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ウクライナ旅行記2024【5日目】
7時 空襲警報の館内アナウンスで目が覚めるも、昨日の疲労からあっという間に眠りに戻る。
9時 スマートフォンのアラーム音で起床し、テレビをつけると昨晩の東部への大規模攻撃のニュースで持ちきりだった。
今日は15時から国立劇場でバレエ鑑賞のためワンピースなど着て少しおめかしをするけれど、足元はもちろんスニーカー。万が一の際にいつでも走れるように、足を保護できるように、などと考えた末の選択だったのだが、果たして街に出てみると人々の装いはいつもと変わらなかった。
でもやはり慣れない石畳の歩道を歩くにはスニーカーが一番。
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キーウでまず行くべきところ、それはもちろん【Майдан Незалежності・独立広場】である。
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初めてここを訪れた時は、マイダン革命とクリミア及び東部2州侵攻の傷が癒えぬ頃で観光客がまったくいなかった。
それから毎年訪れているが、年々少しずつ観光客らしき人が増えてきて、週末などには賑わう広場を見られるようになっていたのに、4年ぶりに目にした独立広場は再び静まり返っていた。
戦闘で命を落とした戦士たちを弔うべく、遺影や愛する家族友人からのメッセージが書き込まれた国旗やランプが所狭しと並んでいる。今まさに涙に暮れながら国旗を立てている人もいる。ウクライナ以外の国旗も多く見受けられた。
この光景は映像や写真で目にしていたものの、実際にこの場に立ってみると全身が締め付けられた。ここでも真っ黒のサングラスに助けられる。
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広場を一周し正面に戻り、ウクライナホテルまで収めた広場全体の写真を撮っていると "2足歩行の"グースとパトロン (※) が「写真撮りましょうか?」と近寄ってきた。
※グースについては旅行記【3日目】を参照。パトロンとはウクライナでは知らない人のいない爆発物探知犬のジャック・ラッセル・テリア。しばしば外交の場に登場し要人らもその愛らしさで魅了し、世界にその名を知られるスター犬となった。
以前はここにミ◯オン風やミッ◯ー風の着ぐるみがいて、勝手に観光客の写真を撮っては代金を請求してきたのだが、このグースとパトロンもそのようなビジネスをしているのだろうか。一人の時にトラブルに巻き込まれたくないという警戒心が優ってしまい、丁重にお断りしてその場を離れた。
しかしその後、親子が無邪気にグースとパトロンに挟まれて広場を背に記念撮影をしていたので、もしかしたら純粋なボランティアだったのかもしれない。グースとパトロン、疑ってごめんなさい。
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14:30 いよいよ劇場へ
独り鑑賞恒例の鏡前セルフィーを撮ったりしながら自分の座席へ。
1階の平戸間席も空いていたけれど、私は欧州の歴史ある劇場ではボックス席派。ルノワールの『桟敷席』が物語るように、昔の貴族たちは桟敷席に陣取り、ステージそっちのけでオペラグラス片手に客席の人間観察(つまりゴシップ収集)を楽しんでいたのでしょう。私もヨーロッパに根付く劇場文化に敬意を表して (?)、日本から持参したニコンのオペラグラスで客席の隅から隅まで観察して開演前のひと時を楽しむ。
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現在の建物は1901年に再建されたネオ・ルネサンス様式
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本日の公演はダブル・ビルで、第1部はジョン・ノイマイヤーの『Spring and Fall』。第2部は新作プレミア公演という情報しかHP上にはなかったのだが、劇場に来てみるとそれがアレクサンドル・ラトマンスキーによる新作バレエであることが判明した。
キーウ滞在中に他のバレエ公演がなく、一択で購入したチケットにも関わらず、なんと豪華な2本立てなのだろう!!
