ウクライナ旅行記2024【7日目】
空襲警報のない朝は久しぶり。そんなことにも幸せと有り難みを感じる。
すっきりと8時に目を覚ますことができ、早速身支度を済ませる。
オクサナさんとの待ち合わせまでに、まだ行けていないお気に入りの雑貨店2件に行ってみるも、やはりどちらも無くなっていた。私のような外国人が喜ぶ、つまり地元の人からは需要のない雑貨店や土産物店は完全に淘汰され、残っていたとしても軍関連の雑貨を取り扱っていることが多い。旅人の強い味方と思われていたGoole Mapも長らく更新されてないようで、地図上では存在していても、実際に行ってみると閉店していたり、周囲一帯が再開発されているなんてことが多々ある。
がっくりと肩を落とし、昨日と同じ本屋さんへ行き、買い忘れていたウクライナ版ヴォーグを購入した。
百貨店【ЦУМ(TSUM)】で5年ぶりにオクサナさんと再会。
オクサナさんはウクライナ国立民族芸術家連盟会員で、ウクライナの地がキリスト教化される前から存在するお守り "モタンカ人形" を作るアーティスト。
彼女の作品は端切れや麻紐で作れる簡単なものから、精巧な刺繍を施した芸術品の極みまで実に様々。キーウで開催される展示会で彼女の作品に魅せられ声をかけさせて頂いたことがきっかけとなり、コロナ禍で渡航できなかった期間中も作品を日本に送ってくださっていた。
2022年侵攻開始後には、彼女の監修を受けて ”屋内外で子供から大人まで参加できるモタンカのワークショップ" を日本で開催したこともある。
この日はワークショップで気軽に作ることができて、且つとてもプリミティブなモタンカの作り方を教えてもらうことになっている。最上階のカフェの隅っこを陣取り、贅沢なプライベートワークショップが始まった。
手取り足取り教えてもらいながら作っているにも関わらず、完成した私のモタンカちゃんはなんだか不恰好で苦笑い。
プライベートワークショップの後はЦУМの中をオクサナさんのガイド付きで散策。オクサナさんの評価を聞きながらフロアいっぱいに並ぶ民族衣装を品定めするのは大変勉強になった。
百貨店だけあって綺麗なお手洗いもあるので忘れずに立ち寄る。
お次はオクサナさんおすすめの布屋さんに連れて行ってもらうことに。というのも、私が今まで行きつけにしていた布屋さんも再開発の影響で跡形もなくなっていたため、新しいお店を開拓する必要があったのだ。
残念ながらこの日も雨雲と太陽が交互に顔を出す空模様だったので、時々雨宿りをしながら、モザイクアートが有名な公園に到着。ガイドブックでは見たことがあったけれど実際に来るのは意外にも初めて。砂場や遊具では近所の子供たちが賑やかに遊んでいた。
こうして街を歩いていると、以前よりも犬を連れている人が増えたような気がする。「犬が増えたわよね?」と聞いてみると、「そうなの、小さな犬が人気よ」と答えるオクサナさんはあまり歓迎していない様子。さらに気のせいかもしれないが "パトロン風"の小型犬が多い。
まるで高級ハンドバッグを持つように生鮮食品店にまでも小型犬を連れ込んでいる人を今回の滞在で何度も目撃したのだが、そのスパーマーケットのレヴューには衛生上の問題を指摘するコメントが散見された。(店側も衛生面の問題を懸念しているため見つけた際には注意をしていると返信している)
聖アンドリイ教会を拝みながらアンドリイ坂を下り、Контрактова площа駅 (Kontraktova ploshcha) に到着。坂の終わりにLviv Handmade Chocolate があったのは覚えていたけれど、同じくリヴィウ発のチェリーワインで有名なП'яна Вишня も新規オープンしている。リヴィウのローカルビジネスだったチェーン店がキーウやワルシャワにまでも拡大していて、一時的とはいえ東部から人口がどっと流入したリヴィウの活況が伺える。
後日Mにこの件について聞いてみると、チェリーワインはハルキウにもオープンしたが、ビジネスの急拡大に伴って味が落ちたともっぱらの評判だそうだ。
オクサナさん御用達の手芸用品店でアドヴァイスを頂きながら刺繍用の布を購入。
メトロでМайдан Незалежності 駅まで戻り、別方向のメトロに乗り換えるところでオクサナさんとはお別れとなった。また会えることを信じて、そして今日こうして楽しい時間を過ごせたことに感謝して、帰宅ラッシュのメトロに一人乗り込んだ。
荷物を置きに一旦ホテルにへ戻り、ディナーの約束までにまだ行けていなかった日用品店に足を運んでみることに。Google Mapのレビューがあまりにもよろしくなかったので戦々恐々と入店すると、なかなか迫力のあるおばちゃま2人が椅子に座っておしゃべりに興じていた。
気合いを入れて笑顔で元気に挨拶すると、おばちゃまからも(意外にも)笑顔で「こんにちは」と返ってきた。海外ではお客様は神様ではないので、客側からも挨拶をすることで "サービスを受けたい旨" を伝える必要があると私は思っている。自信がなくても、上手じゃなくても、相手の目を見てきちんと挨拶をすることがマナー。
