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正解を求めるより楽しもう〜どんな時も楽しむメンタリティはスキ?〜
こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。
久しぶりの投稿です。
オリンピックの日本代表大活躍ですね!
オリンピックを観ていると、その競技が好きだから練習が苦しくても続けられるんだなってヒシヒシ伝わってきます。
昨日は女子のスケボーで表彰台に上がった選手全員のお母さんが日本人という快挙でした。
どうして日本人がスケボー強いのかヤフーニュースに載っていました。
日本人の勤勉さ、育成、環境の3つが強さの原因らしいです。
スケボーを観ているとお互いにリスペクトし合う、称え合う姿がとても印象深く美しさを感じました。
人それぞれ価値観は違っていて、やはり「スキ」に勝る要素はないなぁと思います。
どんなに社会的に優れていることだとしても、みんなの為になることだとしても、個人として続けるにはそこに何かしらの「価値」を見出せなければ難しいです。
以前、社会的地位にこだわる人は自己肯定感が低いから社会的に価値があるもので自分の無価値観を癒そうとするという話を聞いたことがありました。
これも一理あるなとは思います。
でも、これも人それぞれの好みな部分かなと最近思うのです。
心理学を勉強していると、無価値観があるから罪悪感があるからという言葉でカテゴライズしてしまい、真の原因はそこにあるのか分からないのに、最もらしい言葉を言われると納得してしまうことがあります。
社会的に価値があることに価値を感じる人もいれば、個人的な感情に重きを置く人もいます。
お金よりも愛が上なんてこともなく、愛よりお金に価値があるということもないと思うのです。
何故なら誰かの愛がお金というカタチに変わることもあれば、お金を稼ぎ養うことが愛を示す手段にもなり得ます。
本来、比べることが出来ないものを一つの天秤に載せて比べて、どっちが正しい、どっちが間違ってるというのは愚かなことだなと感じます。
〇〇だから▲▲だという風に決めてしまうと、それ以上悩んだり揺らいだりすることないので楽です。
でも、本当は、揺らぎの中にこそ安定があって、型にハマることで安定を得ようとせずに、悩み気持ちが揺らぐことを楽しめるメンタリティを養うことこそ大事なのではないかなと思います。
オリンピック選手の方々が、「楽しむ」とよく口にするのは、揺れる感情、プレッシャーすらも丸ごと競技の醍醐味として楽しんでいらっしゃるのかなぁなんて思いました。
記事を一部有料化しました。
現実は小説より奇なりです。よろしければご購入ください。
2度あることは3度あるとは、まさにこのことです😱
良い休日をお過ごしください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!