静かに幕が上がると、無音の舞台上を男性群舞が下手から上手へと通過してゆき、最後に一人の男性が舞台中央のスポットライトの中に残る。顔を上げると日本でもお馴染みのムィキタ・スホルコフだった。
女性の主役はオリハ・ホルィツァで、各主役の脇を固めるソリストの中にはこちらも日本公演の常連オレクサンドラ・パンチェンコとヴォロディムィル・クトゥゾフの姿も。
スホルコフとホルィツァは体格の面でも音楽的、叙情的な表現面のでもバランスが良く、見ていて非常に心地よい。古典バレエにおいて既にその高い身体能力を証明しているダンサー達が、ノイマイヤー作品という異なるフィールドで新たな芸術的一面を見せてくれた。
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第1部が終了し客電が点灯すると、2階のバルコニーまでしか観客が入っていないことに気が付いた。
休憩中に地下のお手洗いとクロークに行ってみると、そこには簡易椅子が敷き詰められている。クロークは客先の真下に位置していて、本来は冬場に防寒着を預ける場所なのだが、現在は観客用のシェルターも兼ねている。ここに収容できる人数分しかチケットを販売していないという話は本当のようで、3階より上は開放していないのだろう。
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第2部はアレクサンドル・ラトマンスキーの『ЕЛЕГІЯ ВОЄННОГО ЧАСУ (An elegy of war time)』
ラトマンスキーはウクライナ国立劇場で踊っていたことがあり(子供の頃ビデオで見てよく覚えている)、一時はボリショイ劇場の芸術監督を勤めたものの、2022年侵攻開始後は権力側につき公然と戦争を支持する一部の元同僚たちを厳しく批判し、ウクライナバレエ界の支援に奔走している。
今回の新作バレエは選ばれたダンサー8名がアムステルダムに滞在し、振付家と共に短期間で作り上げたとのこと。古典作品では決して一堂に会することのない豪華メンバーのアンサンブルに目眩がする。
作品は4曲構成で、最初と最後は8人のアンサンブル。
中盤は男女に分かれてのヴァリエーションで、民族舞踊の要素が色濃く散りばめられた高度な振り付けだった。男性陣は時にコミカルに、最高難度の組体操(!?)のようなコンビネーション技を披露。ヤロスラフ・トカチュクはこういう小芝居が本当に上手い。床技が印象的たっだ男性陣とは対照的に女性陣は連続グラン・ジュテで登場し、客席から歓声が巻き起こった。
衣装もヴァリエーションから変わり、女性は白のふんわりとしたカットソーにチュールスカート (マスタードイエロー、群青色、コーラルオレンジ、プラム色が重なり遠目からは国旗の色に見える)、そして頭飾りはひまわりのヴィノク。
男性は白の民族衣装風のシャツにモスグリーンのタイツだった。(男性陣のみ終曲では最初の黒の衣装に戻った)
"エレジー"(哀歌) と聞いてなんとなく暗い作品を想像していたのだけれど、深い悲しみの中にも決して打ち負かされることのないウクライナ人としての誇りとアイデンティティを滲ませる力強い作品だった。
観客総立ち、ブラボーの嵐。
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日本だったら戦争中で電力不足で、満席にできないのならバレエ公演なんてやる必要がないと言われるだろう。
空襲に怯え、電力不足に翻弄される日々の中で、チケットを買い求め、お洒落をして劇場に足を運び、つかの間の夢を見ることは不必要だろうか。
観客が総立ちで自国の芸術家たちを讃える光景は美しかった。
次にここに来られるのはいつになるだろうかと、名残惜しく劇場を後にする。
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久しぶりにメトロに乗車することにしたが、以前から使っているメトロカードをホテルの部屋に忘れてきたことに気付く。キーウのメトロはクレジットカードのコンタクトレス決済で乗車できるので Apple Payを利用してみることに。
今までは頑なにトップアップが必要なメトロカード(日本でいうSuica) を使っていたのだけれど、あっけなく"クレカ乗車デビュー" を果たした。
改札を通り抜けると、待ち受けるのは長い長い高速エスカレーター。
相変わらず速くて乗り降りの瞬間はやはり緊張する。
メトロに乗り込むと程なくして、Apple Watch の【ノイズ】というアプリが "周囲の騒音が基準値を越えているのでこのままだと聴覚に異常をきたす" と警告してくる。ここに住んでいたらどうなるのだろう。
