夢日記と山散歩
夢日記:闇が満つ
久々に嫌~な夢を見たので記録してみる。
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まずなんとなくの舞台は、自分の家が和風の古いお屋敷。
だが和洋折衷でところどころ洋館のテイストもある。
あやふやながらもそれなりに資産家なのだとわかる。
洋風に改装された広めの大広間にいる。採光具合は日本家屋のもので、昼間なのに薄暗い。横溝正史の金田一映画に出てくる旧家のような薄暗さ。
部屋の中央には大きな長方形のテーブル。テーブルランナー(センターだけのテーブルクロスっぽいもの)が敷かれている。背もたれの高い椅子がずらっと10脚ほど並んでる。
そんな部屋で会話をしている。
家族構成も曖昧。
広間での会話中、自分の周りに誰かの気配はあるものの、兄、弟、姉、妹、義理の兄弟姉妹、誰なのかは判然としない。誰か"身内"と会話しているという感覚だけがある。
ただハッキリしているのは、父親が最近亡くなったということと母親が生きているということ。
夢の主な登場人物は自分(年齢、性別は不明)と母親(年齢は70代ぐらいだろうか?)と、もう一人ぐらいしか出てこない。モブ的な薄っすらした存在はいるが。
母親は特に父の死を悲しんでる様子でもない。
生前の二人の関係を知っているからさもありなんと自分も思っている。
自分は相続やなんやかやと細々としないといけないことが多く、家の中でもテンパりつつ家族?関係者?誰かに指示出したり、お願いしたり、忙しくしている。
そんな状態の時に、母親がその横を、その後ろを、ス~っとすり抜けてどこかに出かけていく。何度も、何日も、母親がシラ~っと出掛けることに気付いて不満を貯めながらも何も言えない自分がいる。
夢の中なので時間の概念が適当。そんな状態が数日なのか数か月なのか、とにかくある一定期間過ぎた感覚だけがある。
そしてある時、家の中に男がいる。
母親が連れてきた男。
中肉中背。年齢は母親よりも少し若い60代ぐらい。髪の毛はある。
顔もブサイクではないが特別良くもない。少し切れ長の目。平面ではなくて横から見ると立体的な顔。
口元も前に出てる感じで口自体が大きい。福笑いのように平面に口が載ってるというのではなくて、犬やワニのような立体的な口元ということ。開けるとオオカミのように横にグワ~っと広がるタイプ。大きい口がぐわッと開いて笑うと一気に下品な顔になる。(←妙なところのディテイルだけがハッキリしているのも夢あるある)
その特徴的な口元に違和感と不快感を感じつつ…
目の奥も、顔に張り付いた笑顔とは対照的に笑っていない。黒い深淵に怪しい光が宿っている。光と言うのもおかしい表現。発光とは白い光を発しているイメージだけど、この場合は”黒い何か”を発しているイメージ。
直感的にいい人じゃないのがわかる。口で人を転がして悪いことし続けてきた人物。信用してはいけないと、勘が、経験が、私に教えてくれてる。
しかし母は彼を信頼している模様。性愛的にゾッコンというわけではない。しかし父という拠り所を亡くした今、新たにもたれ掛かる何かを見つけた喜びと安心感を母から感じる。寄り掛かるものがないと立っていられない、そんな自分というものを持たない人物、それが母なのかもしれない…と話している二人を見たことでふと思う自分がいる。
ここでまた時間経過が曖昧に。
ただその男が事あるごとに家のことに絡んできて、母の代理のように口を出してくるようになっていく。
それと比例し、母からはどんどん生きた人間という感覚が希薄になっていき、心が入っていない人間の形をした空虚な入れ物のような感覚になっていく。
いままで別の物で満たされていた母親という器に出来た隙間。
そこに何か黒い液体が注がれ、充填されていくかのようなイメージが頭によぎる。黒い液体が元々入っていた透明の液体をも黒く染めていく…。
我慢ならずに母親に訊く。あの男はどこに住んでいるのか?持ち家は?家族はいないのか?なぜうちに住むようなことになるのか?
