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松尾芭蕉とBL道の旅に出た話(番外編) 🌸男色花紀行<杜若>

「杜若(かきつばた)」

芭蕉がゲイだったことから男色にまつわる花があることを知り、その意味を辿ってみるシリーズの4回目。今回は「杜若」です。

カキツバタには杜若、燕子花と全く違う当て字があります。
燕子花、燕子はツバメのこと。色や形をなぞらえてるのはよくわかる。
しかし「杜若」の方が何なのか?いままでわからなかった。しかし今回調べていると判明!
興味ある方は、是非読み進めてください。

まずは梅、岩つつじと見てきて、男色を嗜んでいたであろうと推測される
尾形光琳の代表作、「燕子花図屏風」

コチラはメトロポリタン美術館にある「八ッ橋図屏風」

この二つのカキツバタの絵は「伊勢物語」「東下り」の段で、
主人公の在原業平が詠んだ歌の場面を描いたそうです。

そう、「岩つつじ」の回で、空海の弟・真雅と関係があったと思われる歌仙・在原業平です。
その東下りでの彼の歌が

ら衣
つゝなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞ思ふ

とカキツバタを見ながら詠まれている。

光琳は「伊勢物語八橋図」という、業平と友人達が杜若を見ている作品も描いている。
かなり業平がお気に入りなのがわかる。

光琳は、男色関係にあったであろうと言われるパトロン中村内蔵助が江戸に転勤するのを追って、自分も京都から江戸に業平同様「東下り」をしている。その時の心情を業平に重ねて、この作品を製作するに至ったと推察される。

そして業平の東下りの話を元に、能の「杜若」という演目も作られている。

一人のが、三河の国の八橋という場所でカキツバタの花を愛でている。そこに一人の女が来て、ココは業平が歌を詠んだ場所だと教え、一晩の宿を提供する。そこで女は業平の冠を被ったカキツバタの妖精に変身する。
実は業平が神仏の化身で、彼の歌によって妖精の自分も成仏していけると言い消えていった…という話だそう。

ここで、この演目「杜若」を作ったのが世阿弥という説があるらしい。
世阿弥は美少年で、将軍・足利義満の寵愛を受け、男色関係があったと言われる人物。
そして話の中にが出てくる。男色の代表選手!!

このカキツバタの妖精は、業平と噂のあった二条后の装束を着たという設定もある。一応女性ということになっているけど、菊の精が稚児姿で出てきたという話が「菊」の記事の中でもあった。コチラでも業平の冠を付けているわけで、女装した稚児、若衆の姿だったの可能性もある。
と出会う衆、杜真雅僧正業平の再会の場面を再現していると考える方がシックリくるのは私だけでしょうか?

そして光琳の別のパトロンに二条綱平がいました。ここで二条繋がり。
光琳が恋人だった二条綱平のこと、そして男色有名人・業平を思い浮かべて、燕子花図屏風、八ッ橋図屏風を描いた、そんな気もします。


さらには、光琳が生きた元禄の頃は、若衆歌舞伎が盛んな頃。
若衆歌舞伎=夜はパトロン相手に男色する職業。
若衆はカツラの境目を隠すために、紫の野郎帽子という布を、頭の前の方に付けていた(いまでも歌舞伎で見かけるんじゃないかな?)。
そんな若衆の一行を杜若に例えたり、野郎帽子が杜若の色のようだと形容されたりする文献もあるそう。

の野郎帽子を付けた若衆一行がたむろってると…まるで紫色の杜(杜=木がたくさん生え茂っている所)。衆のの風情…杜若、カキツバタという字の由来はココにあるのでは?と丹尾氏は指摘している。

実際、最初のカキツバタの写真を見ていただけると、水生植物で、泥の溜まった黒い水面の池などに生えている。そこから清冽で瑞々しい青い葉を延ばし、その上に鮮やかな紫の花を咲かせる。
一方、若衆は黒い紋付の羽織を着て描かれることが多く、それが一般的なスタイル。その黒い服装から、まだ若く瑞々しい体を伸ばし、頭頂に鮮やかな紫の野郎帽子。まさしく杜若のような出で立ちなわけです。

