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ピアノを弾きたい

はじめに

ピアノを弾きたい。無数にある「社会人になってからすること」の最たるものだ。これについて時系列で文章を紡いでいきたい。

吹奏楽に憧れた小中学時代

小学校時代から『のだめカンタービレ』や「笑ってコラえて!」の「吹奏楽の旅」が好きだった。そして私が通っていた中学は吹奏楽強豪校。私は母校の吹奏楽部のファンだった。朝練や放課後の練習のみならず、昼休みも活動をする吹奏楽部。彼女たちが奏でる音楽はとても美しかったことは言うまでもない。友人の影響もあり、その定期演奏会にも小学校時代から足を運んでいたほどだ。

吹奏楽は「運動系文化部」とも称される。「吹奏楽の旅」でも取り上げられていたが、マーチングの練習は長年運動部に所属している私でも過酷なものに見えた。過酷な状況下美しい音楽を奏で、人の心を動かすことができる。音楽の持つ力の偉大さを痛感した小中学生時代だった。

ここまで話して、なぜ習いに行かなかったのかなどと思われそうなので付け足しておくが、私はリズム感や音感を全く持ち合わせていない。音楽の授業で篠笛を弾かせると謎の音を奏で、鼻歌として歌うと友人らに音痴と言われる。ちなみに音痴は今もなお自覚がない。両親はそんな私を存じていたので、とてもじゃないが音楽をしたいとは言えなかった。

Saoriさんに魅了された高校時代

高校生になりスマートフォンを持った私は、様々なJPOPを聴くようになった。その中で、ぼんやりと「音楽をしたい」と思っていた私を変えてくれたバンドがある。今年の二月にメジャーデビュー10周年を迎えたSEKAI NO OWARIだ。「RPG」で彼らに出会った私はすぐ、彼らをもっと知りたいと思うようになった。高校生で金欠だった私は、レンタルショップで貪るように彼らのCDを借りて聴いた。

https://www.youtube.com/watch?v=Mi9uNu35Gmk

一番魅了されたメンバーがいる。ピアノのSaoriさんだ。「スターライトパレード」に、Saoriさんのソロパートがある。(ファンはこのパートのことを『スーパーさおりタイム』と呼ぶ)私はこの部分が大好きだった。「星が降る眠れない夜にもう一度連れて行ってくれたあの世界」にぴったりだからだ。初めて彼らがそれを演奏しているのを観たのはその後だった。「スーパーさおりタイム」に突入し、笑顔でメンバーや観覧客を見守りながらピアノを弾くSaoriさん。一心不乱にピアノに向き合うSaoriさん。それからの私は、完全に彼女の虜になった。私も彼女みたいにピアノが弾きたい。他の楽器ではなく、ピアノ。そう思えた。

https://www.youtube.com/watch?v=Mi9uNu35Gmk


文章を紡ぎ読書に没頭する今

こうして文章を紡ぐようになった今、文章を紡ぐときにピアノの鍵盤が見える。キーボードを叩くことで文章が紡がれる。ピアノだと、鍵盤を指で押す(この表現で合っているのか定かではないが)ことで音楽が奏でられる。文章自体が変だなと感じるときは、実際したことがないので何とも言えないが、ピアノで不協和音を奏でたような気分になる。ここで1つ、大きな違いがある。一度紡いだ文章は、投稿前であれば消去が可能だ。しかしピアノで不協和音を奏でたら取り消せない。音楽を奏でることは、文章を書くことと同じようで、文章よりも抱えるものが多いように感じる。

大学で文学を専攻して知ったのだが、作家たちは各々の精神状況や生い立ちに基づき文章を紡ぐ。ふと、音楽室に壁一面貼られていた作曲家たちの顔を思い出した。作曲家たちも作家と同様、各々の状況に基づき数々の曲を作ったのだ。曲にはもちろん文章はない。自らの感情を音楽で伝える作曲家に、改めて尊敬の意が強くなった。私自身の感情を文章で表すことは得意だが、その「自己表現」の方法を増やしたい。そして数多の作曲家について知りたい。そう思えた。

おわりに

こうして今、猛烈にピアノが弾きたくなっている。初めは憧れだった「音楽」や「ピアノ」が、今となっては新たな「自己表現」や「人間観察」のひとつと捉えている。ピアノは果たして、そんなかけがえのない存在となりうるのか。それはまだ、誰にもわからない。




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古元素
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