メトロで到着したのは市内最大のショッピングモール【オーシャンプラザ】。
足りなくなったものの買い出しなどで滞在中には必ず訪れる場所である。
土曜の午後だというのにモール内は閑散としていた。
このように大きな ”民間人が集まる” 建造物は攻撃対象とされる可能性が大いにある。ハイパーモールやショッピングモールなど大きな施設内で空襲警報が鳴ったら、周囲の人たちの流れに従って速やかに外に出るように、と友人から教えられていた。
出口から遠いところにいたら厄介だな…などと考えながら下着の試着をしていると、"バチっ!!"という音と同時に真っ暗に。よりにもよって半裸の時に停電が起こった。
iPhoneのライトを点灯させ試着室から顔を出して辺りの様子を伺うと、単なる建物内の停電のようで従業員も客も各々スマートフォンを点灯させて接客と試着を続けている。私もまずは一刻も早くこの暗闇の試着室から脱出するために試着を終わらせることに集中した。
この建物は大部分に自然光が差し込んでいるため、この時はそもそも館内共用部分の照明は付いていなかった。(試着室は店舗の奥に位置しているために真っ暗になってしまった)
10分ほどで電気が戻り、会計システムが復旧してからお支払いを済ませて店を後にした。
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買いたかったけど荷物を増やせないのでぐっと我慢
オーシャンプラザの外へ出ると何やら寄付を募っている青年がいた。
具体的な使途を尋ねると、特定の旅団への寄付だと説明してくれた。
実はこちらに来てからニュース番組に旅団の代表者が (おそらく) 前線からビデオインタビューに応じているのをよく目にしていて、必ずその画面の隅にはQRコードが表示されている。QRコードをスキャンするとこの旅団の代表口座に直接送金できるフォームが開く。
もちろん十分な装備や食料を支給されていればそんなことをする必要はないけれど、現実はそうではないのだろう。
この青年からは直接その活動について話を聞かせて頂けたので、微力ながら力になれればと両替したばかりの現金を寄付させて頂いた。
ぐっと私の目を見据えて ”あなたのサポートに感謝します” と言う彼の表情は忘れられない。
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ここに来たら必ず寄るカフェ【Компот】(Kompot) でボルシチ、黒パン、コンポートジュースをディナーに頂く。
ショッピングモール内という好立地にあり、ウクライナの郷土料理を幅広く楽しめるためついつい来てしまう。
ボルシチには大きなジャーからたっぷりのスメタナをサーブしてくれた。
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ここでも電力の問題で食後のカフェを頂けなかったのでホテルのバーに行ってみることに。
席についてカプチーノを注文した途端に停電。従業員のお姉さんが "発電機があるから大丈夫よ、ちょっと待ってね" と声をかけてくれる。
5分ほどで館内の電気は復旧し、カプチーノがテーブルに運ばれてきた。
それでは、とカップに手をかけると再びの停電。
暗闇の中でカプチーノを味わった。
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翌日に会う予定だった友人Mがちょうどホテルの近くにいるというので、急遽夜のお散歩へ。この激動の2年間に彼の人生に起こったドラマに衝撃を受け、何度驚きの叫び声をあげただろうか…。
中心地にある彼の家まで歩いて行き、そこから車でホテルまで送り返してもらう、という予定だったが、曲がるところを誤ったようでなぜか車は空港方面の高速道路に入ってしまった。
キーウを車で走っていると、大きな通りが"5車線一方通行" なんてこともある。
なんて贅沢!と思う一方で、なかなか目的地に辿り着けないということも起こりうるので、ドライバーのルート選び次第で所用時間が大幅に変わる。
なかなか高速道路を抜けられないまま時刻は23時を過ぎた。
戒厳令のため0時までに私はホテルに戻り、Mも自宅に辿り着く必要がある。
他のドライバーも同じようにタイムリミットを背負って走っているのだろうか、いつもに増してスリリングなナイトドライブだった。
戦争中の国に行くからといつもよりも高い生命保険に入ったのだけれど、保険を行使するとしたら交通事故による負傷の可能性が高いだろうと思った。