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あいまいなものを込めたときの威力。にほんごって面白い。
すごく感覚的であろう話を書こうと思います。
なぜ感覚的かというと、日本語のあいまいさにとまどうことが多くて、いつも最後は感覚的になるのでね。
ボクらが普段話す日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字をたくみに使いわける言語です。
書くときはもちろんだけど、話すときもたぶん意識しながら使いわけている。
りんごは「りんご」のイメージかもしれないし「リンゴ」のイメージかもしれない。
文学的な人は「林檎」をイメージするかもしれないね。文字に起こさないと相手のイメージをおしはかるのは難しい。
あと「くう」には「食う」や「空」もある。
同じ音で発音していて前後の情景を読みとらなければ、意味がわからない。
つまり感覚的にとらえないと意味を認識できないこともあります。
「きる」というと「切る」「斬る」「着る」
「紙をハサミで切る」と書いたり、こういうイメージで言ったりするんだけど
「紙をハサミで斬る」とは書かないし、イメージしていない。なんか勢いがあって特殊能力っぽくて格好はいいんだけどね。
「刀で人を斬る」とはいうけど、「刀で人を着る」とはなんだか異様な雰囲気。サイコホラー。
どちらにしても、そんなあいまいな日本語の中には「入れる」と「込める」という言葉がある。
どちらも外から特定の別の場所に移す意味なんだけど
ここからはボクのイメージ
「入れる」はフィットしているか、少し余裕のある感じがして「込める」はジャストフィットか少し狭いところにパンパンにしている感じがする。
「入れる」は移動だけだけど、「込める」には移動するだけじゃなくって、内から溢れるイメージもある。
「気合いを入れる」と「気合いを込める」では「込める」方がパンパンで威力があるよっていう風に感じる。
大砲なんかも「たまをいれろ〜」ではなくて「たまをこめろ〜」だもんね。威力がある。
「込める」には威力があるんだ。
最近読んだ商売の本にはとにかく「愛を込めろ」と書いてある。「愛を入れろ」ではない。
愛には人を動かす威力があるからじゃないかな。
愛はあいまいな存在かもしれないけど、確実にそこに存在してると思うし、込めると満たされてあふれてくる。
そんな感覚になれる日本語っていいよね。
愛があふれて、「くう」にも「きる」にも困らない人であるように。そんな風に名前にも込めてあります。お誕生日おめでとう。
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