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ウクライナ旅行記2024【3日目】

昨日までの猛暑は影を潜め、最高気温23度の予報。
日陰に入ると肌寒い。

ランチに以前から行きたかった "Вачевських" (Baczewski) というレストラン兼バーのようなお店へ行くことに。  

ウクライナではコロナ禍以来、ほとんどの飲食店のメニューがQRコード方式になったのだそう。知らない単語があっても簡単に英語翻訳ができるのでこれはありがたい。
そのままオンラインで注文できるのかと思ったら、注文は店員さんを呼んで直接する必要がある。理由を友人に聞くと、隣のテーブルのQRコードを読み取り注文し飲食後に支払いをせずに立ち去る不届者が相次いだために、このようなシステムになったのだとか。

このレストランには平常時版メニューと停電時版メニューがあり、停電時版からはやはりコーヒー関連のメニューが姿を消していた。

夏の定番レモネードはフレーバーを選ぶのも楽しみ

エルダーフラワー風味のレモネードと豚首肉の煮込みを注文。
レモネードはホームメイドなのだそうで、エルダーフラワーのほのかな甘みとスッキリとしたレモンの酸味が夏にぴったり。

無事に残さず食べ切ることができました

豚首肉とは!?と思い、調べてみると日本語では豚トロのことらしい。どうりで柔らかく弾力があり程よく脂身を感じる。
甘みのあるじゃがいものソテー、甘く炊いた茎野菜(ルバーブ?蕗に似ている) 、トースト、サラダがサイドで、さらにビーツと西洋ワサビのペーストと人参のピューレ、アジカソースが添えられていた。
西洋ワサビもアジカソースもジューシーな首肉にピリリとアクセントとなり絶品だった。

今回は外のテラス席に座ってしまったけれど、店内奥の中庭も植物園のようで美しかったので次はそちらの席を選ぼうと思う。


市庁舎広場を通りかかると、路線バスが5台ほど連なって停まっていて、中には軍服姿の男性がまばらに座っている。これから訓練に、もしかしたら前線に向かうのかもしれない。
ざわつく心を抱えたまま広場を後にし変容教会に飛び込んだ。

紆余曲折を経た変容教会

最初の建設は1703年から始まり、リヴィウ大学の図書館だったり、20世紀前半の共産主義革命の波が押し寄せた時には民族主義運動の拠点になったり、そして戦禍に巻き込まれ建物が損傷したり…現在はギリシアカトリックの変容教会としてリヴィウの中心地に佇んでいる。
ひと通り内部を見学させて頂き心が落ち着いてきたところで出入口に戻ると、【ミュージアムは地下】という案内板を見つける。なんと地下に歴史博物館があるらしい。

外に出てみると、教会の出入口とは別にレシャ・ウクラインカ通り側に博物館の入口はあった。

なぜ今まで気付かなかったのだろう!

”洞窟の中に蝋人形がある” (!)との案内があり、蝋人形館が苦手な私は一人で入ることに一瞬迷ったものの、若い女の子のグループが入っていったのでそれに続いてチケットを購入し入館した。

ダヌィーロ公と弟のヴァスィルコ王子

リヴィウは13世紀にダヌィーロ公によって建設され、息子の名前レヴにちなんで名付けられた。 "レヴ" はライオンを意味するため市の紋章をはじめ、街の至る所にライオンのモチーフが見られる。
博物館ではそんな街の成り立ち、登記簿や納税記録から見る人種の構成、各宗派の教会の歴史などなど、全部真面目に読んでいたら貧血を起こしそうなぐらい内容の濃い素晴らしい博物館だった。
(ちなみに泊まっていたホテルの名前 "Danylo inn" はこのダヌィーロ公にちなんでいて、ホテル前の広場にはダヌィーロ公の騎馬像がある)

ダヌィーロ公の衣装を纏って撮影できるスポット
若いお嬢さんたちはしばらくここで楽しんでいた
モンゴル軍の襲来
人形だとわかっていてもギョッとする
そしてコサックの時代へ

まずここでひと通りリヴィウの歴史を網羅してから、教会や観光地を周るとさらに理解が深まるはず。
入場料は約1000円。リヴィウ観光で迷ったらまず最初に来ることをお勧めしたい。
(ただ蝋人形がなかなかにリアルなので、苦手な方もいるかも…)


洞窟の中の歴史博物館から地上に戻ると何かがウーウー鳴っている。
スマートフォンを取り出すと空襲警報発令中の通知が届いていた。

正直なところ、救急車やらパトカーやらのサイレン音をよく耳にしていたので、今鳴り響いている ”これ” が空襲警報だとは瞬時には気付かなかった。
周囲を見渡すと誰一人としてカフェの席を立つこともなく、散歩をやめることもない様子なので、私も平静を装ってそのまま歩き続けることにした。

