見出し画像

 割と日々偉そうな態度を取っている割には親のいない宿泊にビビる私は、親のいない旅行のデビューは19と遅咲きであった。この数字が早いのか遅いのかについて、ネット全体を相手に話すと要らぬすれ違いを生みそうなんでひとつ補足をしておく。

 高校を卒業するとき、つまり受験が終わってから卒業するまでの長めの休息の間に、同級生たちは短期のバイトをみつけいくらか稼ぎ、仲のいい数人で各々旅行に繰り出していた。大阪、北海道、沖縄、グアムやテキサスなど様々だったが、クラス内で地味じゃないやつらはみんな関東以外のどこかで弾けていた。

というわけで私にも旅行の話が降ってきたわけであるが、私がつるんでいた連中はどうも国際色が強かった。上海出身で中学生から日本に住んでいる中国人、タイからの帰国子女、ここに私含めた海外未経験者二人という構成である。受験期に入り学校に行かなくてよくなるまではタイに行こう、中国を巡ろうときゃっきゃうふふしていたわけだが、いざその時になるとさすがスケールダウンを免れず、上海への帰省に便乗する形で旅行を行うことになった。

しかし人間の好き嫌いの激しい私がこのグループに嫌いな奴がいないはずがなく、まあ誰とは言わんがこの全員と宿泊、まして海外と考えているうちに憂鬱になり、浪人と少々平成には堅すぎる親の倫理観を盾に断ってしまった。

 その後一年かけて先述したように無駄に旅に夢を膨らませていた私であるが、ありがたいことに抑圧生活が明けると高校時代に最も仲のいい友人が弾丸2日間で京都に行く話を持ってきてくれた。かくして東京が桜の見ごろに入り始めたころ、学生二人で小旅行を決行するのである。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?