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【難解】天才の条件 マイノリティセンス【学術考察】


遺伝的マイノリティ

世界の形の話をしよう。人間は肉体だけをみると肌の色や性別の差はあるけれど、おおむね同一の存在に感じるだろう。20mを超える身長や4つの目がある人間は存在しない。しかしそれは肉体と言う「入れ物」の話であり、中に何が閉じ込められているのかを私たちはよく知らない。

人間は二種類に分けられる。それは『マジョリティセンス』を持つ人間と、『マイノリティセンス』を持つ人間だ。これは私が提唱するセンスの区分であり、現時点で最も整合性を保つことの出来る一つの答えだ。

1877年の2月9日王立学会特別研究員である「フランシス・ゴルドン」が「遺伝の法則の典型」という講話を行った。釘が打たれたボードに上からボールを落とす。現代で似たようなものを探すのならば、パチンコ台を想像すると良い。この時ボールがどのような動きをするか知っているだろうか。ボールが釘にはじかれ右に行くか左に行くかは完全に偶然である。それにも関わらずボードに落とすボールの量が多くなればなるほど、正規分布の図を示すようになるのだ。正規分布の図とは別名ベルカーブと呼ばれる両端が低く中央が盛り上がる図の事だ。

これが遺伝的特性であるとゴルドンは主張したのである。現代の科学から見るとこの理論には穴があり、両端に限界値を設けていなかったことで遺伝的特性を表すには至っていないことが分かっている。この正規分布図そのものは1820年にフランスの数学者、あのラプラスの悪魔で有名なピエール=シモン・ラプラスによって証明された中心極限定理と同様のものである。

ゴルドンの主張をそのまま遺伝的傾向に当てはめるのならば、人類は繫栄しその数を増やすほど遺伝的マイノリティである両端の値は極端になるという事になってしまうのだ。身長の高い者同士が結婚したからと言って、身長5メートルを超える巨人が一定数生まれるなどという事実は今日まで確認されていない。遺伝的特性はある縛りの中で調整を行い、その周辺でのみ個性の発露が確認される。人間の遺伝子にはまず超える事の出来ない、物理法則に由来する設計上の限界点が明確に存在する。その枠の中で我々は個性や多様性を謳っているに過ぎない。

しかし、このフランシス・ゴルドンの「遺伝の法則」をベルカーブで表現しようとしたことは非常に興味深い。概ね中央値にいる人間と、そうでない人間には大きな違いがあることが一目で理解できる点も素晴らしい。
人を表現する時の一つのカテゴリとして、楽観主義や悲観主義と呼ばれる神経症傾向の分類が存在する。天才の事を『サヴァン』や『ギフテッド』と呼んだり『HSP』と呼んだりすることはご存じだろうか。これらは全て感覚処理感受性と呼ばれる、最も遺伝的影響が反映される個人の特性である。このような感覚的分類で人はいつの間にか分けられているのだ。

おそらくこの問は未来を見通すことの出来るラプラスの悪魔でも答えることは出来ないだろう。もし聞けるのなら聞いてみたい。この安定した秩序ある世界は一体誰が創ったのだろうか。

分かりやすく、もう少し言葉を変えてみるとしたら、誰の「感覚」を基準にして創られているのかという問いだ。答えが中央値に位置する、似たような遺伝的特性や感覚を持った人間が創るのである。法律の起源もさかのぼれば、つまるところ動物としての本能が言語に変換されたものである。ルール作成の基準となるようなセンスを持つ人間を、私は『マジョリティセンス』を持つ人間とカテゴリしている。一方で高い神経症スコアにより特異な感覚を持つ両端に位置する人間を『マイノリティセンス』と呼んでいるのだが、残念なことにこの安定的な世界では高い神経症スコアであるマイノリティセンスを持つ人間の自尊心は低いことが観測されている。偏りは不遇なのである。では、総量としてはどうなのか。それはつまりマジョリティセンスとマイノリティセンスの人間はどちらが多いのかという話となるのだが、それはマイノリティセンスというカテゴリでの検証がされていない以上答えはわからない。だが、私は小さくないと思っている。

正規分布図カーブのどこからがマイノリティで、どこからがマジョリティといった線は引かれていない。通常言葉通りで考えるのであれば、マジョリティは51%以上を示さなければならない。しかし、その前提はマイノリティが同質でなければならない。例えば性的マイノリティであるゲイが必ずしもトランスジェンダーを歓迎しないように、勝手にマジョリティ側の視点で同じカテゴリにされた多様性は必ずしも同一化されない。極端な例であるのなら全人類が10人いて、3人が同じ価値観、後は全員バラバラであった場合3人であっても人類にとっても多数派となり、基準となる。

私の目的の一つにこの『マイノリティセンスを持つ人間の能力を最大化させること』が含まれている。マイノリティの人間の最も困難な部分である『世界への適合』のきっかけを示すことが世界を良い方向へと向かわせる手伝いとなることを知っているためだ。

まず一つの容易に想像できる反論に、答えていこう。それは、人の個性は多様性を極め同一のものではないという理屈だ。それはつまりマイノリティや、マジョリティなどの2分化された括りではなく、人類全ての人、一人一人が独自の個性を持ちそれぞれが違っているという思想である。ではその「個性とは何か」に社会学で答えるのならば、『時代や役割』という言葉を私は使用するだろう。人は遺伝的なもので自分の個性が構成されていると思い込みがちだが、それよりもその時代で重要とされる価値観に対する教育や、個人の役割が個性には影響を与えている。その意味で個性とはある種の年代でくくられるものであり、それを何度も繰り返して年輪のようになっているのが人類の個性の歴史なのである。私たちがぼんやりと想像している以上に個性とは限定的なのだ。

また、より個人の性格を特定する心理学の領域からも考えていこう。心理学者、ルイス・ゴールドバーグの性格の5因子「ビッグファイブ」だ。人の個性はおおむね5つの要素の組み合わせで成り立つという主張である。

1つ目、社交性→外交的や内向的な要素。明るい、活発、人懐っこいがこれに当たる。
2つ目、神経症傾向→楽観的や悲観的に影響する要素。うつ傾向、心配性、怒りっぽいなど。
3つ目、協調性→同調性と共感力に影響する。やさしい、親切等の共感的要素。
4つ目。堅実性→自制力。善良さ、まじめ、几帳面、曲がったことが嫌いなども。
5つ目は新奇性→経験への開放性。オープンさ、知的、想像力がある、新しい体験を求めるなど。

これは、近代のパーソナリティ理論では最も有力な方法として広く活用されている。しかし、私はこのルイス・ゴールドバーグの編集には少し不満が残る。それはこの5つの要素の中にも個性を決める優先順位が存在する点だ。例えば神経症傾向に影響するデザインの一つに、セロトニントランスポーターの存在がある。

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