![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/167077181/rectangle_large_type_2_aade02a399af595159f3af0381c68edc.jpg?width=1200)
アイドルオタクの私がSNSに抱く疑問
私はアイドルが好きだ。
長いことオタクとして生きてきて、ずっと疑問というか「何なんだろうか?」と思っていることがある。
※賛否のある内容になることが予想されるため、この先の閲覧は自己責任でお願いします。
※あくまで『私の個人的意見』であり、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」と押し付ける意図は一切ございません。
ライブ・現場のチケットが当たった!
推しから確定ファンサをもらった!
対面の特典会に当選した!
……その他諸々。
これって素直に喜んで良いことですよね?
喜ぶべきこと・喜んで良いことなのに、素直な気持ちで喜べない自分がいる。
今ってオタクをするならSNSとは切っても切れない関係があって、オタクなら誰しもSNSアカウントを所有しているものだろう。
となると、SNSで推し活について投稿することも自然。
じゃあ、例えば。
Aさんが「ライブ当たった!推しに会える楽しみ!」と投稿したとして、それを見た人はどう思うだろう。
同じようにライブチケットの抽選に当選したBさんは「良かったね!」「現場で会おうね!」などと、同じように喜べる。
反対に、落選してしまったCさんは「羨ましい」「なんで自分は当たらないんだろう」「自分も推しに会いたかった」と思うのではないか?
Aさんの投稿が無くとも、落選を知った時点でCさんは悲しい気持ちになる。
でもAさんの投稿は確実に、Cさんの悲しみに拍車をかけるだろう。
私はこの現象を「何なんだろうか?」「どうにかならないものか?」と思ってしまう。
結論、どうにもならない。どうしようもない。
そんなことは分かっている。
ただ実際、私はいつもこの考えが頭をよぎってしまい、嬉しいことも素直に喜べない。
まず友人や周りの人の様子を伺ってしまう。
「マイナスの意見は見受けられないから、これは投稿しても大丈夫だろうな」「今はみんなが負の感情になっているから、自分には良いことがあったけれど黙っておこう」といったように。
他人を気遣うとか、気が利くとか優しいとか、褒めてもらえることなのかもしれないけれど、そういうことではなくて。
嬉しいなら嬉しい、悲しいなら悲しい、それで良いじゃん?と思う自分がいる。
そういう私自身も、他人の幸福は見ていて辛いものが多分にありすぎるのでミュートしたり流し見したりして自衛はする。
ただ、素直に個人的なわがままを言うなら「もーちょい気を遣って発言してくれよ……」と。
小規模アカウントでもフォロワーを多く抱えるアカウントでも、今はXやInstagram等のおすすめ機能によってフォローしていない人の投稿が流れてきてしまう。
つまり、何気ない投稿を知らない人に見られる可能性があるということ。
そう考えたら、もう少し控えめに言うとか文面を工夫するとか、分からないけれどなんかあるだろ!やり方ってものが!
なんて、どうしても思ってしまう。
前述の通り、これはどうにもならないことで、着地点も折衷案も無い。
ただ、色々考えた末に思ったのは、思いやりと想像力の重用性。
……小学校の道徳の授業か?と言われてしまいそうだけれど(笑)
嬉しいときは喜んで良いし、悲しいときは落ち込んで良い。
でも公の場に発信する以上、自分が予想するより多くの人の目に触れること・その発言が多くの人の感情に作用してしまうことを意識した言葉選びをする。
そしてそれを見た側は気にしすぎない。
どうしても気になるし悲しみは消えないけれど、一旦SNSから離れてみる。
無常にも、どんな話題も時間が経てば風化して、次の話題へと移り変わるから。
SNSって難しい。
だから私はSNS上で友人を作るのが少し苦手だ。
でも本当に良い人・好きだなと思う人と出会えることもある。
身の回りに同じ趣味を持つ人がいなくても、SNSに来ればたくさんの仲間がいて、話ができる。
きっとこれからも、私が私の気持ちを100%発信できるようになることは無いだろうけれど。
だからこそ、実際の人間関係と同じように思いやりと想像力を働かせながら、これからも楽しくオタクとして生きていきたいと思う。