日本に帰ってからもしばらくは
サイレン音にドキリとすることが続いた
通知が警報でいっぱいになることも


リヴィウ市街地は旧市街内外に関わらず石畳みの道が入り組んでいる。私のような旅行者には、どこが横断歩道なのかもわかりづらく、あったとしても信号はなく歩行者優先方式が取られていることが多い。日本でも最近になって歩行者優先のルールができたと聞くけれど止まってくれる車は少ない。ウクライナでは歩行者優先の横断箇所には必ず標識があるので、そこを渡れば車は止まってくれる。ただ、止まってくれるとわかっていても、かなりのスピードでアグレッシブに走ってくるので、道を横断する時は毎回緊張する。
旧市街内は車がいないから安心かと思いきや、昨今はデリバリーの自転車や電動スクーターがビュンビュン走ってくるので気が休まらない。
おまけにうっかりすると石畳に躓く危険性も。
私はどんなに暑くても絶対スニーカーで歩くことにしている。

気に入っていつも訪れていた雑貨店がなくなっていて、しょんぼり歩いていると、新しいおもちゃ屋さんを見つける。

レゴなど有名おもちゃも売っているけど、なぜかアヒル?白鳥?のぬいぐるみがたくさん売られている。
どう見ても子供のおもちゃ屋さんなのに唐突にレジ横に並んでいるミリタリーテイストな靴下を購入してみた。

私の予約ミスのため一泊だけのためにホテルを移動することに。
元のホテルから地下道を使えば直線で5分の距離なのに、スーツケースがあるからと平坦だけど遠回りのルートを選んだら20分かかった。
そしてまたエレベーターがなかった…!
キャリーオンサイズのスーツケースなのでなんとか自力で運べたものの、大汗をかく。

夕方のニュースに耳を傾けていると、リヴィウで男の子がマルシュルトゥカ (乗合バス) に轢かれたというニュースが。改めて注意して歩かなくてはと気を引き締める。

あっちを向いておりますがダヌィーロ公騎馬像

18時半 Gファミリーとダヌィーロ公騎馬像の横で再会
4人で一気にハグしようとすると円陣ができた。
サングラスの下で感動の涙をぐっと堪える。

BLACK HONEYで飲み物を調達し、お散歩しながらの近況報告。
初めて会った時に2歳だった娘さんのDはもう10歳。学校で勉強中だという英語で私にいろいろと話しかけてくれる。若干10歳にして英語が彼女にとっての3ヶ国語目になるのだ。

茶せんと茶碗で抹茶を立ててくれる本格抹茶ラテ

DのTシャツの袖口に先ほどのおもちゃ屋さんのロゴを見つけ、驚きながら聞いてみると、"Івасик-Телесик" (Ivasyk-Telesyk) というウクライナのおとぎ話から着想を得た新しいブランドなのだとか。

邪悪なヘビから逃れたテレシクと彼を助けたグース (ガチョウ) が、物語のその後にエアラインを立ち上げたという設定で、空軍を想起させるデザインのファッションアイテムを展開している。私が入ったおもちゃ屋さんは系列店だったため、靴下を販売していたというわけ。
アヒルか白鳥だと思っていたあのぬいぐるみはテレシクを救ったグースだったのだ。疑問が一つ解消されてスッキリ。

Dは【SPY×FAMILY】のアーニャがお気に入りなのだそうで、モノマネを披露してくれる。【ダンジョン飯】も面白かったよ、などと日本のアニメ事情について逆に教えてもらう。

食べ応え満点スィルを使ったケーキ

奥さんのMお勧めのカフェに腰を下ろし、今が旬の野いちごのケーキやチーズケーキを頂く。


日本からお土産として持参した風呂敷の中から好きなものをMとDに選んでもらう。特にMは日本風の ”BENTO” を作るのが好きなので、お弁当箱を包めるサイズの風呂敷を5種類ほど用意してきた。ちなみにMは卵焼き用のフライパンも持っていて、自宅で紫蘇を育てている。
Gにはユニクロのステテコをプレゼント。

私がキーウから戻ってからまた会うことを約束してこの日は別れた。


明日はいよいよキーウに移動する日。
恒例の各種充電に加えて、玄米茶を作るための水筒の準備をして早めに寝ることに…

のはずだっただが、深夜0時から明け方5時までは戒厳令につき外出禁止なのにも関わらず、近くにバーかクラブでもあるのか、それとも自宅でパーティーをしているのか、いずれにせよ明け方まで歌い騒ぐ声がホテル周辺に響き渡り、またもよく寝られないまま移動日を迎えることとなる。


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