あと水仙も、杜若と同じように、若衆を表現する花なんだそう。
中国の詩に梅が兄で水仙が弟という意味の詩がある。
梅が兄、弟が菊と同様、水仙も弟=若衆を表す意味を持つようになった。
山崎女龍という画家の「水仙を持つ若衆図」は、梅の模様の着物を着た若衆が水仙を持って歩いている。

もう一つ、私がちょっと気になっているカキツバタ話。

「いずれ菖蒲か杜若」

というフレーズがあります。
優れているものが複数あって、選択に迷う例え

由来はコチラに載っています。
鵺退治をした源頼政に、上皇が褒美として菖蒲前という女性を与えようとした。しかしちょっと意地悪く多くの女の中から見つけてみろと言われて迷った…という話。

当時の菖蒲(アヤメ)は今のショウブの異名。
ショウブはショウブ湯に使う葉っぱだけの植物。
(花ショウブはまた別の植物)
マコモというショウブみたいな葉っぱの植物と一緒に五月雨で水没したので、見分けがつかない…と頼政が歌を詠んだ。
なので、当時は花の話ではなかった…ハズ。

後々、花のアヤメと、似た花のカキツバタが見分けがつかないので、
いずれ菖蒲か杜若というフレーズが生まれたらしい。

しかし、ココで杜若が出てくるのが気になる。

平家物語の中の源頼政が鵺を討ち取ったという逸話では、
褒美に貰う菖蒲前という女性の話は出て来ず、
討ち取った褒美に「獅子王」というを賜ったと出てくる。

そしてその獅子王を上皇から預かって手渡しのは、
あの悪左府、男色大臣・藤原頼長!!

頼政は二度、鵺を退治している。
二回目のご褒美(今回は御衣)を手渡したのが右大臣・藤原公能
藤原公能は頼長の嫁の弟でもあり、頼長の愛人でもあった人物。
親族的にも義弟であり、男色関係でも義弟というwww

結局貰ったのが、「獅子王」って男みたいな名前の”刀”=男性器の隠語っぽい。
同時代の義経も、鞍馬寺に預けられた時の稚児名遮那王
○○王は稚児に多く付けられた名前だったのでは?

なんといっても褒美を渡してるのが男色大臣二人ですしw

加えて、頼政は遠江出身、先ほどの業平の杜若話が三河八橋。
近いっちゃ~近い。

なんだかこの辺りにも男色の香りが漂ってる様に思うのですが、どうでしょう?
当時の上皇、後白河なんかも稚児を何人も囲っていたというし、褒美に貰ったのは若くてカワイイ獅子王という男の子だったのでは?

頼政が鵺退治に連れて行った従者が猪早太。鬼滅の刃の伊之助みたいなイメージが湧く人物。コイツとも関係があったんじゃ?と勘ぐってる腐った自分もいます(;^_^A。

あと、ここで芭蕉の最愛の弟子「杜国」にも杜若の”杜”が入ってるのが興味深いです。
杜国は一応尾張の商人ですが、三河の国とは鼻の先。十分活動範囲。
杜国が謹居していて、芭蕉がわざわざ逢いに行った二人の思い出の地・伊良湖岬は三河国。三河国といえば、前述したゲイ・アイコン在原業平が詠んだカキツバタで有名な三河八橋があるわけで。
芭蕉よりウンと若い若衆である杜国に、杜若から杜の字を与えた可能性もありそうです。
艶やかな若衆に例えられる若で有名な出身=杜国という感じ?

ということで、「杜若」は若衆、男色の対象と非常に関連付けられる植物だったという訳でした。

次回、「蘭」に続きます。

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前回「岩つつじ」編はコチラ↓

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