無事に第一関門を突破し、目的の商品を物色していると1人のおばちゃまが近寄ってきて、"何を探してるの?ここに広げてみていいわよ" と、私が見ていた商品を全て台の上に広げてサイズごとに並べてくれた。
山盛りの購入品をお2人で手分けして丁寧に袋詰めしてくれ、最後も笑顔で「さようなら」と見送ってくれる。世話好きの優しいおばちゃま2人のお陰で楽しいお買い物となった。
日本に帰国してからも、こうして会話を交わした人々が今どうしているのだろうかと思わない日はない。
夕方には雨が止み再び日差しが戻ってきたので、大荷物をホテルまで運んだら汗がじんわり。荷物を置き、着替えをしてから友人とのディナーへ出かける。タクシーで待ち合わせ場所に向かっていると、ソフィア大聖堂の辺りで大規模な封鎖エリアを通過する。こんなところに何かあったかな?と地図をみると保安庁だった。
マイダン広場横の郵便局前でZと再会。彼には家族共々お世話になっていて、キーウ滞在中に私が体調を崩した時には薬を買って届けてくれたこともあった。
久しぶりに会う彼は髭を蓄えかなり雰囲気が変わっている。今回再会した友人たちは、髪の毛や髭に白いものが随分と目立つようになっていて、年齢的な理由だけではない、この2年間の心労が伺える。
Zに手伝ってもらいながら国際郵便の段ボール箱とお土産用の切手を購入。
ウクライナ郵便 (Укрпошта / Ukrposhta) は侵攻開始以来、戦時下で起こった象徴的な出来事をデザインした切手やグッズを販売しており、人気のデザインはあっという間に売り切れることもあった。海外からの需要もあるとみてオンラインショップは海外発送と英語表記に対応しているので、ご興味のある方はぜひ公式ショップからどうぞ。(コピーや高額転売も横行しているのでご注意を)
窓口の方が配送ラベルを手渡しながら、「ひと箱に4品目しか同梱できないから気をつけてね」と言い添えてくれたのだが、これが後に騒動となる。
この日のディナーは私のリクエストで退役軍人が働くピザレストラン 【Pizza Veterano】 へ。
その存在は以前から知っていたのだが、アメリカのブリンケン国務長官がウクライナのクレバ外相(当時)と訪れたことで一気に知名度が上がった。
ピザの種類がとても豊富で、何を選んだらいいのかわからなくなり、最終的に【ウクライナ】というピザを選んだ。
日本の主要メディアのニュースをたまに目にすると、その的外れさにガックリすることが多いが、信頼のおける現地の友人から話を聞くことは自分自身のヒーリングにもなった。よく身内に聞けばいいじゃないかと言われるのだが、情報源が"身内一択"というのは非常に危険だと思っているし、私は納得しないので、とにかくいろいろな人に話を聞くようにしている。それも不躾にテレグラムでデリケートな質問を投げつけるのではなく、テーブルを囲み旧交を温めながらじっくりと会話を深めていくのはやはり心地よい。Zは日本車をこよなく愛し、日本事情にも精通しているので話題は多岐に渡るのだが、”キーウのコーヒーショップでクレジットカードが使えず日本語で何かモゴモゴ言っている日本人ビジネスマンがいて、店員が困惑しているのを目撃した” という話を聞いてなぜかこちらも困惑する。
愛車のHONDAでホテルまで送ってもらう。
彼は生粋のキーウっ子なので、幼少期を過ごした家、よく遊んだ公園などを案内してもらいながらの贅沢なドライブとなった。実はあの建物は…といったローカル情報に耳を傾けていると、戦争が生活の一部になった現状を改めて思い知らされる。
そしてまたお別れの時。必ずまた会えると信じて。
振り返らないように一目散にエレベーターに乗り込んだものの、やっぱり涙が出てきた。
しばし部屋でぼんやりした後、余力を振り絞って箱詰めを開始。
いざ箱詰めを始めてみると防水のためにビニール袋が必要だと思いつき、いつものスーパーマーケットへ行くこと。
ロールになったゴミ袋を手に取り、ついでにお土産用の紅茶を吟味していると、バチ!っという音とともに停電。停電時はあらゆる電子機器が一斉にオフとなるため、各機器から発せられる"電源が落ちる音" の大合唱に心臓が飛び出しそうになる。
出入り口はエスカレーターを降りた階下にあるので、店内にはドアも窓もなく文字通りの真っ暗闇となった。それでも誰もワーともキャーとも言わずに、淡々とスマートフォンのライトをつけて買い物を続けているので、私も平静を装って黙々と紅茶探しを続ける。
混み合う店内の買い物客が一斉にスマホのライトをつけると店内は十分に明るい。ただレジが使えないので、人々は商品を抱えたまま店内で待機することに。電気が復旧すると、あっという間にレジに長蛇の列ができた。
22時過ぎ、部屋に戻ってから日付が変わるまでに2度の空襲警報が相次いだ。
なんとか箱詰めを終えベッドに倒れ込む。