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少しは知っているかもしれないが、彼もまた学んでいる

今夜、アリカグループがダルシャンに来た。リーダーの一人は、アメリカのグループに比べて、より多くの愛があると感じたと言っていた。

テクニックは、深い愛があって初めて機能する。
テクニックは言い訳に過ぎず、愛があれば、
指導者と被指導者、教師と教えられた者の間に違いはない。
愛があれば、指導者と被指導者、指導者と被指導者の間に違いはなく、
両者が一体となって共に働き、経験を共有することができるのだ。
指導者が被指導者よりも偉いというわけではない。

少しは知っているかもしれないが、
彼もまた学んでいるのだ。

愛は、これで分かったと言える状態にはならない。
愛は決して賢くなることはなく、それこそが知恵なのだ。
それは常に学び、学び、最後まで学び続けているのだ。
そして、リーダー自身が学んでいるとき、
パワー・トリップはない。

パワー・トリップ、エゴ・トリップが生じるのは、
リーダーが「自分は到着した」と考え始めたときであり、
「自分は人を導く--助けるのではなく、導く、リードする」
と考え始めたときだ。

テクニックがエゴの手に渡れば、
それは破壊的なものになる。
同じテクニックでも、
愛の手にかかれば創造的なものになる。
それは場合による。

愛があれば、毒でも薬になりますが、
エゴがあれば、万能薬でも毒になる。

だから、リーダーというのは
とてもデリケートな仕事なのだ。
リーダーは、リーダーよりも大きな責任を負っている。
グループだけでなく、自分自身にも責任がある。

世界中の多くのグルたちは、
パワー・トリップの中で生きている。
彼らはそれを楽しんでいるが、
いつかは人生全体が無駄であったことに気づくだろう。

権力を手に入れるのがお金によるものであろうと、
知識によるものであろうと、脱俗によるものであろうと、
瞑想によるものであろうと、それは重要ではない。

力は貧しさであり、ある日突然、幻想が消え、
幻滅し、自分がただ空っぽであることに気づくのである。
捨てた瞬間に、あなたは非常に価値のあるリーダーになる。

そして、あなたが助けるときにはいつでも、
あなたに対する抵抗はなく、
相手が心を開いてくれるだろう。

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