうと長年思ってきた。

この団体は、特定の政党には所属せず、男女平等の推進、青少年の健全育成、家庭生活及び社会生活の刷新、高齢化社会への対応等を目的とし、北方領土復帰促進運動や、実態調査による消費者活動等、時代に応じた多岐にわたる取り組みを行っていた。
そして、原水爆禁止運動もまたその取り組みの大きな一つであった。

全国の各県の団体が集結し、東京で核廃絶の訴えの行進を行い、それに参加する母の写真を見たことがある。

母はかなりの頻度でこの団体の活動に参加しており、会合で家を空けることも多かった。
それに対して不満を言うと、ただ一言、こう返された。

「今、やらなければいけないことがある。」

その後、母に意見をしたことはない。

私は現在までの年月、あの頃の母のような意識を持って
社会的な活動を行ったことはない。
働き、子育てをして、家庭の中の務めを果たし、いつかヨーロッパで暮らしたい、と夢をみて自分自身の事をやってきただけだ。

あの頃のご婦人方は、戦後の社会を良くするために、一個人として参加し、会の意義の共通認識を持ち、学び、考え、地域に、社会に目を向け、貢献しようとしていた。

[草の根運動]、何度も聞いた言葉だった。
それがいつか世の中を動かすのだ、と母は常に語っていた。


被団協の結成以後の活動は、まさに草の根運動の積み重ねといえる。

ニュースで見かける、世界各地で行われてきた原爆の写真展、国連軍縮特別総会でのスピーチ、核廃絶に取り組んできた過去の映像の数々は、胸に迫るものがある。

核実験の度に抗議を行ったり、核兵器禁止条約交渉会議では、300万人分の署名を集め、目録の提出をし、条約採択の後押しを行ったのも彼らである。
条約に、被爆者に寄り添う言葉が盛り込まれたのは実に意義深い。一人一人の活動の積み重ねだ。
また、全ての国が核兵器禁止条約に加盟することを求めた、ヒバクシャ国際署名を続け、1370万人分の署名を国連に提出した。

たゆまぬ普及活動や署名や訴えを続けた、この地道な長い年月。
こうした70年に渡る活動が認められ、ノーベル平和賞が送られたことは、世界への大きなメッセージとなった。

世界がどう向き合っていくのか、我々は見届けなくてはならない。

私は、写真立ての笑顔の母に向かって、スマホのニュースの画面を見せた。
ゆっくりスクロールをする。

このニュースを喜んでもらっている事を願って。



いいなと思ったら応援しよう!