しかし全てはぐらかして目も合わさず、避け続ける母。
その男によって洗脳され操られている気はするが、証明できないのでモヤモヤ、鬱憤が溜まるばかり。
ある時、家から庭に出ていく母親を見かけて、自分も家の縁側から庭に出て追いかける。
南向きの大きな庭。刈り込まれた植木がある日本庭園。飛び石が南西方向にのびている(←なぜかここの方向感覚が妙に残っているのも夢の不思議なところ)。
母が飛び石の上を歩いてどこかに行こうとするのを追い越して、前に回り込み、昂る気持ちを抑えられず両肩をガシっと掴んで、
「あんな男を信じちゃいけない!騙されてるんだよ!どうしちゃったの、お母さんっ!!」
と、肩を前後に揺らして半泣きで叫ぶ自分。
あの男に母親を乗っ取られ(奪われたのではなく、母親の主体というか、中身を空っぽにされた感覚なので”乗っ取り”)、自分の暮らしてきた家も乗っ取られようとしている。そんな恐怖にも駆られている。
膝をついて、下からグッと近づき母親の顔を覗き込むと…
その瞳は下半分が白く濁っており、上半分の黒い部分は光もなく真っ黒で空虚な闇が広がっている。焦点が合っているのかどうかもわからない。私の顔を見ているのか、見えているのかもわからない。ただ白い部分がドンドン広がっていっている確信だけはあり、母との世界がどんどん閉じていく感覚。その白が瞳全体を覆った時に乗っ取り完了するんだと直感的に理解する。そして戦慄した冷たさが体の中を電気ショックのように通り過ぎる。
そして母の口元に目を移すと、口角がかすかに上がってるように見えなくもない。その底知れぬ空虚な目と安寧を得たかのような満足そうな口元に絶望を感じ、世界が真っ暗に暗転した…
と同時に目が覚めた。
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とはいえ、夢の途中、男の特徴を観察している辺りから、「これは夢を見ているな」という自覚も存在していた。夢を見ている自覚がありながら、この夢はどこに行くんだろう?とまるでエンタメを楽しんでいるような自分もいるというメタ構造な夢。略してメタ夢?w エンタメと言ってもかなりベタ、家政婦のミタゾノで擦るほどやってそうなプロットで、自分の夢の平凡さにある意味ガッカリ(もっと奇想天外なの頂戴! 苦笑)
現実では母親は死亡し、父親が生き残っている。
父親が若い女や詐欺師に騙されて財産失おうとしているという”虫の知らせ”か何かなんでしょうかね?
今月の「100分de名著」は フロイトの「夢判断」
すごく興味深い内容で考えさせられることも多い。
私のこの夢は、私のどんな潜在意識が作り出した願望充足なのだろうか?
母親が登場することから、第3回の「エディプス・コンプレクス」の影響もあるように思う。
一応自己分析してみると…
母親が死んでなお、母親に対する想いは父親より強く存在している。一方存命の父親は、自分にとって既に死んだも同然の存在でしかない。
しかしその母親に裏切られたという失望と(自分を残して先立たれたから?それとも生前まったく自分とは理解し合えなかったから?)、子供の頃から何度も感じた絶望感が心の傷となっており、それがこういう形で再現された…ということですかね?
「異人たち:All of us strangers」を観て、亡くなった両親との邂逅で心の傷を癒すということを考えていたわけだけど、夢の中で再会した母にはさらに傷を抉られる始末…。そうそう癒して貰えないという現実の厳しさが夢となって現れたのだろうか?
旧家の大邸宅設定はどこから来たのだろう?直前にそんな映画とか観たかな?旧家じゃないけど庭の飛び石を歩くところは、映画「波紋」を一ヶ月以内に観てたからその影響のような気もするけど…。
割とビジュアル的にハッキリした夢だったので記録してみました。
山散歩:ハルリンドウを探して
最近は天気も雨が多かったり、晴れのはずなのに黄砂で一日中ドンヨリしていたりで、気持ちのいい晴れの日が案外少ない今日この頃。
雨が降る前、春のお山に花を探しに山散歩に行ってきました。
新緑溢れるお山と花の生気を貰ってリフレッシュできました。
しかしもう暑い…。最近上手く汗がかけない体質になってしまって熱がこもって非常に辛い。冬から夏にかけて汗かきやすい体にしていく暑熱順化もうまくいかなくて、このままだと真夏に室内熱中症になりそうで非常に怖い。