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私の破滅願望を好きな人が受けとめてくれた話

 お久しぶりです。さっちゃんです。

 また筆を取る日がやってきました。

 便りがないのはいい便り、というようにここに戻ってくるということは私にとっていろいろあったということです。

 結論から申しますと、また破滅願望が顔を出してしまったということです。しかもとびっきり大きくって受け止めきれないものが。

 七月になってからというものの、私の憂鬱がもったりとしてしまって気づけば毎日死ぬことばかり考えるようになってしまっていたのです。

 そうして大好きな人たちに今までの手紙を書いてもう死んでしまおうとさえ思いました。

 これは、よくありません。

 もちろんよくないのですが、その時の私にはもうとんでもなく良い考えに思えたのです。

 それから私はせっかくだからと自分の好きな色のインクを作って、好きな便箋を買って、そうして手紙を書く準備をしました。

 「あの子」にもたっぷりと今までのお礼とそれからこれから生きていくための支えになるように少しばかりのお金を用意しようと思ったのです。

 けど、そこで欲望が首をもたげました。

 どうせ死ぬなら、最後にあの子の声を聴いてから死にたい、と。

 そうして電話をしませんか、と声をかけていざ電話をしてみたらその声があんまりにも優しくって……少しばかり涙ぐんでしまいました。

 そしたら「あの子」は言うのです。

 さみしかったんだろ、と。

 嗚呼、そうかもしれません。私、さみしかったのかしら。

 誰かにただたださみしい、と打ち明けたかったのかもしれません。

 箱を開けてみればなんとも滑稽というか在り来たりな答えであくびが出ちゃいそうです。あんまりにも単純で、おかしいくらいでしょう?

 でも、その時の私にはただただ人のぬくもりが足りなかったのだと思います。

 結局私はぽつぽつと、今の自分のことを話しました。もう死のうと思っていたこと、最後に声が聞きたかったこと、あなたに何かを残したかったこと。

 そうすれば「あの子」とは言えば、

「俺が独り立ちするまで傍で見ていて」と言いました。

 確かに、私がいなくなった後にダメになるあの子は見たくありません。それならちゃんと私がいなくなっても大丈夫になるまで待った方がいいんじゃないかしら。

 それにそれまでにはもっともっと私の貯金も多くなって、その分あの子にあげられる分が増えるかも。一石二鳥だわ。

 というわけで、まあなんとも後ろ向きな理由ではありますけれど、今日も私は何とか生きております。

 これから季節も変わっていって、夏の暑さに打ちのめされる人も多くなるかもしれません。

 それでも、それでも、誰か一人くらいは「さみしさ」を共有できる人がいれば私たちは生きていけるのです。

 暗い話になっちゃったわ。そうそう、元気になった記念に私は今日ネイルを買って帰ります。楽しみだわ。

 それでは。

 

 

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